技術と文化のあわいへ|稲見昌彦×奥秀太郎対談シリーズ 第2話
(第1話はこちらからお読みください)
身体を分け与える未来
稲見 奥監督の映画『阿修羅少女』の少女は普通の身体ですけど、メタリムのヒントの一つは阿修羅だったりします。たぶん、昔から人が夢として持ってたんでしょうね。千手観音とかもそうかもしれませんし。私の勝手な仮説では、千手観音は本当に1000本手があるのではなくて、ものすごい速く動かして、残像で1000本あるように見えるんじゃないかと考えたこともあるんですが。
それはともかく、世の中もしくは身体を自由自在に操れることの象徴として、阿修羅や千手観音のような像があったことが、非常に興味深いなと思っています。恐らく何か根源的な夢があるんじゃないかという意味で。
奥 うんうん。それこそ千手観音、阿修羅って、先生のおっしゃるとおり、ものすごく速く動かした手の残像のイメージでもありますし、逆に1000人いた説も……。武楽座の『神曲(しんきょく)』という演目では、まさにその阿修羅と帝釈天の戦いのシーンがあったりもします。
ちなみに、メタリムの1本だけのバージョンで思い付いたのが、まさに漫画家とか、もう1本腕が欲しい人はたくさんいて、例えば自分はペン入れして、3本目の腕でスクリーントーンを貼っててもらうみたいな。
その漫画家がだんだん年を取ってくると、いつの間にかスクリーントーンを貼っていた第3の腕が、実はメインのペン入れをするようになったり、もしかしたら腕だけが自動で漫画を描くようになったりする。さらにその腕だけが残った場合に、それこそその腕を多くの人が買いたくなる。超高額なオークションで、亡くなった漫画家の腕を買うなんて未来があるんじゃないかなって、ちょっと思ったんです。
稲見 何か、腕NFTとかあるかもしれませんよ。最近のはやりもので、あえて言ってる。
奥 腕NFT(笑)。
稲見 でも、確かに身体って絶対自分のもので、それを分けたり与えたりみたいな話って、移植医療以外これまであまりなかった。川端康成の『片腕』とかはありましたけど。それが、「あの人は私の右腕です」と言うと、比喩じゃなくて「本当に右腕」みたいに考え得るところは、ちょっと面白いなと私も思います。
一方で、我々は身体と記憶は自分の持ち物と思うようにできてるみたいですが、自在化では、実はそこに他者性もあるんだ、あるいは、もしかしたら他者の中に自己もあり得るんだという話になってくるんですね。
それこそ早稲田の岩田先生はDetachable Bodyの未来を考えていて、自分の腕とか脚とかが部屋の中のあちこちに遍在していて、それぞれいろいろと仕事を手伝ってくれるみたいな。ちょっとどう見ても狂気にしか見えないんですけれども、でも何かちょっとクスッと笑ってしまうような話をされてらっしゃる。まさに非常識ですよね、ポジティブな意味での。
奥 うん、ポジティブな非常識っていうのは素晴らしいですね。
マイノリティの壁を越えて
稲見 先ほどの、奥監督に助けを求めた理由の繰り返しになってしまうんですけども、私は自分の声の届く範囲の限界を常々感じているんです。本を書いたり、ソーシャルメディアで発信したり、講演したりして、それを非常に楽しんでいただける方や、それこそ学会で我々の研究室の発表を部屋を移ってまで必ず聞きに来ていただける方がいて、それは非常にありがたいんですけれども。でも、所詮、という言い方は失礼なんですが、やっぱりもともと科学や技術に興味があるところまでしか、声が届いてないんじゃないかと。
実は、それは私の原点なんですよね。奥監督もそうかもしれませんけれども、自分は小学生のとき、当時は科学技術館とか電気通信科学館とか、そういう場所が大好きで。そこで見たすごい面白い展示とか、「これ体験したんだ」ってことを友達にばーって話したいんですけれども、二言目ぐらいには、「稲見君って科学的だよね、ふうん」と言われてスルーされてしまう。普通に遊ぶ友達はいたのに、話す友達がいないという、何かすごい知的な飢餓感を感じていて。
中学・高校に行くに従って友達ができてきて解放されていくんですが、今また当時の感覚を思い起こしている気がするんです。科学や技術に興味がある人って、一般の方々からすると、所詮はマイノリティじゃないかと。自分はその中では比較的うまくやってこれたけれども、やっぱりその外側に行くのはなかなか難しいと。
