書きたいものを書けばいい(?)
9月29日火曜日。
朝から晩まで雨が降ったり止んだり。
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昨年までは、一曲書けたら次にどんな曲を書くか決まっているというのが当たり前だったのだけれど、今年に入ってからだいぶ状況が変わったので、
「はてさて、次は何を書こうか?」と考える時間ができた。
こんなことを考える”余裕”があるのはずっと理想でもあったんだけど、
いざ向き合ってみると、なかなかの難問だった。
なんとか自分なりにやってみたいこと書いてみたいことの優先順位をつけてやってきたけど、
一昨日、リハをした曲のうち1曲は近いうちにレコーディングまでたどり着きそうだったので、少し物事が前進する感じに安心して
「次何書こうかなぁ」とさりげなく言ったら、
夫が迷いなく
「書きたいものを書いたらいいんじゃない?」と返してきた。
たしかに超正論なんですけど、
すかさず、“書きたいものってなんだろう?”という疑問がエンドレスになってしまう。
書きたいものは一見いっぱいあって迷うことないようにも思うんだけれど、実現可能か?とか果たして本当に書きたいものなのか?とか
書きたいものって一言でいっても、
ビッグピクチャーで見た時に”書きたいもの”と、目の前のことを細かく見た時の”書きたいもの”では随分意味が違ってくる。
そんなことを考えてる自分に対して
「四の五の言ってないで、なんでもいいから書けよ!」と言っている自分もいるし、
「いやいや、本当に自分が書きたいものは何なのか考える良い機会だから心ゆくまで悩みたまえ。」と言っている自分もいる。笑
結局のところ、「何食べたい?」と聞いた時、「なんでもいいよ(蓋を開けたらなんでも良くない)」が1番困るように、
“何を書いてもいい(制限はあるようで無い又は無いようだけどある)”
というところに、マクロマイクロともに渋滞してしまっているのだと思う。
機会を与えられたものはもちろん、たとえ自分で作った機会だとしても、次々目の前に迫ってくるものに対して向き合ったりこなしたりするのは、まあまあ簡単なことだったんだと気が付きました。
ゼロ(制限はあるようで無い又は無いようだけどある)から
「自分の書きたいものはなんだ?」と色んなレベルで自分自身に問うてみるのは、大チャンスにも大ピンチにもなりそうです。
しかし、そもそも人類とその他生物の生命の存続には関わらない音楽の話なんだから煮詰まらなくていいということも頭では理解している。
そろそろビッグピクチャーをアップデートする時期だなぁという今日この頃。
その時々でフレキシブルにいられる余白を残したビッグピクチャーを描いてみようと思います。
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エドモンド、雨の日はよく寝る。
しかも舌を出して寝る。
正確には寝ながらだんだん舌が出てくる。
または夢の中でペロペロしていて、ペロペロペ!で止まり出しっぱなしになってしまう。
起きてもしばらく気が付かずそのまま...先っちょが乾燥してきてるわよ...大丈夫かしら。
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