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はみでた心のおさめ方

前のnoteで、気持ちを分かち合えることがいかにすてきなことか気づいたはなしをした。

だけど溢れるほどの気持ちとか、
惚れ惚れする恍惚さとか、
分かち合うのがとても難しいときがある。

分かち合えないときどうしたらいいか、
そのヒントを受け取った話。



久しぶりに、とても好きな映画に出会った。

心が揺さぶられて、
感動して、
観終わったら
「ふぁーっ」って心の中に
心地よさとか、神秘さとかが広がって。
静かにきらっきらしてて。

ひとりで家で観てたから、
この気持ちを一緒に分かち合うひとはいなくて。

どうしたらいいかな。

映画はひとりで観にいくことが多い。
人と観に行っても、
どうしても同じ感覚で心地よく分かち合うのはむずかしいから。

「そういう視点、感覚もあるね」ってするのは
自分の気持ちを堪能しきったらにしたい。

まずは感じたことを全身で受け止めて、
特別な気持ちを楽しみきりたい。

佐渡でこの悩みが深く解消された。
不便な島なのに。

佐渡の映画館は、
そういう意味で日本一すてきな劇場だと思ってる。(いなり調べ 2022.10月現在)

「ガシマシネマ」っていう、
佐渡で唯一の映画館。

佐渡の中でもいなかにあたる町の
坂の上にある。
金を運んでいた歴史ある坂道。

映画を観終えた後の何とも言えない気持ちを、
人気の少ない、静かな町が受け止めてくれる。

特に、夏をすぎた頃が良くて、
いちにち2回の上映のうち、
2回目は18時半ごろに終わるから
ちょうど日暮れころ。

夕日に照らされた海が、
「美しい無」の状態で待ち構えてくれる。

風も気持ちよくて、石の階段にこしかけて、
しばらく佇んで海を眺めてたら、
なんとかはみ出そうな気持ちが体におさまっていく

上映後の時間も含めて、大好きな劇場。

東京にすんでたころは
繁華街のシネマからエレベーターを降りた後の、
違う音が流れてる感、
違う温度が漂ってる感、
とにかく違う感が強くて

その空気に馴染むために
自分の気持ちを早く整理しないといけないのがにがてだった。

だから、比較的静かなオフィス街の深夜帯の上映に行って、
静かに1時間くらい散歩して帰ったりしてた。
思い返すと、結構よかった。

今回は劇場ではなく、家の中。

自然は無くて、
ドアを開けたら違う世界がやってくるのは
わかりきっている。

「無」もしくは「夢」なら
同じ世界観が繋がってる気がして寝た。

寝入りはとても心地よかったけど
寝たら無意識だから享受してる感覚はない。

どうしたらいい。

起きても結局収まり切らなくて
その映画を観てない友達に溢れさせた。
半ばどうしようもなく、
小さくても厚い堰を切った。

作品への共感はなくても
想い自体をとても受け取ってくれた。
想いを乗せた言葉を受け取ってくれた。
おかげで、心が体に治まった。

収まるというか、もはや治まる。
ありがたい。

佐渡の景色でおさめていくのは、
調えるに近い。

それが難しいときは
とりあえず治めておく。 

今回のように、無意識に信頼して堰を切らしてくれるのは稀有だ。

恍惚とした気持ちの治めかたに再現性を持たせるには積極的に信頼していくのがいいのかな。


受け取ってくれるって信じてみるのがいいかな。

受け止めるまで行くと少しハードルは高いから
受け取るくらいで。

大切なことは不確実なことにあるって
近内悠太さんも言ってたし。(贈与論のひと。)

想いが強ければ強いほど
寄り添えないって逃げてしまうことが多いけど

受け取るなら
寄り添う必要も、
受け止め切ることも必要なくて、

受け止め切る責任があるときもあるけど
そうじゃない時もあるから

それなら一旦受け取ってみる。
無理ならそのあと手放すっていうのでも
心の一部は受け止めてもらえていいのかも。

その時は
佐渡でみる海がみたいに、空みたいに
「美しい無」でいるのがいいかな。

人だし、無以上の期待があるよな。
うーん。

別の問いがはじまってしまうので
止めとこう。

ぼんぼやーじゅ⛵️

参考:「燃ゆる女の肖像(字幕版)」

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