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苦手な講師

 もう6~7年前の話ですが、ふと「ペン習字を習いたい!」と思いつき、ある講座に通うことにしました。正直、当時の動機をよく覚えていないのですが、特に読めない字で人様にご迷惑をおかけしたことはありませんでした。気まぐれに、単に趣味として始めたくなったのでしょう。

 講師は確か、認定試験の理事か何かをなさっている、業界でも重鎮の方でした。入ってみると、生徒のほとんどはこの方の長年のファンで、お互いのこともよくご存じの様子です。しかし、何とこの方、私にとってはこれまでで最悪の講師となってしまったのです。 

 大人の習い事の場合、理屈を知りたがる生徒はとても多いものです。私の日本語の生徒の中にも、特に理系脳を持つ方々は、文法の規則、ロジック、語源、AとBの違い、例外などを説明すると大満面の笑みを浮かべ、本当に喜びます。

 一方、感覚で教えようとする講師は、生徒に正しく伝わらないことが理解できません。同じ説明を繰り返す、明らかに初耳でも「以前も言った」、皆できるはずだ、考え過ぎだ、そんなことだから駄目だなどと、随分心を痛めました。

 例えばの話ですが、(私は知識も経験もゼロですが)あるヴァイオリンの講師が「ここは子猫が歩くように弾きなさい」と言ったら、生徒はそれをイメージして、その気分を演奏に引き出そうとするのでしょうか。「それでは子熊だ」と言われたら、弾き方がその講師のイメージと違うのでしょう。正直私には、このような難しい例えはきっと理解できないだろうと思いますが。

 肝心のペン習字の話ですが、私がある検定試験の合格を報告した当日、その回の終了時刻まで「あなたはギリギリでの合格だったはずだ」と何度も言われました。私が提出した字は見ていないそうです。私本人は非常に不愉快でしたが、それをわざわざ私に伝える教育的な効果でもあったのでしょうか。実はこの試験、実技問題だけではなく、主に知識を問う選択式の「理論」問題もあるのですが、こちらは満点でした(もちろん講師は聞く耳を持たず)。

 確か10回コースの6回目に差し掛かったとき、次のコースも継続して受けるつもりか、〇✕式で答えなさいと名前のリストが回ってきました。✕を付けた人には早速、えっ?あなた辞めるの?続けないの?どうして~?と聞いていました。私は未定としか答えず、もちろん二度と受講はしませんでした。だって、私自身にやる気がなく、全然上手くならないから。

 もう一つ、この講師の忘れられない一言があります。「有名な人に習いなさい」「私はそうしてきた」と何度か言われました。自分は有名?または成功者?あるいは自分を越えて行けとでも言いたいのでしょうか?教え方が下手(少なくとも生徒が不満)であることに気付かず、この道50年と看板を掲げていて恥ずかしくないのでしょうか。

 そんなことを言ったら、経験がまったくない、または経験が浅い講師はどうやって教える経験を積んでいくのでしょうか。小中学校で働く駆け出しの教師でも、周りに支えられながら本当によく頑張りますし、年齢が近くて情熱的、気軽に相談できるから好きだと言う児童・生徒も多くいるはずです。

 ヨガや水泳のインストラクター、語学の先生、絵画や音楽の講師、みんな同じだと思いますが、30年の経験がある先生が10年目の先生よりも3倍教え方が上手とは限りませんよね。

 例えばご自宅などで自身の看板を掲げ、独自の教え方を語り尽くす分には何も問題はないのでしょうが、ある学校のひと枠を借りて講座を開く限り、相応のマナーは守って欲しいものです。ただし、ある意味こういう方だからこそ社会で成功するのかな?とも思いました。

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