それを乗り越えるやり方として、まずポップカルチャーがある。光学迷彩のおかげで、ちょっと広がったように私も確かに感じました。もう一つがメディアアートみたいなもの。科学館での技術展示では来ない人も、アートならば来てくれる。たまにメディア芸術祭とかに学生が出展して、私も一緒に受賞したりすることもあるんです。
さらに別の方法として、スポーツという切り口ならどうかというのが、超人スポーツだったわけですね。つまり、人間拡張工学といっても見向きしない人たちが、超人スポーツというと「何じゃそりゃ」といって、実際、集まってきてくれたんです。そしてこの4月に東京タワーにできた日本最大規模のesportsパーク「RED°TOKYO TOWER」の中に9種類の超人スポーツ公式競技を体験できるエリアができました。
ということをいくつかやってきて、少しずつ外に声が届くようにもがいているのが現状で。奥監督ならこれをどう料理してくれますか。まずは施政方針演説として。
200年後の自在化少女
奥 そうですね。まずは、『VR能 攻殻機動隊』が4月の公演も完売で、超満員のお客さんが毎回楽しみにしてくれるところまでこぎ着けました。コロナ禍もありましたし、みんなからすると「お能? お能ならちょっと行かないよ」みたいな声がある中で、色んな場所でお声掛けしていただくところまで来れたのは、本当に、皆さんのご協力のたまものだと思っております。もちろんそれは攻殻機動隊であったり、先生のVRであったり、伝統芸能と先端技術の融合のおかげだったりするわけです。
ちなみに私、中学生のとき、15歳ぐらいのときに美術部だったんですけど、美術部とコンピュータ同好会の部室が隣同士で、美術部の副部長が私で、コンピュータ同好会が福地先生だったんですが、机の上にもうバイブルのように『攻殻機動隊』が置いてあったんですよね。もう本当、バイブルで。その後、押井(守)監督のあの作品があって、やっぱり衝撃というか、憧れでしかなかった。
その上で、次の自在化コレクションですが、まずこの自在化コレクションという言葉のあまりのキャッチーさに、僕は本当に感動したんですよね。稲見先生のネーミングセンスは本当に素晴らしいと思って。
ファッションショーであるコレクションを示しながらも、何かを収集するイメージもあるし、東京ガールズコレクションに匹敵する、それこそ色々な人類を含め、さまざまな国境を越え、ハンディキャップだとか、そういう身体的なものも全部超えた、すごくすてきなコレクションになるイメージが頭に一気に広がったんですよね。
さらに、その言葉自体がいろんな映画のタイトルになったり、誰かの新曲のタイトルになったりしていくようなイメージ。自在化コレクションという曲が普通にヘビーローテーションするようになったらすごく面白いなって、ちょっと思ってしまい。
稲見 何か妄想力を刺激するんですかね。
奥 妄想力……そうですね、妄想力をすごい刺激しましたね。この言葉で、何かやらせていただけることが、冥利に尽きるという一言に尽きる。
で、その話を(自在化コレクションの原作・脚本を担当する)冲方丁さんにメッセンジャーで送ったんです。冲方さんとは、もともと『攻殻機動隊ARISE』の舞台化ぐらいからのお付き合いで、やっぱり面白いねみたいな話になって。
それでちょっとお話ししていたのが、僕は自在化のネオン(サイン)ってすごく象徴的で、かっこいいなと思っていて。何か近未来のイメージとして、コンビニのネオンサインも彷彿させる。そこに6人の少女たちが集う。その6人の少女たちは見た目はみんな一緒というか、大体同じ世代に見えるんだけど、実は0歳から200歳までの人がいて。
今だと、コンビニだったりいろんなガラス張りのところで、ガラスの向こうに映ってる自分を見てヒップホップのダンスとかを練習してる子が、割と色んなところにいるイメージがあって。よく深夜に練習してるんですよね、アイドル目指してる子とか。
それが200年後にまた全然違う見え方で、例えば200年前の自分がそこに見えたりじゃないですけど、何かそんなような不思議な自在化のコンビニのようなものがあったりするんじゃないかなと。すみません、勝手なイメージですが……。
