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稲田建設の”創業~現在”に至るまで

稲田建設、企画部の稲田(いなた)と申します。

本日はなんと、稲田建設の創業~現在に至るまでの”軌跡”をご紹介します。

上段:元々は屋根仕事をしていた?

稲田建設の創業者である「稲田勝美」は、自然環境に恵まれた島根県大東町で生まれ育ちました。サラリーマン時代は”屋根工事”をやっており、持ち前の明るさとガッツで日々仕事をこなしていく毎日でした。

創業者の稲田勝美

しかし、ある時屋根から周りを見渡した際「これからインフラが整備され、人の行き来や動きが活発になるだろう」と思い立ち、土木工事を中心にやっていくことが未来に繋がると考え、創業をするきっかけとなった。

中段:創業から駆け巡り大きく展開

昭和36年に創業し、土木工事をメインに仕事をスタートさせた。
着実に技術力を身に着け信頼を勝ち取っていった。
昭和40年頃に転機が訪れる。
祖父の仕事ぶりやタイミングがかみ合い中電工専属での建柱工事の誘いをもらう。
そこから建柱工事という今では主力の事業の一つとなった工事をスタートすることとなった。

建柱工事(掘削風景)

躍進はさらに続き、昭和43年8月に法人化し、有限会社稲田建設が誕生した。法人化を機に、大手ゼネコンとの付き合いも広がっていき、拍車をかける。全盛期では従業員数は50人ほど在籍しており、下請けの方々を含めると100人以上毎日稼働していた状況でした。

下段:苦しい時代を乗り越えた先に

このまま順調にいくかに見えたが、”コンクリートから人へ”という時代が到来し、建設業としては非常に厳しい時代が訪れた。

今までともに歩んでいったような企業は体力が持たず、倒れていく中、なんとかあの手この手を駆使して生き残るために試行錯誤した。

父と祖父や社内が一致団結して乗り越えることができたが、綱渡り状態であったと現社長の稲田政美は当時を振り返って話してくれた。

従業員を守り、祖父が繋いでくれた会社を守ると心に誓い、とにかく諦めず現場と経営に全ての力を注いだ。
思いは形となり、苦しい時代を乗り越えることができたのであった。
そこを境に会社の自力と一体感が生まれ、再起することが出来たのです。
この頃から現社長に社長職を祖父は譲り、二人三脚で安定経営を目指し、経営改善をし、今の姿があるのです。

三世代で繋ぐ、次の世代の稲田建設

そして、祖父から父へ、父から私へ、そして私から未来へ、そんな思いを巡らせて、私は日々生活しております。

これから稲田建設では業界改善への取り組みを大きく進めていくために、まずは”インナーブランディング”に力を入れていきます。

稲田建設(新)企業ブランドロゴ

働き方や社内制度・環境を見直し、より活き活きとして働ける職場環境の実現に向け邁進しています。

日々の取り組みや今実際に行っている新たな取り組みなどもnote.で稲田建設の中身を覗けるようにしていきます。

インナーブランディングとは、企業理念や価値を定義し、自社の従業員に対して共感と行動変容を促す活動を指します。

インナーブランディングの軸は、自社のブランドや理念などを従業員一人ひとりが理解・腹落ちするプロセスを通して社員の意識変革・組織の文化変革をしていくことです。

インナーブランディングとは? 株式会社ソフィアより

次回は、私が建設業に携わるようになって感じたことを素直に共有し、少しでも建設業を身近に感じていただくそういう回になればと思っております。

本日もご視聴ありがとうございます。

本日もご安全に!