ADHDと思ったらアスペ気味でもあった【WAIS】
ADHD診断を受けたら、知能いわゆるIQを知らされてしまった という話は以前のnoteに書いたが、この診断についていたおまけは、それだけではない。
驚くことに、ASPグレーゾーンの診断もくっついてきた。
問診と知能テストの結果による診断だった。
テストの詳細は割愛するが、知能テストに関しては卓越した言語能力と曖昧な情報処理のできなさ度合いのギャップが、かなり大きいから、という理由。
テスト中に自分でも驚くほど解けず、困り果てたのを覚えている。
ASPとは自閉スペクトラム症/アスペルガー症候群のことで、
かつてはアスペルガーと呼ばれていたが、最近では自閉スペクトラム症と呼ばれている。
特徴は要するに空気が読めなかったり、コミュニケーションが苦手だったり、こだわりが強い特性をもつひとのこと。
詳しくはこんな感じ
参照:https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-03-005.html
一方、「グレーゾーン」というのは、診断がない定常発達と、診断される発達障害の間に位置するひとのこと。
「グレー」かつ「ゾーン」というだけあって、定量的に、この特徴があればASP、なければ定型と区切れるものではなく、特性を少ない個数もっているひとや多くもっているひとの幅がある(=ゾーン)グラデーション(グレー)の中に位置する状態である。
明確な基準がなく曖昧ため、当事者も周りも状態が掴みにくい。そのためか、私自身もまさか当事者だとは思っていなかった。
グレーゾーンの概念をちゃんと理解しておらず、いわゆるASPの人の感じとは違うという理由から定型発達だと自己診断していた。素人判断はよくない。
面白いと思ったのは、能力としては濃淡があるので線引きを設定するのが難しいのだが、その能力の濃淡の結果、社会的にできることとそうでないことには境界があるため、その社会的境界を軸に発達障害かどうかを診断するということができるということ。(参照)
なので、社会的に働く機会がもらえないとかそういった困り事がない自分は、障害とまでは言えない、そんなことらしい。(診断してくれた先生が言ってた。)
診断の有無で何が変わるかといえば、サポートが受けられるかどうかが大きいと思うので、社会的な困りごと軸で決まるというのは至極まっとうな仕組みである。
何事にも当てはまることだが、サポートを受けられるかどうか境界線が敷かれてしまうため、困り感は強いがサポートは受けられないひとはどうしても出てきてしまう。そこに苦しさがあることは間違いなくグレーゾーンのきつさなのかもしれない。難しい問題だ。
割合の話で言うと、発達障害の確立に比べるとグレーゾーンの割合のほうが多い。グレーゾーンと障碍者を合わせると、1割ほどがASP特性をもつ。少ないようで意外と身近にいる存在ということらしい。
大まかに計算すると、30人のクラスであれば3人くらいいるということだ。
まさか自分が
自分の場合グレーゾーンとはいえASPという診断がなされたのは驚きもの。まさか自分が当事者だとは思っていなかった。(クラスの3人のうち1は自分だったのか・・)
とはいえ、ADHDを調べていると併存症としてASP,ADHS,LG(学習障害)は混合して特性を持ち合わせているひとが多いということは知っていた。
さらに、ADHDの話を聞いている中でASPの特性が紹介されていることもよくあるので、全く馴染みがないわけではない。
という事情から、自分が当事者かどうかはさておいて、興味を持ち、関連する書籍を読んだりもしていた。
ただ、この頃から半年以上経っているが、これ以上の自己理解が進んでいない。残念。
なので、今回あらためて診断されてよかった。
同じ情報収集や対策を考えるにしても、「当事者ではないけどな~♪ 」という気持ちと、「自分のことを言っている・自分の特性の話」だ という気持ちとでは、効果に違いが出てくるだろうから。
一度問診によりASPの特性があることを診断されていたがこともあろうか受け入れず、
知能検査の結果再度診断されて、ようやく自分ごととして考えるようになった。
受け入れることを無自覚に拒否していた理由は、①自覚があまりない、②ASPのことをわかっていなかったからだろう。
自覚がないというのは、グレーゾーンらしいのではないだろうか。
周りからもASPだね、と言われたことはないし、その話題になったときにはむしろASPではないんじゃない?と言われることの方が多かった。
