感覚か理論か
自分は今までずっと感覚に頼って絵を描いてきた、という事に最近になって気づいた。
というのも、仕事で描く絵は感覚に頼って描いた絵よりも、理論に基づいて構築された絵の方が圧倒的に需要があるのだ。
冒頭に書いたように、自分は今まで感覚でばかり描いてきた。そのため、当然理論に基づいた絵が圧倒的に需要のある今の仕事場では大分苦戦している。
そして恐らく、職場からの自分への技術的な評価はあまり高くないと思っている。(もちろんこれに限らずの話だが)
これは謙遜ではなく、紛れもない現状への認識であるし、諸事情でここには書けないが、いくつか根拠もあるにはある。
しかし、自身の感覚で描いた絵で食べている人もいる。そして、必要とされる感覚もある。
かなり飛躍した考えになる事は自分でも承知しているが、世間が求める感覚と、そうでもない感覚があるんじゃないかとも思ってしまう。
そう思う理由としては、自身の絵柄や持ち味をほぼそのまま活かして、相手が何を求めても相手の求める物を創り出す人が近くにいるからだ。
つまりそれは、その人の感覚は殆どの場面で共通する理論とあまり変わらないという事でもあるし、理論が己の血となって肉となり、結果として感覚になっている様に見受けられる。
それか、理論で自身の感覚を構築しているか。
色々と根拠のない憶測ばかりが立ってくるが、きっとそうなのかもしれない。少なくとも自分の中では。
どうも、自分の場合理論を蔑ろにしてきた自覚はあって、結果として「それっぽく」見える様に描く感覚が培わられてしまったと感じている。
それっぽく描く、という事は決して悪い事ではない。
しかしそれは既に存在する理論やルールを知って、描けるようになればこそ生かされてくるものであって、自分のような理論を蔑ろに、面倒がって避けてきた者がするには1億光年早いのだ。
言ってしまえば理論…基礎を蔑ろにして、カッコだけを付けようとするな、と絵から突き放されている。そんな状況だ。
正直、今になってその事に気づいたのかと己の事だが非常に情けない。
だけどカッコつけて絵を描きたければ描けばいいし、それで上手くいくならそれでいい。
そして、全員が全員理論を学んで描くべきかというとそうではないと言える。
こうでなくてはならない、ああでなくてはならない、と全てが全てそんな決まり事を守らなくちゃいけないとは思っていない。それは状況によって変わる。
しかし、自分の場合、その理論が必要な状況に直面したと言う話なだけである。