えにし
えにし、去年中頃から親友ENFPのお気に入りワード。こいつ毎年変な言葉をマイブームしてるから見てて飽きん。
「そんなん、えにしがなかっただけです」
真顔で言うからくそおもろい。
縁と書いて、えにしと読むらしい。
調べると、えんは通常のご縁を指し、えにしは主に男女間のことを指すらしいが、あいつは絶対にそんなこと知らない。100万賭けても良い。
えにし、聞けば俺の話を聞いてて閃いたらしい。
「無鉄砲やるのはいいけど、自分から穴場探して突撃ばっかしてたら良縁逃すぞ。あ、下ネタじゃないからな。まあ下の方も同じか。とりあえずお前の素行全般の話。」
ってよく指摘してたので、それのことを言ってるのだと思う。
まあENFPの話は一旦いい。
このえにし、自分はかなり大事にしてる。世間では一期一会とかって言葉で親しまれてるやつ。
自分の場合は自分の感情というか本能というか、そういう強いエネルギーのはけ口をどれだけ上手に見つけられるかで良縁とは決まって行くのである、みたいなのをENTPの人達をこれまで見てきて強く感じている。あいつらは天然の風水師という理解。特に女性のENTP。
一応男女関係なくすべての縁に対して気をつけているけども、根っこはオスとメスという性質をかなり重視してる。この世の森羅万象すべてに自分は自分なりのオスメスラベリングを付与してる。
そのオスメスラベリングを正しく理解してその対象にどちらのラベルをプレゼントするのか、それを考えることが最早自分にとっての生きがいと言っても過言ではない。こんなことを言ってるから、お前は性欲マシーンだとか痴れ犬だとか言われるのだろうが、もうそれで結構である。別に恥ずかしさの欠片も感じていない。
自分に言わせれば、このオスメスラベリングの設定ミスがすべてのえにしを破綻させる原因だと思っている。だからえにしマスターを目指して生きている。くどいが、自分にとってこの世界はオスかメスしかいないのだ。最近トランプ大統領が似たようなこと言ってて吹き出した。
振り返ってみて、自分は周囲と比べて性欲が強いらしい。周囲と定期的に下世話な話になると、周囲の人間の性欲が低すぎてびっくりさせられる。だからといって下半身ちゃんぽらんマシーンかと言われるとそんなことないと思ってる。性欲というものの偉大さも矮小さも同じくらい理解しているので、本当にアウトなラインを踏み外したことは数えるくらいしかない。
そんなスタンスなので、自分はこの性欲をどのように発散させるかをよく考える。要は何かのアウトプットでテキトーに発散してやればいいのだ。若い頃はそれが下手だから車を暴走させて死にかけたりしたし、そんな蛮行でたくさんの人を泣かせてしまった。それが辛すぎたのでちゃんと自省できるようになった。
このマインドは自分の人間関係によく表れてる。自分の本質は心身共にオス一色だと思ってるが、初手の他人への振る舞いはかなりメスである。
なぜか。色んな所で言ってるが、力を持て余してるだけで別に我欲が無いから、大抵の物事は攻め受けでいうと受けに回れることに由来する。まずは何一つ判断を挟まずに一旦全部受け止める。その上で相手のオスメスラベリングをその人のあらゆる心理に付与してツボを刺激する。そうすれば相手が喜んでくれる。失敗した場合は謝って始めからリセットを試みる。それを繰り返している内に仲良くなれる。
自分は関わってきた人間の母数自体それなりにある方だと思うが、これが面白いことに大半の人間はほとんどのことにおいてメスラベリング一色なのだ。受けの天才とも言えるだろう。裏を返せば、オスラベルをプレゼントできる人間であるだけで面白いほどすべてが上手くいく。
なので、たまに女性だけどオスラベリングをたくさん持っている人を見かけると、本当に軌跡に遭遇した気持ちになる。実際の所、最初の方で言った通り自分はオス一色に限りなく近いので相性が良いかと言われると慣れの問題もあって関わる難易度は高いのだが。気を抜くと鹿同士が角のぶつけ合いをしているような状況になりかねない。女をナメるななどと何度顰蹙を買ってきたかなんて数え切れない。実際はそれほどナメてないのだが、まあそれはいい。
この難しさだが、他生物の自然性転換のようなものが人間関係で発生する所にある。誤解が無い様に言うとLGBTの話をしたいわけじゃない。オス同士、メス同士の性質を持つ者同士が一定時間接触すると、どちらかが逆の性質に変質するというだけのこと。それが出来なかった場合に自身の性質を譲れなくて起こるのが喧嘩だと思っている。
それで、どこかでも書いたが、自分は基本的に一度喧嘩すればいいと思っている。大きな喧嘩はしない方が心の健康にいいのは間違いないが、同じ性質をぶつけ合って、どちらがオスとメスをやるのか互いに理解すればいいのである。これが世間で女性が口々にする話し合いの大切さだと自分は理解している。まあ自分のはそれを少しアクロバティックにした程度だと思えば可愛く見えてくるんじゃないかと思う。そういえば最近アクロバティックさらさらとかいうおっかねえキャラいたな。語感だけで言えば文脈にぴったりだね。アクロバティック(喧嘩)してさらさら〜(和解)って。
基本的にはこれで乗り切れるのだが、こと自分においてはそれでも難しいと感じる瞬間があって、自分がたくさんメスに性転換しなきゃいけないときである。ネテロじゃないけど、人に差し出された手を受け取る所までは出来るが、
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これとの葛藤が始まる。
歳を重ねて、相手が喜んでくれるからまあいいかと譲れることが増えたが、相手があまりにもオスオスしてると、たまにショートするのだ。
なぜそんな課題にぶち当たるのか、真剣に考えてみたが、今のところ、自分がよく言ってる我欲の無さが問題である、という結論に落ち着いてる。
基本的にメスの性質とは、強い感情から発生するものだと思っている。物や現象、権利などに対して強い思い入れがあった場合にそれを施してくれる誰かを欲する、そういう理解をしている。自分の場合、正直生きててそんなものが発生したことがないので、このメスの性質を体現するにはかなり相性が悪いのである。要はたくさん何かされても相応の反応ができない。むしろ困る。
よくあなたはSですかMですかと聞かれるけど、多分ドSかドMのどちらかまたはその両方だと自分で思っている。相手の期待に応えたいという気持ちが強い所はドSと言えるし、相手の期待がなければ最早空気同然の存在になるあたりが見方によっては究極の受け身なのでドMである。どこまでも他人軸の極み。生粋のテイカーこそが自分と真に上手く関われる。
これを現実に当てはめると、とにかく人にワガママを言われるのが大好きなのである。自分と関わっている相手は、初手においてとにかくワガママを言わなきゃいけない。大抵の人はそんなの子供時代に卒業しているので、ワガママを言える人の方が少ない。だから、こちらからきっかけを作る。それでも頑なになる人は色々と複雑な事情があるか、自分と同族かである。この場合は正直どうしようもない。
なので、自分はあらゆるオスをメスに変形させるのが最早趣味と言っても過言ではない。誤解が無い様に言っておくと、別に人を弄んでいるわけではなく至って真剣なのである。
それで一体何の話がしたかったと言うと、
「あなたのオスとメスを見極めることが出来るほど、あなたのえにしはよくなるかもです」
「さかもとのようなオス特化型も稀に存在するので、ワガママ言いまくれる人間は世界のどこかにちゃんといますので安心してください」
これを言いたかった。
わざわざ語るようなことでも無かった気がするけど、この発想がなかった人は一度試してみてもいいかもしれません。
おわり