ASPは確実に変人扱いされるらしいが、私の場合だと「なんか変」と思われることが多かった。特定のコミュニティにおいて、トップを突っ切って変人ではないものの、なんか変だよな・・・と。
とはいえ、たまに「少し変」と思われるのではなく、確実に思われるので、これがグレーゾーンに対する周りの反応のいちケースなんだろう。
変 という言葉や評価には一生付きまとわれてきたが、それでも学校や会社という社会にそれなりに溶け込めているから、なんとも不思議な立ち位置である。
具体的にどういう特徴があるかというと、正直あまり理解できていない。自分にとっては普通であるため、周りとの差異を気づけずにきている。
ただ、原因の言動や特性はなんであれ、これまでに困り感があることには間違いがない。特に対人関係についてはずっと苦手分野の意識がある。
社会人からだんだんアウトに
学生時代や社会人になっても人間関係でうまくいかないことは間違いなく多かった。しかも、性格的にはそこそこの社交性もあり、おしゃべりが好きで、人間関係の構築が得意そうなのである。
にもかかわらず、特定のシチュエーションでは、孤立するのだ。不思議。
ずっと悩んでいたわけではなく、学生時代はコミュニティにおいては一匹狼になって本とお友達をやっていたので、特段問題がなかった。一定のさみしさがないといえばうそになるが、さほど友達が欲しいとも思っていなかった。
大学生になっても、クラスやゼミに仲が良い友達がいなかったとしても、最初は「友達ができない…(´Д⊂グスン」って感じだったけど、諦めてマイペースに過ごしていた。
だが会社に入ってからは専門知識もない新人としては、わからないことを質問したり、タスクを受領したりと、同僚や上司とのコラボレーションは必須。学生の頃のように孤立させてもらえなかった。
プライベートで仲良くせずに業務上のやりとりだけだったとしても、人間同士のやり取りである以上、簡単に割り切れるものではなく、人間同士の付き合いのなさは、信頼の構築につながらず、業務上の連携にも問題が生じる。
その結果、パフォーマンスを出しにくい環境になっていた。
周りに相談しても、友人とは仲良くしているので、会社でだけコミュニケーションがうまくいかないのは不思議だねぇと、私と同様に不思議がられる。
グレーゾーンなだけあって、誰とでもうまくいくわけではないものの発達凸凹の相性として一部のひととは仲良くなれる。
そういうわけで、その相性の良いひとたちとは問題が生じないために、何が起きているのかが把握しづらかった。
グレーゾーンとわかったことをきっかけに、コミュニケーションで抱えてきた問題は、多かれ少なかれASPの特性と関係があるんだろうとわかったことで、解決の糸口がわかってよかった。
そして、それで終わらせず、自分はどういう特性を持っていて、どういう問題が起きているのか、そこにどう対処することができるのか、理解したい。
グレーゾーンのつらさと強さ
グレーゾーンの悩みというテーマの書籍やYoutubeの動画をよく見る。
(自分の関心に寄せられているだけかもしれないが)
なぜグレーがこんなにも話題になるのか不思議だったが仮説が立った。
人口比率発達障害者よりも多く、また社会的な適合のしやすさが比較的容易。
その結果世の中に主張がしやすいし、主張する人が多いというのがあるんだろう。
グレーゾーンのために障害と診断されないから大変なんだ、という主張をすることはとても自由だが、グレーゾーンだから、発達障害の診断を受けたひと比較して同じようにつらいとか、診断されたほうが良かったと主張をする等することは個人的には避けたい。
なぜなら、障害を持つ人に比べたらマジョリティだし、発達障碍当事者の困難さを、比較することで矮小化したり、ASPのテーマにおける主役(軽度重度とか関係なく、みんな主役だから)から外へ押しやってしまうことになりかねないから。
自分はいまの関心ごととしてグレーゾーンの困り感を解消していくかが重要であるが、そのせいで誰かを貶めたりはしたくない。
マイノリティ、マジョリティだけじゃなくって、グレーゾーンがあるように、現実はグラデーションなことが多い。きれいごとかもしれないけど、社会的取組に線を引くのは仕方がないが、認識の上ではグラデーションはグラデーションとして理解したい。
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▶知能検査を受けた話しはこちら
知能検査してマジでよかった。【WAIS4】|いなり (note.com)
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