余命宣告から25年生きた秘訣
先日、僕の祖母が亡くなった。僕の故郷・沖縄では祖母のことをおばあと言うので、以後、おばあと呼ばせてもらいます。
おおよその場合、人が死んだと聞けば、みんなで涙を流し、その後もずっと泣き続けることになる。もちろん僕も、泣いてしまったが、今回に関しては、それよりも凄さの方が勝ってしまい、涙を流す時間は短かったような気がする。
その理由は、余命宣告されてから生きすぎていたから。それも25年。もちろん、人が死んでしまうのは悲しくも寂しくもあるが、それは年をとっていくにつれて仕方のないことなので、それに強く悲しみを抱いている場合ではない。それよりも、ここまで長らく生きたことに賞賛を送りたい。
おばあが50代後半になった頃、体中ががんに蝕まれ、余命が短いことを医者から明かされていた。延命のためにできる治療はいくつかあったというが、その全てを拒否したのがおばあだった。そんなことをすると、さらに余命が短くなるはずだが、どういうわけか、おばあは長々と生きていた。
ここまでの人生を、奇跡と呼べることは知っているが、ここまで生きているのだから、他の人にはないものがあるはずだと僕は考えた。その理由をどうしても知りたくて、おばあと血のつながった自分の母親にきいたりしながら、僕なりに調べてみたが、特別な魔法をかけたわけでもなさそうだった。
しかし、話を聞いていくうちに共通点はあった。それは歩くことでもなければ、食事に気をつけてるわけでもない。今まで知らなかった、まさかの秘訣だった。
好き放題言うこと
なんと、これだった。
他人を圧倒していたのが、とにかく好き放題言うことだった。大きい声を出して、娘とケンカした話、他の老人の文句、飼い猫への叱責、毎日こればっかりだった。自分の周囲の人にだけだと思っていたが、全く仲の良くない人に毒舌を吐いては困らせていたこともあった。それがやけに楽しそうで、生き生きしていたのは確かだ。
未だによく覚えていることがある。僕の合格祝いでの出来事だった。突然、僕の父方の祖父を指差して、僕に呼びかけながらこう言っていた。
「えっ、稲三!これのことはクソジジイって呼べ!アッハッハッハッハッ!」
なぜ、そんなことを言っているのか分からなかったが、大した意味はないだろう。多分、思いつきで誰かに文句を言いたいのだ。父方の祖父は、
「あのおばあは、ダメじゃのぉ」
と、かなり弱った様子で僕に訴えかけていた。そりゃあ、そうだ。いくら何でも、そんなこと言われる筋合いがないのだから(笑)。
だいたい、祖父母が亡くなったというと、どれほど優しかったとか、自分にどんな言葉をかけてくれたとか、そんな温かいエピソードを披露するものかもしれない。
しかし、僕のおばあは、人の文句を言ったり、誰かとケンカしながら、好き放題言って生きていた。それが何よりの誇りである。そのおかげで奇跡を何十年も見ることができたわけで、周りにいる人も楽しかっただろう。(父方の祖父を覗いて)
だからどうか、来世でも好き放題言ってて欲しい。それをお祈りさせてもらいます。
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