稲見 おお。そんなイメージが出てくるんですね。すごいな(笑)。
奥 (笑)いえいえ。で、(対談のモデレータを務める)瓜生(大輔)先生のアイデアでもあったんですけど、そのうち1人が別の1人に腕を受け渡すところがラストシーンにならないか。で、まさにそんな話で、冲方さんとも盛り上がって、その6人の女の子の名前を付けてもらったりしています。
今の初期プランとしては、6人の年齢が離れていた方がいいと思ってます。やっぱり0から200なのかなと冲方さんと言っていて、この前話したときには、最後は200歳の人が、ほぼ0歳の見た目の人に、腕を受け渡すのが一番いいんじゃないかというニュアンスだった感じです。
で、今の若い世代だったりのテンションがだだ上がりするような、今言った自在化のネオンがある街角に、例えばトレンチコートの先からメタリムの手が見えている人が通過する、そんな200年後、2222年ぐらいの物語があって、自在化のPVじゃないですけど、先生方の色々なお話の間にそんなものがカットインするような……。
技術の時間軸
瓜生 そんな先なんですか。数十年後ぐらい、結構近い話かと思っていたんですけど。
奥 そのあたりは、またぜひどこかでお話しできたらいいですね。でも、50年というよりは、何となく200年ぐらいが面白いのかなと思ったり。そこは逆に皆さんのご意見をお伺いしたいところもありますが、腕を受け渡すということが、色んな意味になったらいいなと思っています。
瓜生 そこの舞台設定の説明は大事な気がします。我々研究者がよく求められるのは、2040年とか2050年のビジョン、ビジネス戦略に近いところですよね。次の何十年で何に投資したらいいのかを先回りして見せてくれと。それと「自分の命が絶えているであろう後の未来について妄想する、その興味をひくための作業」というのは、ちょっと方向性が違いますよね。 欲を言えば、両者が共に感じられる方が、今回のJST ERATOという枠の中で行うイベントとしてはよいと思います。我々が責任を持てない200年後だけの話に終始してしまうと、ある意味、研究者としての責任を果たせていないのかもしれません。
稲見 でも、200年後まで続いている価値観だというと、それはちょっとかっこいいかもしれない。
瓜生 そうですね。だから、急に200年後を妄想するのは研究者じゃなくてもできるでしょうと。われわれは研究費をいただいていて、研究者であるということは、10年後、20年後、30年後、40年後、50年後……(を思い描く)。フィクションのストーリーはいきなり200年後の舞台設定に飛びがちなんですけど、じゃあ、60年後も70年後も一応見せてくれよ、ということが求められているんだろうなと思います。
奥 その点については、今、仮に6人と言ってますけど、その6人の年齢設定ってぜひ皆さんと一緒に相談したいですね。じゃあ、0歳と200歳の間の年齢は一体何歳にすべきかって、今後の作品づくりの議論で結構出てくるだろうなと思っていて。キーになる年齢がきっとありそうなんですよね。もうちょっと見えてきたところで、ご相談というか、ご提案いただけると、面白い発想が色々出てくるんではないかなと思っております。
文化の時間軸
稲見 200年後の手で私が思い出したのは、たまにお寺にカッパの手のミイラとかが保管されてたりしますよね(笑)。どうやらカワウソの手だったらしいんですけれども、カッパの手が200年ぐらい残るってすごいですよね。伝説と共に残ったんでしょうね、きっと。だから、信じる力には、物をそこまで保管する力がある、妄想ってすごいなという。
奥 でも、それこそVR能 攻殻機動隊では、実は人形使いの面だけは、本当の能面というか、新作面じゃない伝統の面を使ってるんですけれども、簡単に300年前の物だったりするんですよ。
稲見 うん、そうですよね。能って600年ぐらいじゃなかったでしたっけ。その歴史の半分は残っているということなんですね。
奥 観世宗家、観世流の家元の方々って、血筋が300年や400年は間違いなく続いていて、だから平気でそういう時代のものを使わせていただいている。そういう意味では、先ほど言った200年というのは、伝統芸能、文化が続いていく上では、決して責任が持てない時間帯ではない。逆に言うと、そこまで継続する意志があれば、できるものだったりするのかなって思ったり。
