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【編集後記】加藤公章インタビュー

みなさんこんにちは、IN&OUT編集部の阿部です。

毎度、路上から失礼します。

IN&OUTが始まってちょうど2ヶ月。いつもインタビューコラムをご覧いただき、ありがとうございます。

この度、新たな試みとして、noteというWEBサービスを利用して、各インタビュー記事の『編集後記』一部有料限定公開することになりました。

本編のインタビューでは対象者の声を届けることを主軸としているため、なるべく取材班の主観や感情は排除して記事を作成していますが、現場では毎回様々な雑談が行われ、時には予期せぬハプニングが発生するなど、記事にはならないような出来事がたくさん起こっています。

この編集後記では、そういった取材の〝裏側〟をはじめ、インタビューに至った経緯や取材時の感想などを、お伝えしていければと思っています。

なお、今回に関しては初回ということで全編無料での公開となります。「編集後記ってどんな感じなのかな?」と気楽に覗いていただければありがたいです。ページの最後には「この続きをみるにはログインまたは会員登録をしてノートを購入してください。金額 100 円」という表示がありますが、今回は最後まで無料公開なので、その先には記事や写真はありません。ご注意ください。

第1回目としてお届けするのは先週公開された、加藤公章さんインタビューの編集後記。IN&OUTとしては過去最高のPV数を達成したインタビューです。インタビュー自体はお盆に行われたものですが、撮影を担当した妹尾が終了後に「いやぁ、いい話聞けたわぁ!」と興奮気味に語っていたのをよく覚えています。

僕が加藤さんと話をしたのは今回のインタビューが初めてだったんですが、実は高校生の頃に会ってはいるんですよね。というのも、インタビューの中にもあったように、加藤さんは高専時代に『DU』というバンドで活動しており、僕はそのライブを何度も見に行っていたんです。場所は有斗高校の近くにあった『Bay City's Street』というライブハウス。当時、IN&OUTのメンバーと遊んでいた場所でもあり、僕としては非常に思い入れのあるライブハウスだったので、その頃の様子は今でもよく覚えています。

今回の編集後記は、その辺りの話から書いてみようと思います。

高校時代の僕はパンクカルチャーにどっぷりとハマっていました。今思えば親にメシを食わせてもらって、何ひとつ不自由のない生活をしていた時点で、自分の中に抱えていた社会に対する不満も反骨精神も表層的だったと言わざるを得ませんが、それでも何者にも脅かされることのない自由を追い求めるべきだと真剣に考えていたし、それが正しい生き方だと信じていました。ひたすら純粋に、パンクの〝カッコよさ〟に心酔していたんだと思います。

当時、函館にはパンクシーンなるものが存在し、一定の盛り上がりをみせていました。僕はライブハウスに行くのがとにかく楽しみで、そこで騒ぎ、知り合った仲間から新しい音楽の情報を聞くのが何よりの刺激でした。ライブでいかに大騒ぎして、いかに汗をかくかが、充実度に直結していて、いつもグショグショになったTシャツを誇らしげに持ち帰っていた記憶があります。親からしたら「パンク? 自由? それがなんでグショグショなTシャツに繋がるわけ?」って感じだったと思いますが(笑)。

そんな函館のパンクシーンの中でも、僕が特に夢中になっていたのが『BLANK FISHER』というバンドと、加藤さん改め公章くんがやっていた『DU』というバンドだったのです。

当時、一観客だった僕は、公章くんに対して〝DUの人〟という感覚しか持ち合わせていませんでした。あくまでバンドの人といった感じで、個人的な接点を持つこともなかったわけです。フロアから見る彼はずいぶんと大人びて見えましたが、僕と同い年だと知ったのは、IN&OUTのインタビューが決まってからのことでした。

あれから約15年、インタビューに向かう車の中で僕が少し緊張していたのは久々に〝DUの人〟に会うからではありません。隣で運転するケイ(妹尾)が「いやぁ、緊張するわー」と連呼していたのが一番の要因です。その理由を聞くと「公章さん恐いんだよね。中途半端な感じとか絶対許さない人だから」とのこと。インタビューを終えた今なら、彼の不安も察することができます。確かに、中途半端な感じとか許さない人ですもんね(笑)。一方で、ケイと公章くんは、当時から親交があり、お互い個人事業主ということもあってか、今でもいろんな話をしているようで、「公章さんのインタビューは絶対にしたほうがいい」と言い出したのもケイでした。

BOTAN』に到着すると、そこには〝花屋〟のイメージを覆す不思議な空間が広がっていました。整然と並べられた棚には、ガラス瓶や陶器の器がきちんと収められ、床から天井まで見たこともないような草花に囲まれていたのです。まるでジブリ映画に登場しそうなお店で僕らを迎えてくれたのは、15年前の記憶よりも幾分穏やかな印象になった公章くんでした。

「はじめまして! いや、厳密にいえば初めてじゃないんですけどね。」といった、ぎこちないあいさつを交わし、妙な緊張感がある中でインタビューは始まりました。

当時の公章くんは少し近寄りがたい雰囲気もあったと思います。しかし、初めて話す彼は実に誠実な印象で、場の空気は徐々に和んでいきました。それと同時に、公章くんの方も少しずつ心を開いていったのか、言葉には鋭さが宿り始めました。公章くんが口にする言葉ひとつひとつに、僕は「この人は花屋だけど、根本的にはパンクスだ」という認識を強め、バンドは辞めたのに基本的なスタンスはパンクのままブレてない人だという確信に至りました。「花を愛で、パンクを貫く」というインタビューの見出しが思い浮かんだのも、この時です。

そして、最も驚かされたのがインタビュー後のアクション。なんと、IN&OUTのためにわざわざ花を作ってくれたんです。それがコチラ。

なんという心意気! 愛のあるパンクスというのは、どうしてこうもカッコイイのでしょうか。気持ちを鼓舞されたようで、やる気が漲りました。

来年からは元町に移転する予定だという『BOTAN』。パンクスピリッツを貫く公章くんが、これから函館でどんな花屋を作っていくのか、嫌が応にも期待が高まります。移転後の動向もコラムやインスタなどでお伝えしていければと思います。


次回は、人気ブログ『隠居系男子』や、これからの暮らしを考えるウェブメディア『灯台もと暮らし』を運営する鳥井弘文さんのインタビュー公開を予定しています。どうぞ、ご期待ください!

※以下に「この続きをみるにはログインまたは会員登録をしてノートを購入してください。金額 100 円」という表記がありますが、前述の通り、この先には一切の文章や写真がありません。初回ということで、全編無料で公開いたしました。もちろん、「読んでみて面白かったから!」といった投げ銭は大歓迎です! 最後まで読んでいただきありがとうございました。次回からの編集後記もよろしくお願いします!

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