技術の介入が損なうもの|稲見昌彦×北原茂実対談シリーズ 第1話
イントロダクション
北原 最初に、私が今感じていることをお話しします。稲見先生のやられてることはとても面白くて、リハビリテーションとか医療とか、いろんなところで応用できる技術だと思ってるんですが、一方で疑問に感じるところもあるんです。それはなぜかって話を簡単にしたいと思います。
コロナウイルスのパンデミックが現在も続いていますが、感染症のパンデミックに関しては1918年に大きなものがあった。スペイン風邪です。このときにどれぐらい人が亡くなったかっていうと、分かってるだけで恐らく5000万人以上。アフリカなどはデータが上がってないんで、多分1億人ぐらい亡くなっている。
ただスペイン風邪以降は、もう学問進んだよね、衛生環境良くなったよねって、いろんなことから考えたときに、もうパンデミックは起こんないだろうってみんな思ってたんですね。ところが1992年あたりにエピデミックっていう小さなパンデミックが起こってきて考え方が変わったんです。これから先は、やっぱりパンデミックを恐れなきゃいけない時代が来るんじゃないかっていわれたんですね。
そのときにNIHが提出してきた要因をまとめたのがこの図です。こういうことが起きてるからパンデミックを恐れなきゃいけないって話なんですけど、これをよく見てみると、資本主義っていうか、まさに人間の欲望の結果こうなってるんですよね。
北原 同時にこれをよく見ると、パンデミックはもちろん起こるだろうし、それだけじゃなくて自然災害も起こるだろうし、地政学的リスクも起こってくるんだろう。そういう図だと私は思うんです。こういうことが、今危惧されてるんだと。これに対して人間はどう対処しなきゃいけないかってことが今大きな問題になってると思うんですね。
私は病院経営者ですから、医療経営ってどうかと聞かれるんですけど、正直言って我々にとってEASY PROBLEMなんです。医療は(厚生労働省が定めた診療報酬による)統制経済ですから、何をやったらもうかるかって当然分かるわけです。
最近、本当に行き詰まってるところが、HARD PROBLEMなんですね。何かっていうと、社会の健全化です。第一次産業、教育、司法という社会の3本の柱をどう整えるかって問題があります。もう一つ、自在化とも関係するんですけど、後でお話しする「意識とは何だろうか」ってことも非常に大きな問題意識になってるんですね。
新技術で幸せになれるのか
北原 例えば今スマートシティってよくいうんですけど、アクセンチュアが会津でやって苦戦したり、その後もトヨタが裾野の「ウーブン・シティ」で頑張ったりしてますけど。あれって一体何だろうって考えたときに、モビリティがどうとか、ITがどうって話はするんですけど、あの街って、できたときに本当に人間が住める街になるのだろうかって感じちゃうんですよね。
この街をつくって最初にトヨタの優秀な研究者が住んだとして、この人たちの子どもは、一体どこで教育を受けるんだろう、とか。大勢の研究者が本当に仲良く幸せな生活を送れるかっていうと、その中で競争が起こったりしたら、果たして居心地がいい街なのか、幸せな街になるのか。
さらには、例えばパンデミックが起こったときにどうなるのか、あるいは食糧危機が起こったときにどうなるんだろうって考えたときに、本当にスマートシティという生き方が正しいのかどうかって疑問に思ってしまう。
誤解のないようにお話しすると、自在化身体プロジェクト、私は非常に面白いと思ってるんです。でも、そういう視点っていうのはやっぱりどっかで持たないと、間違った方向に行くような気がしています。
例えば人間の体には可塑性があるんです。神経じゃないものが神経の働きをしたり、あるいは神経そのものが、どんどんどんどん変わっていきます。 そうだとすると、例えば自在化身体になってロボットアームが動いて物を処理したときに、人体のどこにフィードバックが利くのかって話になると思うんです。正常なフィードバックが戻ってこなかったとすると、人間の脳ってどうなるのかを冷静に考えなきゃいけない。脳って、どんどんどんどん変性してっいちゃう気がするんですよ。
そこら辺がちゃんと議論されなかったら、この研究ってある意味危ないところがある。私はやっちゃいけないって言ってるんじゃなくて、逆にすごく面白いと思うんです。これが人間の脳とか意識とかに関して突破口を開く可能性が、実はあると思ってます。
生物界とAIとかITの一番大きな違いは、生物は基本的にはネガティブフィードバックで生きてるんですよ。例えばおなかがすいた。おなかがすいて食事をして血糖値が上がったら、ここでやめようっていうネガティブフィードバックが利くんですね。
だけどAIとかITの世界って、極端な言い方すると、ポジティブフィードバックだけで動いてるところがある。疲れ知らずで動いてるから、昔からSFのテーマになってるように、最後はターミネーターができちゃうって話になるんですね。
これと人間が(自在化身体の技術によって)一体となったきに何が起こるのかは、解明しなきゃいけないけど、まだ分かんない問題だと思うんですよね。そこら辺が自分としては納得したいところです。