稲見 面白い観点ですね。一方でテクノロジーは全然変わっちゃうかもしれないので、SFだと200年はちょっと無責任になっちゃうかもしれないですね。だって、(ロボットの語源になった)カレル・チャペックの『Rossum's Universal Robots』が書かれたのが1920年で、ようやく100年なんですよね。100年までしかさかのぼれないわけですよ、ロボットは。でも、チャペックが影響を受けたというゴーレムの伝説とかまで考えると、1000年、2000年さかのぼることができるわけですよね。
昔、江戸時代に描かれた未来予想図の話を読んだことがあって(杉浦日奈子、「未来世紀EDO」、『一日江戸人』)、ちょんまげがめちゃくちゃ細くなったりとか、着物の裾がだぶだぶになっていて。それは当時の流行を外挿したっぽくて、今、全然そんな格好をしてないわけですよね。
でも、例えば、将来女性が活躍するようになるとか、あとは素人が玄人はだしの芸を行うようになるとか、文化的なトレンドはそんな外してないんですよね。それってすごい興味深いなと思いながら。
そういう意味で、もし本当にそれ(技術と文化の両面での展望)ができたらば最高なんですけれども。自在化コレクションを通して、テクノロジーじゃなくて道具としての、文化的な側面は一体何なんだろうというところまで発信する。そこをうまく可視化できる、もしくは言葉に落とすことができると、普通の科学プロジェクトを超えた貢献になるんじゃないかなと、私自身がわくわくしてきました。
奥 こちらとしても、ぜひ尽力したいと思っております。先ほど瓜生先生がおっしゃったこともすごく重要だと思っていて、今のこの現実から地続きでありながら、多くの観客であったり、関係した方々が何かしら新しいエネルギーを得られるような、そういう作品づくりができたら、すごく面白いんじゃないかと。
自在化コレクションでは、VR能 攻殻機動隊の新しい作品のような部分もあれば、皆さんの研究のビジョンであったり、その場で見せられるものだったり、そういう色々なものが組み合わさって、自在化のプロジェクトで何が起こっていて、今後どうなっていくのかを見せることができたら、大変面白いイベントになるかと。
イベントというか、僕は勝手に、いずれこれ自体が一つのショーとして多くの観客が見たいものになってくるんじゃないかなんて夢を広げているところです。(公演会場であるIHIステージアラウンド東京の舞台が)360度回ることも、まさにこのためにあったんじゃないかって、ちょっと思ったりしています。
新しさに飢えた人たちに
稲見 ちなみに奥監督としては、どういう方にいらしていただけるとうれしいですかね。私は私でイメージを持ってたんですけれども。
奥 やっぱり今、特にコロナもあって、エンターテインメントって閉鎖的になってる部分があると思うんですよね。もちろん進化した部分もあるんですけど。そんな中で、「こんなやり方があるんだ」って何かわくわくする新しいものを求めている人って、少なくない気がしてるんですよ。
VR能 攻殻機動隊も、お能のファンや攻殻のファンをかなり超えて、幅広いお客さんに見ていただいていて。変な言い方ですけど、ありきたりでない何かの新しいエネルギー、新しい力、新しいムーブメントにアンテナを張っている人たちが、「ちょっとこれ、面白いこと起こってるんじゃない?」って、わらわらと見に来ていただけたらと。
だから客層としては、本当に幅広い、アンテナを張っている人たち。ものすごい若い人だけではないですが、やっぱり気持ちが若いって大事なことだと思うので、10代からその親ももちろん、それこそ子どもから大人まで、何か面白いものを探している人たちがわらわらと来てくれたらすごくいいな、なんて思っております。
SFシリーズとしての自在化
稲見 先ほどの200年後にいく前の5年、10年ってところに関連するんですが、内閣府の「ムーンショット」という研究プロジェクトがあって、我々のERATOの影響も受けつつ立ち上がった目標1では、2050年に脳と身体から解放された、サイバネティック・アバター社会をどうつくっていくかという野心的な目標を立てています。
