どうやら自分は親ガチャでSSRではなくとも、SRくらいは引いてるらしい⑧
↓これの続き
https://note.com/inanakirentora/n/na762e3fdd804
けじめ
それから、時は進んで、6年生。
巨漢のやつとユウイチ君にはもうやり返そうなどという気力はなかった。
なぜなら、今度は彼らがおもちゃ側にされていたからだ。
それを見てると、これ以上自分の手でこいつらに何かしなくても十分しんどい目には遭ってるし、もういいやって気分になった。
梨泰院クラスを履修済みの今となっては、
に心底共感してる自分としては意に反するが、このときの自分がこの通り決行しなくてよかったと思う。
というか、それ以上何かしたら、自殺でもするかもしれないくらいに彼らはズタボロだった。
時が進んだ彼らの勢力争いは相変わらず続いていて(ほんと、よくやるよなw)、上記二人とショウマ君で三つ巴になっていた。
そこへ、クラスの女子達の言論を束ねて総力戦に持ち込んだショウマ君が最上位に抜きん出たというわけだ。
まあ、自分には関係のない話だ。
自分はというと、
小学5年生に上がる頃には、所属していたサッカーチームが大人の事情で無くなってしまったので、もうかれこれ2年くらい放課後は暇していたわけだが、この頃はこの頃で、別の忙しさがあった。
クラスにはキヅク(ISTP)という自分と同じくらい問題児認定されている喧嘩っ早いやつがいて、そこそこ仲が良かったが、こいつが世話の焼けるやつだった。
少し前に登場した児童会時代の馴染で、キヅクにはリョウ君(INTJ)という1個上の兄がおり、リョウ君と自分はとても仲が良かった。
学年が違うので、リョウ君がいないとき、癇癪持ちのキヅクを抑える係を私はリョウ君から頼まれていた。
まあ、事ある毎にキヅクはよく暴走した。
根はとても優しいのだが、曲がったことが嫌いで、先生が適当ぶっこく度に反発するし、それを押さえつけようとする先生のムーブが更に事を加速させる。
我慢の限界に達するとキヅクは泣きながら暴走し、教室を脱走しては、そこら中にあるものを破壊し始める。その結論だけを見ると、まあ、どう考えてもたちが悪い。
校内校外問わず、先生のポジションが他所の年上の兄ちゃんとか父ちゃんに変わったりするだけで、キヅクといると大体そんな展開になるのだが、もちろん同席してる自分もとばっちりを食う。
キヅクは発育が早く、その辺の大人と変わらない体格だったこともあって、暴走すると、発育が始まってない自分では物理的に止められるような相手ではなかった。
それでも自分の言葉は割と真っ直ぐ受け入れてくれることもあって、リョウくんは自分を見張り役に抜擢したのだと思う。
まあそれはそれで。
キヅクが暴走した後始末となると、多少の武力介入が必ず発生するので、結果的にキヅクの暴走先の相手と喧嘩に発展することもある。
そのツケとして、ほぼ週3で家庭訪問されることになり、母にはとんでもなく迷惑をかけた。
そのときの担任はミヤモト先生(ISTJ)というのだが、かなりのカタブツなのもあって、母親からの評判は最悪だった。
「あいつ、私の彼氏かよ、家来すぎじゃね」
流石に笑ったが、普通に申し訳なかった。
とはいえ、冷静に考えて、40歳を超えているおっさんが、いくら生徒の不祥事という大義名分はあれど、まだ30代前半のシングルマザーの家に週3訪問してる事実は、キモすぎて逆に面白かった。
この頃にはキヅクと自分の周りに変な取り巻きが出来上がっていて、こいつらがとにかくキヅクの暴走を面白がる悪ノリが過ぎる奴らだった。
こいつらがいなければ確実にミヤモトの家庭訪問率を40%は削減できたと思ってる。
それで何か起きると、すべてをいい感じにキヅクと自分の所為にして逃げ出し、結果、ミヤモトの家庭訪問を食らうのは自分とキヅクになり、それを見てクスクス笑ってるわけだ。
全く信用できないやつらだが、まあ、それでもそいつらとも普通に遊んだ。
ミヤモトだが、かなりのカタブツではあるものの、ゲーム少年だった我々とはモンハンという趣味で繋がれる部分もあり、放課後によく一狩り行った仲でもある。
てんやわんやの日常の中に穏やかさもあり、あれはあれで楽しかった。
このまま中学へと穏やかに進んでも良かったのだが(というかそのつもりだったのだが)、結果そうはならなかった。
卒業前日、最後の給食。
ショウマ君と自分は同じくして給食当番だった。
給食当番とは、給食センターから運ばれてくる各クラスの給食を自教室まで運び、クラスの皆にご飯をよそって配膳し、食べた後の後片付けを行うことをいう。
給食後の後片付けにて、食器やらを持ち、階段を駆け下りようとしたときだった。
目の前にショウマ君がいた。
心に閉じ込めてたアツいものが込み上げてきた。
「全部、こいつから始まったよな、けじめだ」
そう思うと同時に体が動いていた。
勢いよく走り、ショウマ君を後ろからドロップキックして、階段から突き落とした。
勢いよく彼は階段から落ちた。
手に持っていた食器類は、大きな音を立ててそこら中に散らかった。
普通に考えれば大怪我だが、なんとなく、怪我なんてするわけがないと思ったし、結果少なくとも突き落としたことで彼は怪我しなかった。(今思えば不思議でしかないが事実だ)
階段から落ちてすぐ、体制を立て直したショウマ君は勢いよく私を殴った。
ちゃんと数えてないが、これまで30回以上は取っ組み合いをしてきた私の経験上、一番まともに効いた拳だった。
すかさずやり返した。
時間にして30秒くらいだった思うが、すぐにそれを見ていたクラスの女の子が先生を呼んだため、ことはすぐに収集された。
一通り先生に怒られた後、お互い、アザと擦り傷だらけで教室に戻った。
品行方正な秀才学級委員長で通ってるショウマ君が卒業前日に喧嘩したことへのショックと、その相手が学年一の問題児であった事実の掛け算が皆の中で余程のことだったらしい、皆が放心していたあの顔ぶれを今でもはっきり覚えている。
先生には、突発的に発生した喧嘩であるとショウマ君が説得し、親を呼び出す事態にはならなかった。
頭の冴えるショウマ君としては面倒事を作りたくなかったのだろう。
先生に怒られている間、なぜショウマ君はこれまでコスい手でしか私に攻撃してこなかったんだろうか、と考える。
彼と喧嘩して真っ先に思ったのは、彼は普通に喧嘩が強いということだった。
決して洗練された戦い方とかではないけど、多分大抵のやつらに勝てるくらいに強かった。
そんなに強いなら全部タイマンで下僕を従えていけばいいのに、何をそんな面倒なやり方でやってるんだと。
考えて行き着いたのは、彼は臆病者だというシンプルな結論で、興が冷めた。
どうでもよくなったので、それ以上考えるのをやめた。
もちろん、その時、先生の言ってたことなど覚えてるはずもない。
私は放課後先生に呼び出され、中学進級を認めるわけにいかないかもしれないと言われたが、条件付きで進学できることになった。
多分その場で決まったようなことではなく、これまでに何度も話が挙がっていて、既に決まっていたことを釘を刺すように言ってきただけだ。
条件とは、
・進学先では必ず運動部に所属すること
・絶対に暴力沙汰を起こさないこと
・進学先では3年間学校一厳格な生活指導の先生の担任の下、学校生活を全うすること
それを呑んで、翌日を迎えた。
ショウマくんとは、お互い一言も交わすことなく、そのまま小学校を卒業した。