コミッター

「◯日遊ぼうよ」

「◯日までに終わらせて」

「俺達友達だろ」

「私達って恋人だよね?」

「結婚したい」


人は約束事が大好きなんだなと思う。

寄る年波に合わせて自分の顔を変えていくのは賢いことであると三島由紀夫も言ってるし、それはそうなんだろう。


では、それほど人は賢くありたいものなのだろうか。

そうなるべく生きている人がたくさん居るのは事実なので、簡単に否定できるようなことでもないだろう。


自分を振り返ってみると、それほど賢い人間でありたいと思ったことはないような気がしてる。

賢い人間に憧れてスノッブが如く色々勉強に手を出したこともあったけど、なりたいからってよりも、賢い人間を見て実利的な焦りに駆り立てられてやっていただけのように思う。なぜなら、別にそれまで自主的にあれやこれやと物事を研究するような人間ってほどでもなかったから。

自分がやった研究じみたことといえば、周囲の人間はどんな人間がいるか博物的に記録してその動機を理解したり、校庭裏に放し飼いされていたヌシ(鯉)をどうやれば一本釣りできるか実験したり、人に不快感を与えないためにはどんな作法が必要であるか検証したり、大嫌いな虫とどのように共存していけばいいか限界まで共に生活を送ってみたり、せいぜいそんなものだと思う。

その時々に応じて必要を感じる知識経験は山程あるけど、それを持ち続けてなければいけないと思うことはほとんどない。あくまでその課題が達成されれば十分だったりする。

よく、新しい経験を獲得して見える視野が広がってそれこそ生きがいであるみたいな感想を見かけるけども、分かるようであんま分かってない気がする。視野が広がっていい気持ちになれる所までは同じで、その後の生きがいとかはよくわからない。気持ちよかっただけある。それを元手に未来にこうしてやろうとかも金稼ぎくらいでしか考えもしない。


信用という言葉を大人になるとたくさん耳にする。

自分も説教じみたことを他人に言う時は便利だからそんな言い方をしたりもするけど、正直そんな貯金的な考え方をしてもいない。

他人を自分の側に置いておきたいならば、その時に声をかけたり、かけられやすい振る舞いをするだけである。それで上手くいかなかったらツキが無かったのだろうと思う。

他人はこれまでの自分の振る舞いを総合的に鑑みて関わるに値するとかしないとか判断してるのだろう。その点は自分も無意識にやってるし人類の共通言語だったりするのかもしれない。相手が気になるかという観点においてだけは非常に共感できる。

ただ、やっぱり他人の未来に対してよく分からない盲言で約束を取り付けて安心できる気になれる感覚は分からない。どこを眺めて話をしてるのかと素朴に疑問を抱いたりする。

それほどまでに魅力的な相手に巡り会えているという意味では他人が少し羨ましかったりするが、そういった契約を結んでいる人で楽しそうにしている人をあまり見たことがないので、当事者も色々と持て余してるのだろうなと思う。なんなら人間同士のトラブルとは概ね契約事じゃないだろうかとすら思う。


怒るとか怒らないとかいう話も似たような話だと思う。

他人への期待が現実と異なったとき、怒りとして相手を操作しようとする。

面白いのが、さっきから散々と能面のようなことを言っておきながら、自分はしょっちゅう反射的に苛ついたりキレたりしてるので、勝手に相手に契約を強いているということだろう。

ただ、この怒りの消費期限が自分と他人でかなり異なることもよく感じる。

自分のは最早発作というか癇癪というか、大概のことは1回寝て起きれば消費期限を迎える。その場で不快だったからそれをぶつけただけである。

怒ってはいるので、一応その瞬間は何かしらの改善を他人に望んでいるのだろうけど、寝て忘れるくらいだから悪魔か何かに一時的に取り憑かれた程度のものなんだろうと思ってる。

直前まで爆笑してたのに3秒後にはブチギレてるやばい奴だと身内には思われてネタにされるのだが、自分でもよくわからない。

そんなに怒るならもっと信念じみたものであれとでも他人は自分に対して言いたげだけども、ここでもやっぱり人は理由というか意味というか大義を大切にしているのだと感じる。キレてきたから真摯に向き合ってやったのに翌日にはケロッとしてるのだから骨折り損のくたびれ儲けという感じなんだろう。

そんな顔をされると流石に申し訳なくなったりもする。


逆になぜそんなに脳筋で淡白なのだとか聞かれたこともある。

それっぽい理由がないかちょっと考えてみたけど、感情とは長時間保管しておくとそれが前向きなものだろうが暗いものだろうがシンプルに疲れるからだろうという結論にしかならない。

それが仮に正しいとして、他人はそんな難しいことをやっているのだからシンプルにすげーなと思う。

それが自分の身の丈に合ってればやってもいいなと思うけども、無理そうだからやっぱいいやとなる。


ただ、キレずに穏やか過ぎる人間になってしまうとそれはそれでつまらん生き方かもしれないとも思ったりする。

「うた恋い。」っていう古文漫画で清少納言が「他人に期待なんかするから悲しくなるのよ」って言ってて、それを聞いたなんとかって人が「傷つかないけど、分かり合える楽しみも減るよ」って言ってて本当にそう思う。

悲しまないで済むように予防線を張るのではなくて、悲しみながらたまに起きる楽しみを目一杯楽しんで生きたいと自分は思う。

人と遊ぶなら、会うまでに待ち合わせ場所や時間のすり合わせは必要だったりするし、短い約束は何かにつけて必要なんだと思う。

そのくらいの距離感で関わっていきたい。


約束を自分から作るのが怖いのはなぜかと考えたけど、決まってしまうことで失う何かへの怖さより、不自然さが気持ち悪くて生きてる心地がしないからってのがしっくり来てる。

そもそも守るものなど現状抱えてないし、積み上げてきたものもそれほどないから損得的に怖い方がおかしい。

というか積み上げてきたとしてきっとそんなに守りたいものでも無かったりする気がしてる。

こんなんでいつか自分は誰かにプロポーズとか出来るのだろうか。

恋人という肩書を自ら提案することすらかなり抵抗あるというのに。


代わりと言ってはなんだけど、約束を無下にしたことはない。

賃貸とかで途中解約したりはあるけど、金で解決してるし、その辺はセーフってことにしてる。

恋人が居たときに浮気したこともない。

友達を人に売ったりもしない。

相手が大義が好きな人なら気が済むまで付き合おうと思う。

約束を作れないなら、せめて結んだ約束だけは守れる人間であろうとは思う。


蛇足だけども、今まで聞いたことあるアニソンで一番自分っぽいなって思った曲がこれかもと思った。

歌詞見れば分かる通り、大したことなんて言ってない。

心地よいリズムとメロディーで刹那的に誰かと踊り狂って生きていたいだけなんだと思う。


オワり

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