【雑記】詩生活1年目
去年の11月23日、私は「韻文倉庫」という名で詩「挨拶」を発表。静かに細々と、果て無き詩生活を開始した。
ネット上で文芸活動(主に小説)をしていた私が、「大学時代に中原中也の研究をしていた」というだけの不確かな自信を元に、ゼロから詩に本腰を入れて取り組み始めてから1年。忙しい日常の中に詩を書くルーティンが出来てから、私は常に作品のネタと美しい言葉を探しては、ピンキリあれど地道に詩篇を編む日々を送っている。
詩を書き始めてから今までの1年間であるが、割と精神面で平穏が続いている。
ネット小説家時代は執筆上の葛藤や、日夜繰り広げられる不毛な創作論争により、私は常にストレスにさらされていた。これらからの逃避も詩に転向した要因の一つであったので、この平穏は想定通りではあった。
しかし、想定外な事もあった。「作品の迷走」である。
私は自由に色々な題材で詩を書いてきた。恋愛詩から日常の詩、ストーリー性の強い詩まで様々だ。時には世間の反戦論を皮肉った詩や、病気に苦しむ友人の気持ちを代弁した詩も書いた。ただ、色々書きすぎた為に「私はどういった詩を書くのが自身にとって良いのか」と考えてしまい、様々な題材や技法に手を出して、迷走してしまったのである。今は何とか軌道修正しようと、自己分析と先輩方の作品の鑑賞を重ねて、自己創作の研究を行っている。
ただ、それでも詩作は楽しいと思っている。それは嘘ではない。諦めもないし、ネガティブな感情は無い。
だから、急に筆を折って引退宣言し、創作活動を辞める事は当分は無い。ご安心を。
さて、今後だが今以上にクオリティを向上させたい。語彙や表現の多様化させたいし、散文詩にも挑戦したい。公募投稿は「神奈川新聞文学賞」のみ、詩誌投稿も「ココア共和国」のみだったので、様々な公募や詩誌に投稿して、1篇でも多く採用されたい。
ただ、そんな一丁前の欲はあるが、そこに野心があるかと言われるとそうでもない。
自身の創作を冷静沈着に達観し、その上で目標達成への道標を探す。尚且つ、それらのプロセスは最短かつ低負担な方法で達成させ、必要以上のエネルギー消費を避ける。それが自身の美学だ。
自分のペースで続ける静かに平穏な詩生活(偶にスパイスの様な刺激もアリ)を目指して、今後も活動していきたいと思う。
……さて、こうやって長文をつらつらと書くのは良いものの、やはり自分は長文執筆が苦手である(その癖に小説家志望だったのは実に可笑しい事だが)。毎月初めに投稿するX投稿詩まとめのラストに、近況報告的なプチエッセイは書いているものの、「もうちょっと深堀りして書けたなぁ」「少し読みづらいなぁ」と思いながら無理矢理執筆していた。
苦手は苦手のままで良い訳じゃないし、長文書けないと今後の活動の幅も広がらない。なので、可能な限り長文の雑記を投稿していく。幸い、色々と話のネタは揃っているので、後は何とか書いて公開するまで頑張ろうと思っている。
あと来年の抱負とか今後のアレコレとか、色々と書きたい事はあるが、来月の12月7日に誕生日記念の投稿があるので、それまでとっておこうと思う。お楽しみに。
最後になるが、この一年間で様々な方々と交流し、老若男女様々な方と詩を通じて仲間になってきた。この記事を読んでいるであろう貴方たちにも、出会えてよかったと心から思っている。
日々の出会い、日々の発見、そして日々の平穏に感謝をして、詩生活1年目を締めようと思う。
引き続き、詩生活2年目もよろしく。では、また。