自分だけの真実があるから
自分が信じられなかった
自分が感じたことを信じられなかった。
自分を肯定することができなくて、ずっとどこかにある「真実」を追い求めていた。
子ども時代
いわゆるDV家庭で荒んでいて
SOSを出しても聞いてもらえなくて、
自分が感じている痛みも苦しみも悲しみも全て嘘で偽りなんだって思っていた。
「自分が感じてきたことは全て真実だったよ。」今やっと自分に言える。
子どもの頃、「真実」とか「本物さ」が欲しかった
嘘とか偽りとか本音と建前とかが嫌だったけどどうすることもできなくてもがいていた。
最近になって世界は矛盾だらけで、真実なんて人の数だけあるということを感じている。だから自分だけの真実があってもいいんだよって。それを叫んでいいよって。
何者にならなくてもいい
美しさも醜さも、全てどちらもあってそれで一つの輪を為していている。
なんか「それでいいのだ」って思う。
何者にもならなくていい。
自分がつけてきたいらないものを手放していったら
何もしなくてもそこに自分がいた
それだけで十分なんだな。
みんなそう。
ジャッジして自分を責めることも人生をコントロールしようとすることもない
今は自分の身体に自分の心にそこにただ柔らかに座っているだけ
ただそれだけ。
そこから湧いてくるものを楽しもうって思うんだよね。
表現して、輪を開いて。好きなことをしよう。
そうやって自分自身であることに人生を一巡りして出会えたよ。
両極にある怒り悲しみ喜び愛、全部味わい尽くして納得できた。
矛盾があって、人の数だけ真実があってそれでいいんだってこと。
そうやって
死んでは生まれ変わる
巡り巡る命に生きることを感じている。