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障害馬の余生について ~テキサスワイポンとシンボリクリエンス

こんにちは、こんばんは。 印度孔雀です。

今年の元日に旅立ったキョウエイボーガンを筆頭に、バンダムテスコ、アサヒライジングと引退馬協会の馬が相次いで亡くなった1月も今日で終わり、JRAのカレンダーのディープインパクトともお別れ(?)です。

そんな1月ラストの記事ですが、今回はある2頭の障害馬の馬生を通して、障害馬の余生について考えていこうと思います。少々長い文章ばかりの記事ですが、どうか最後まで読んでいただけると幸いです。

はじめに


昨年の中山大障害は、オジュウチョウサンが10歳にして見事優勝。見事G1レース8勝目を挙げました。ですが、11歳となる今年も現役続行。そうなると心配になるのがやはり脚の故障についてです。オジュウチョウサンの5連覇目となった2020年の中山グランドジャンプでは、前年の最優秀障害馬シングンマイケルが故障を起こし予後不良となりました。この事例に限らず、障害レースには年齢に関わらず事故がつきもので、前回の中山大障害で全員が無事完走出来たことが素晴らしいことなのです。ですから、現役馬の中ではかなり高齢のオジュウチョウサンは尚更怪我の心配をしてしまうのです。

ですが、競走馬としての馬生も常に危険に脅かされているにも関わらず、引退後の馬生も保証されていないのが障害馬。実は障害の飛越能力は遺伝しないとも言われており、オジュウチョウサンのような名馬であっても、結局は平地で活躍できなければ種牡馬入りは難しいようなのです(彼に関しては馬主の考え方に左右されてる面もあると思われますが...)。

さて、今回取りあげる2頭は私がWikipediaを編集している時に知った馬なのですが、引退して幸せな余生を掴めたと思った2頭の数奇な運命について、より多くの方に知っていただければいいなと思います。なお、この2頭の生きた時代はかなり離れているので当時の考え方の違いなどもあったとは思われますが、この2頭の馬生から障害馬の幸せな余生について考えるきっかけになれば幸いです。

2頭のプロフィール


まずはテキサスワイポンについてです。
彼は1974年生まれのお馬さんです。馬主はアグネス冠名で有名な渡辺孝男氏。平地の芝、ダートを経て当時の馬齢5歳にして障害へ移行。障害初戦の5歳以上未勝利で早くも1着となりました。その後の成績は凄まじく、引退まで掲示板を外したのは1度のみという好成績で現役を引退しました。引退レースの中山大障害は1着で有終の美、さらにその年の京都大障害も勝っていたことが評価され、81年度の優駿賞最優秀障害馬に選定されました。

続いてシンボリクリエンスの紹介です。
彼は1985年3月21日生まれのお馬さんで、馬主は冠名からお分かりの通りシンボリ牧場です。6歳から障害レースに移行し初戦では競走中止してしまいますが、その後は15戦以上出走し1992年の東京障害特別(春)、阪神障害ステークスを除いて全て掲示板を外さない好成績を残しました。そして、92年度と93年度と2年連続でJRA賞最優秀障害馬に選定されました。

障害レース界において素晴らしい成績を残したこの2頭。彼らは引退後、どのような運命を辿ったのでしょうか?

引退後の2頭


テキサスワイポンは、引退後種牡馬入りすることができました。合計21頭の産駒を残し、最も多くの賞金を稼いだのは1984年産のアサクサステージ号の3866万円(勝鞍:障害3歳以上400万下)です。父譲りの飛越能力を持ち合わせてはいましたが、重賞勝ちはなく、テキサスワイポンもその後すぐ馬事公苑で乗馬となりました。そして、そこを経て1987年に鹿児島県の町営牧場に引き取られました。

...しかし、2年後にはもうテキサスワイポンの年齢は15歳に達し、管理も次第に難しくなり、とうとう彼を処分することが町議会で決まってしまいました。彼の命は、もうすぐ途絶えてしまうはずでした。

そんな中、彼の元に活躍当時のファンが訪れました。このことを受け、牧場の場長が初めて彼の競走馬時代の成績を調べました。
そう、その時まで、彼は障害レースで活躍し、賞まで貰えるほどの名馬であることを、町の人は誰も知らなかったのです。

当然、処分の決定は撤回。このことは全国的に報道されたとされていて、彼の元には多く
のファンが訪れることになりました。

そして、1993年6月4日。彼は19歳でその生涯を終えました。

一方、シンボリクリエンスは種牡馬入りすることは叶いませんでした。引退後は馬事公苑に直行し、馬術競技の馬として生活しました。その後、福島県内の高校で「クリエンスグレー」という名をもらい、馬術競技で活躍。大会でも優勝し、順風満帆で幸せな馬生を送っていました。

しかし、2011年。東日本大震災が起こると、もともと在籍していた高校は被災してしまいました。この事により、クリエンスグレーは別な高校に移動することになりました。

これで一安心、と思われたのも束の間のことでした。東日本大震災による影響もあったと思われますが、両高校の資金難により、馬術競技馬クリエンスグレー、もとい障害馬シンボリクリエンスは廃用、処分となりました。関係者は助けるために尽力したとも聞きますが、残念ながら処分を免れることはできなかったようです。

障害レースの馬も名馬だ


どちらも廃用の危機に瀕して、救われた馬、残念ながら助けることができなかった馬。2頭の馬生を俯瞰すると、東日本大震災の混乱の中、人間の生活が第一になってしまうのは仕方ないこととしても、シンボリクリエンスのことを助けることの出来るルートもあったのではないかと考えてしまいます。引退馬協会も2012年には被災馬の支援を活動を行っていたようですし、なんとか生かせなかったのかと第三者ながら無念な気持ちになってしまいます。

しかし、当時の情勢もそうですし、筆者もこの震災で被災しています。この高校の関係者の方を責めることは一切できません。彼が居なくなってもう10年、私たちに出来ることは、「人の為に生きてくれてありがとう」と感謝を伝え、手を合わせることのほかありません。

先日、昨年まで現役だった障害馬のラヴアンドポップも登録を抹消され引退しました。種牡馬になることは出来ず乗馬になるそうですが、行き先は未定のようです。どうにか真っ当な乗馬クラブに行って、幸せな余生を過ごせることを祈っています。

障害重賞は日曜の競馬中継でも放送されていないので、平地の重賞に比べ影が薄いのも否めないかも知れません。けれど、障害レースで走る馬たちも立派な競走馬。種牡馬になれなくとも、せめて重賞を勝っている馬だけでもその後が保証されるようになって欲しい限りです(G2以下の平地重賞の馬でも行先未定の乗馬の馬もいる現状なので難しいのかもしれませんが...)。

おわりに

今回の記事はいかがだったでしょうか。ポジティブな話題かといえばそうでは無いと思いますが、もっと競走馬の余生に関心を持ってくれる人が増えて欲しいなと思いこの記事を書かせていただきました。

私事ですが、来月の中旬には学年末試験があるため更新が途切れる可能性があります。どうか次回の記事まで気長にお待ちください。随時更新記事は更新するかも。

それでは、印度孔雀でした。

参考リンク

テキサスワイポン|競走馬データ - netkeiba.com

テキサスワイポン栄光の蹄跡

シンボリクリエンス|競走馬データ - netkeiba.com


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