インドの旅 珍道中 part3 聖地ベナレスで足るを知る
今回の旅 最終目的地は聖地ベナレス。
多くの観光客が訪れ、インドでも有名な観光地。
メインガートという場所では、毎晩アルティというお祈りが行われています。
ご縁があり、そのメインガートのど真ん中で、指甲花祭にも出演頂いた、Crystal Nada のコンサートを開催する運びとなりました。
ベナレスの街を歩き足るを知る
コンサートの準備や宣伝の為に、ベナレスの街を歩くと、そこには日本では考えられないような光景があります。
手足の無い人、顔が焼けただれた人、目が見えない人
この光景を見ると、多くの日本人の方は驚くことかと思います。
実は、僕はすこし違った感覚を持っています。
非常に個性に溢れた人達であると思っています。
彼らは、そのハンディキャップを収入に変えることを知っていました。
インドでは寺院などで、毎晩振る舞いがありますので、そういった人達は食事を頂くことが出来るので、飢え死にすることは殆どありません。
インドには貧困の人々の為に、シェルターも用意されているので、意図的にそこに住まないという選択をしている人々も沢山います。
そういった人々は、足りない部分をドネーションによってまかなっているのです。
そのドネーションを集める方法は様々で、関心することすらあります。
僕も、毎朝必ずドネーションをさせてもらう人がいます。
彼の声は、何か心に訴えるものがあり、心が和むのです。
そのお礼に、毎日少額ですがドネーションをさせてもらっていました。
格差は是か?非か?
彼らは様々な理由で、一般的な経済生活を営む機会を失った人々ですが、世界のどこにでもそういった人々は存在します。
物質的なものを除いた場合に、もしかすると僕自身も、人間として既に失っているものも多々あるのかもしれません。
どうしても物質・経済を中心に生きていると、もっと沢山、もっと心地よく、もっと美味しく。
そういった欲望が湧き上がってきてしまうものです。
原点として人間が農耕や牧畜を始め、そこに格差は既に存在していました。
米作というのが、日本において歴史上、支配の為に利用されてきたことは誰もが知っている歴史です。
その延長線上に、金融経済が出来上がってきました。
そして、現代の経済格差が構築されていきました。
しかし、その枠組みの外で生きる人々は常に存在していました。
枠組みの中で生きることが幸せなのか?
枠組みの外で生きることが幸せなのか?
その答えは、誰にも解らなし、みんな違うのだと思っています。
格差の是非は様々かと思いますが、僕は経済格差はあって当然だとしても、人生を選択する機会の格差は小さくしていくべきだと感じています。
日本に暮らしているとついつい忘れてしまうこと
僕らは普段、荷物を駅のベンチに置いていても盗まれることは殆どありません。
トイレは衛生的で、食事も安全、24時間何でも買えてしまいます。
これは、凄く便利なことで恵まれていることでもあります。
勿論、その便利さによって失うものはありますが、多くの国の人が羨ましく思っています。
そんな環境に暮らしていると、日々の小さな感謝・思いやり・調和というものを疎かにしてしまいます。
僕の場合は、毎日現場で頑張ってくれているスタッフへの感謝や、
流通に携わってくれている人々への感謝を忘れがちになります。
自分の理想や思いが先行してしまい、調和を乱してしまうことも多々あります。
一見自由奔放に見えるインド人達は、一歩懐に入り込むと、感謝・思いやり・調和を大切に接してくれます。
兄弟のように接してくれる彼らと接することで、とても大切な部分を再認識させてくれます。
そして、また日常に戻り…を繰り返すわけです。