これをどういうふうに考えるかというと、バックキャスト型研究開発プロジェクトという言い方をしていて、まず50年後のSFを研究者に書かせるんですね。50年後こういう社会になっているだろう、もしくはこうしたいというところを。
その上で、5年後、10年後に必要なものを考えて、それを計画に落としてくださいというやり方をしてるんです。最近ではSF思考という考え方も広がってきて、それこそSF作品から未来を学ぶのもあれば、自分たちでSFを書きながら、技術そのものではなく技術が使われる世の中をイメージしていく考え方でもいいのではと言われたりします。
それで思い出すのが、私の元指導教員だった舘暲先生が、『アールキューブ』という本の中で、「アールキューブ・ストーリー」というSFを書いてるんですよね。テレイグジスタンスを誰もが使えるようになったときに、例えば、体が悪くても登山できるとか、遠隔から操作して災害地で活躍するみたいなことが、SFになって描かれている。今ある技術ではできないけど、そういう未来をみんなで共有したいと思うならば、そのための技術を今から開発しましょうという考え方で作られた非常に興味深い本で。
そういう意味で、今回は(自在化身体)プロジェクトの初めじゃなくて終わりなんですけれども、プロジェクトを通して新たにもう一回問いを立てるという意味で、我々のSFを書いてみるのも面白いかなと思っています。私の夢としては、それをご覧になった方がSFで本当に使っていただけたりすると、さらに面白くなりますよね。
奥 はいはいはい。そうやってどんどん作品が広がっていったら、面白いですよね。正直、SFがそんなに多く作られてない時代に、自在化コレクションから始まって、自在化の発想を使ったSFだ、映画だ、それこそ漫画だ、ラノベだ、いろいろ出てきたら、ものすごく面白い。
稲見 そこって、どういうときにつながるものですかね。
奥 一歩ずつ考えてるところですけれども、やっぱり、何かフックになる作品、風穴を開ける作品が一つ二つあると、その作品がその次につながっていく。ある時代を向かえるときの入り口になるような作品って、大なり小なり必ずあると思っていて。
おかげさまでVR能 攻殻は、まだガッと広がっているわけではないですけど、その糸口になりつつある。さらに今回の自在化コレクションでも、多くのアーティストたちに影響を与えるような作品をうまく作り出すことができたらと。
その作品が直接的に多くの人に伝わる以上に、そこから広がっていく作品ってあると思うんですよね。相通じる意志や気持ち、考えを持ったクリエイターたちが集まって、そのエネルギーでできていく可能性があると思ってるんです。
VR能 攻殻機動隊でも、能楽師たちと、もちろん稲見先生、福地先生、第一線のクリエイターに集まっていただいたことで広がっていくと思いましたし、自在化コレクションも、少しでも多くの方々に参加していただきたいなと。先ほど話したように、自在化コレクションというタイトルの曲やPVができたら面白いと思っていますし、バレエの件もありますし、そうやって色々な人たちが、ゴーストグラムの技術も使う、メタリムも使う、何かのところで「あれ? これメタリムじゃん」みたいに……。
もちろん、今年は1回目というか、研究発表の場であることは十分存じ上げた上で、そこからさらに広がっていく拡散力のあるような……。拡散といってもYouTuberみたいなことではなくて、思想的、発想的なところで、文化の中でみんなが求めているところに発信できる人たちと一緒に作っていく。それを今、一つずつ企画しています。
11月の公演でどこまで行けるかはチャレンジではありますけれども。もしそれがうまくできたら、一種のトレンドとして、みんなが「自在化? ああ、そういう言葉あるよね」とか、「もしかしてあの腕でしょ?」「あのPVのあれだよね」みたいになったら、すごく面白いなと。できる限りやってみたいと思っております。
(第3話に続く)
自在化身体セミナー スピーカー情報
ゲスト: 奥秀太郎|《おくしゅうたろう》
映画監督/ 映像作家
ホスト: 稲見 昌彦|《いなみまさひこ》
東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 教授