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否定を恐れる関係性は、友達とは呼べない。

僕は、自分の友達と付き合っていく上で、とても大切にしていることがあります。

それは、自分から関係性を切らないということです。

どんなことをされても、何を言われても、基本的には自分から離れることはありません。

その代わり、絶対に自分の本心は隠しません。

相手と意見が違っていても、相手のためにならないと思ったことは勧めないし、相手のためになると思ったら言いたくなくても言うようにしています。

正直、こんな存在はウザいと思うし、自分も嫌われるリスクが高いし、友達と傷を舐め合いたい人だっているので、こういう人間関係の作り方をやめようとしていました。

僕が何かを言ったからと言って、相手が決めたことを変えられるとは思っていないし、ほとんどの人は僕の意見なんか聞かずに自分のやりたいように突き進みます。

しかし、20代後半になってくると、周りの人がこう言ってきます。

「稲本みたいな友達は大事にした方がいいよって、周りに言われるんだよね」
「稲本、お前はお前の生き方を大事にした方がいいよ」
「稲本みたいに言ってくれる人は、なかなかいないからさ・・・」

きっと、嫌なことをされたらその友達から離れるし、相手の考えを否定しかねないことは言わないようにしている人が多いのでしょう。

本来なら僕だって、そういうふうにしたいと思うのですが、そうしようと思ってもつい口走ってしまいます。

やっぱり、自分の大切だと思っている人を見殺すことはできない。

そんな思いから、ついつい自分の考えを言ってしまいます。

「その選択して本当に大丈夫?お前のメンタルじゃ耐えられるとは思えないけど・・・」

「それが実践できたら良いけど、実際にやるとなると相当大変だと思うよ?まずは、こういうところから始めてみれば?」

「別にやるのは良いけど、前に失敗した時と同じ考え方してるよ?」

友達だからこそ知っていることがあるし、友達だからこそ言えることがあります。

家族も恋人も仕事仲間も知らない、素の姿を知っている友達だからこそ言えることを言わなくちゃ、友達の役割を全うしている気がしないのです。

別に僕だって、嫌われたいわけじゃないし、楽しい話をできるだけしたいと思っているし、相手の人生に責任を取れるわけでもない。

でも、自分のできることを最大限やらないと気が済まないのです。

悩みを相談する人だって、僕のそういう面を知っていて話しているのですから、きっと僕なりの回答を求めているはずです。

でも、僕だって自分の考えが否定されることの辛さはわかるので、自分と考えが合わないからといって、自分から関係性を断ち切ることはしません。

僕の友達は、ちょっと考え方が違うからといって逆上するほど愚かではないし、自分だって考え方の違いで相手を嫌いになるほど愚かではない。

つまり、僕の生き方や接し方がすごいのではなく、僕の本心を受け入れてくれる相手がいるからこそできることなんです。

そんな友達が何人もいることに感謝することを、僕自身も忘れないようにしなくちゃと思います。

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