すべてが体育になる
最近、あらゆるコンテンツが「体育化」していると感じます。
自分が思う「体育」の特徴
反射神経、正確な体の操作を要する
正解がある(我流の方法が通用しない)
最低限の才能を要する
コミュニケーション
上達の手段は、実践練習に限る(座学で見につかない)
直接の競争はないが、確実に優劣、上下関係を生じる
※解説
1.は言わずもがな、これは3.才能にも繋がる。
2.例えばボールを遠くに投げる方法、早く走る方法など
つまり全員が1つの直線コースにおり、ゴールに向かって走る構図になっている。
これは4,5と関連、この状況で上手くなるには、正解のやり方をコミュニティ内で共有し、それを身につけるしかない。
3.体育は努力量が物を言う世界。これは2で書いた通り全員が1方向に進むため、多く前に進んだほうが必ず勝つから。ただし、これは最低限の才能がある人に限る。(人の技術を見て盗める力、集中力など)
→「体育化」が進むと、最初からできる人は減るが、いつまでたってもできない人が増える。
4.これは体育に限らないので割愛
5.以上より正しい努力が定義される。それは「正解に似せるための努力」である。これは手元で実践する以外に方法がないことを意味する。
6.体育ができないからって進学ができなくなったり就職できなくなったりすることはない。ただし確実に上手い下手があり、それが可視化される。
以下、「体育化」したな~と感じるコンテンツ
体育コンテンツその1:ゲーム
今やPCゲームといえばfpsである。反射神経、正確な操作(エイム)を必要とし、上達には練習あるのみ。「上手い人のプレイ動画を見て、その動きを再現できるようになろう」って、体育すぎるだろ
またポケモンやソシャゲのような、反射神経を要しないゲームでも、正解のパーティ、正解のデッキ、正解のキャラが存在する。コミュニティ内の最新のトレンドに常にアンテナを張る必要がある。
体育コンテンツその2:ボードゲー厶
最近流行りといえばamong us、はぁなどのコミュニケーション特化型、ナンジャモンジャ、おばけキャッチなどの反射神経型
ただボドゲの上手い下手が人生に与える影響は小さすぎるため、全然いいと思う
人狼はロジックだし、人生ゲームは100%運ゲーなので例外もある
体育コンテンツその3:TikTok
ダンスとかいう超体育コンテンツに依存しているので当然。周りの人に合わせて同じ動きをする能力が必要であり、「その時期の正解の曲(流行)」をキャッチアップする必要がある。
さらに上手い下手がいいね数によって可視化される。
体育コンテンツその4:就活
就活サイトの台頭により、全員がサークル運営経験あり、ガクチカ用意済み、2年から動き出し、など「正解の立ち回り」が固定化されてきている。これも座学で見につくものではなく、友人やOBと練習することで上達する。
体育化の原因考察
体育化はインターネットによって進んだ気がする。全プレイヤーが同じクラスに属す学校みたいになった結果、集団内での自分の位置が可視化され、正解とされる立ち回りが固定された。
以下のように体育化してないものもある。
非体育コンテンツその1:プロスポーツ
逆説的だが、プロスポーツの世界は「脱体育」してると感じる。
→プロとされる人は必要な才能と十分な努力がデフォルトとなったため、そこでの優劣がつかなくなった
その結果今のプロの世界でメダルを取るような人は、「2歳からやっている」「親がメダリスト」のように今更どうしようもない部分で差をつけている。最近アメリカではトランスジェンダー女性(生物学的男として生まれ、途中で性転換した人)が女子の記録を塗り替えまくっているという話である。スポーツはいくとこまでいった結果、体育じゃない部分で差がつくようになった気がする
非体育コンテンツその2:お笑い
正解がないので体育になりようがない。最近は大学お笑い出身者が強く、スポーツと似たような空気を感じる
非体育コンテンツその3:入試
反射神経は不要、実践より座学が大事(テストを何回も受けるよりその時間で普通に勉強したほうがいい)
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