「普通に考えて...」という言葉の捉え方
よく会話で、「普通に考えて、AはXなのだから…」と話をする人をよく見かける。本人は「普通に考えて」自体には強い意味や意志はなく、ほとんど間を埋める「ええと」と同じくらいの使い方で、深く考えずに口にしているのだろうと思う。
この「普通に考えて」に触れた時に、どうしても気になってしまう。目の前で会話は続いていても、一瞬で僕の意識を掴んで離さないパワーワード「普通に考えて」。
なぜ気になるのか
前提条件が気になってしまう
「どんな立場で考えたら?」とか「どんな前提状況が揃ったら?」とか
と次から次へと疑問が浮かんでくる
演繹的に話を進めるためには、最初のスタート地点を自然法則や一般周知事実から始めなければいけない。逆に、個別具体の特殊例をスタート地点としてしまっていてはダメだ。
「普通に考えて」の「普通」に含まれている考えをできるだけ具体的に知っておきたくなるのは、その後の会話の展開や意思決定にとって重要な因子になるかもしれないと思うからだ。
意図が気になってしまう
「(あなたはもう理解してくれてると思うから細かくは説明しない)普通に考えたら…」というように、理解し合えていることを暗示しているように受け取ることもできる。
「普通に考えて」を発した本人からすると、既に理解を深めている信頼の証かもしれないが、言われた側が話についていけてなかったりすると、期待に応えられていないようで焦りを感じることもあるかもしれない。
本当はあんまり意味のない言葉なのに、言外のプレッシャーを与えるかもしれないということで、僕はできるだけ使わないようにしている。(気にしすぎかもしれない)
気になったら聞けばいい
社会に出て起きるシチュエーションの中でも、鼻毛が出てる人と対峙した時と同じくらい難易度が高いと感じている。
今僕ができることとしては「普通に考えて」の部分を丸ごと「FUTSUUNIKANGAETE」といったように意味が通りにくい言葉に脳内変換して、できるだけ瞬発力でスルーするのが精一杯だった。
「どういう場合を考えてました?」 とか 「どういう可能性は排除してますか?」 とか遠慮なく聞いてみるのが大事だと思う。相手へ興味がある姿勢をしっかり見せて、理解の上でコミュニケーションを取りたい気持ちであることを素直に伝えることも大事だろう。
チームの成功循環モデル
正直な質問を通して相手の「普通」と自分の「普通」の重なりを少しずつ増やしていく活動こそが関係の質が作られ、その結果、思考の質の向上にもつながっていくという成功循環モデルを体現するためにも必要な一歩だと思う。
すり合わせがなく「普通」を共有できているチームは一体感が出る。思考ロジックが共有されることにより、インプットが同じであれば大体同じような結論に至りやすくなる。余計なコミュニケーションロスがなく、互いを信頼しながら各自の持ち場に集中することができる。
そんなチームに近づけたい。