稲見 生物に通底してるネガティブフィードバックは人工物でも同じですよねと言ったのが、ノーバート・ウィーナーの『サイバネティックス』だったとは思うんですけれども、確かに情報技術は発散する系に見えてしまいますね。それらの技術が人間と一緒になったときにどうなるのか、そして人がどう変わるのかというのは、まさにおっしゃる通りで、私も非常に疑問も懸念も持っています。
例えば我々も6本目の指をロボットで作っていますが、それを付けたときに我々の脳は一体どう変わるのかをイギリスの研究者が調べた例があります。
その論文では、脳は可塑性があると言いつつ、やはり何らかの不可逆的な変化も起きてるんじゃないか。つまり、それを使わなかった脳には戻れないという指摘もされてるんですよね。新しい身体を使うことによって、もしくはそれを学ぶことによって、どうやら元には戻れないことにはなってると。もちろん、じゃあその後の生活上、大きな影響があるかというと、ないかもしれないんですけれども。
だったら、それはやるべきか、やらないべきか。どこまでいったらネガティブなものとして捉えるべきで、どこまでなら大丈夫なのかって、まだ我々も判断できないんですね。例えば自転車も1回乗れるようになったら、乗れる前の自分には戻れませんよね。
逆に、我々は脳の可塑性にどこまで甘えていいんですかね。
北原 そこは、何が幸せかってことをもう1回議論しなきゃいけなくなると思います。私は、さっき言ったみたいな社会の健全化ってことで、感じるところがあるんですけど。
技術が足を引っ張ることも
北原 研究者って、あるいは私たち外科医もそうなんですけど、何を考えてるかっていうと、とにかく手術が面白いからなるべくやりたくなる。それって患者さんにとってはえらい迷惑だ、みたいなね。
例えばがんを考えたときに、自然に発生して、免疫力によって自然に消えるものって結構多いんですよ。ただ、小さながんを見つけて徹底して闘うって話になってくると、それが悪性に転化することがあるんです。
実のこと言うと、80歳以上で亡くなった人を剖検してみると、前立腺がんが50%以上あるんです。だから、「見つけよう」ってやると、見つかっちゃうわけですね。見つかって治療すると、人によっては悪性転化してしまう。私のある先輩が77歳ぐらいになったときに前立腺がんだって言われて、そのときは転移も何もなかったんです。ところが、それに手を付けた途端に悪性転化して3年で亡くなりました。
もう一つ別なことを言うと、福島で小児の甲状腺がんって調べてるんです。そうすると、10万人当たりで数十人も出てくるんですよ。普通、自然に出てくるものは10万人当たり1人か2人なんです。明らかに異常値だろうっていう話になって、環境団体なんかは追及してるわけです(「原子放射性の影響に関する国連科学委員会」の報告書では「超高感度な甲状腺検診に帰因」と判断)。
ところが医者によっては、これは騒ぐべきではないって言う人がいます。なぜかというと、全ての子どもに対してきちんとした全数検査をやったって報告は、従来なかったんです。これまでは元々異常があるから検査してたわけですね。もし全国で全ての子どもに対して検査をしたら、他にも出てくるはずだし、普通は悪性化しないから問題にならないと。
出てきたものに対して、がんだって診断をすると何が起こるかっていうと、この子の将来が駄目になるんです。がんって診断が付いちゃうと、社会がそれに追い付いてないから、例えばローンが組めないとかいった問題が起こってくる。これって結局、社会問題になっちゃいますよね。
技術者は「こんな小さなものが見つけられます」って、よく言うんです。特にMRIやCTを開発してる人はそう。外科医の方も「どんなに小さくても安全に取ってみせます」って言うんですね。でも、やりたいからやっちゃうって話になると、非常に危険なことが医療の世界では起こるんですよ。同じようなことが全ての領域で起こってるような気がします。
人本来の力が失われる
北原 例えば自在化の技術によって第6の指があったらいいかもしれない。3本目の腕があったら楽しいかもしれない。私はそう思いますけど、人類全体にとって本当にそうなのかは、別の問題としてある気がするんです。それをやると、本当に人類としての力っていうか、本来あるものがなくなる可能性がある。
そういうことも考えなきゃいけないので、例えば、サイバーダインさんがやってるようなリハビリテーションでパワーアシストするとかいった考え方が、本当に正しいのかってちょっと考えることもあるんですね。「この人をハンディキャップにしてはいけないからアシストすればいい」って考え方が、正しいのかどうか。何が本当にその人にとっていいことなのかって問題です。
稲見 私も先端研の中で障害とかバリアフリーとかを議論する中で、それらはきっと社会の中の相対的なものとして定義されていくのではないかと思っています。実は障害にしても、もしかすると病気にしても、何かの生理的な定義があるというより、社会の中の関係性による定義があるのかもしれないと。
北原 今先生が言われたのは、ハンディキャップとディセーブルの違いですよね。極端な言い方をすると、例えば私が片足がなくなったところであまり仕事には支障がないわけです(ディセーブル)。でも、モデルさんが片足なくなったら仕事が極端に狭まってしまうわけですよね(ハンディキャップ)。そういう意味でディセーブルとハンディキャップは違うし、やっぱり(本人や周囲がどう捉えるかという)考え方の問題が非常に大きいと思うんですよ。
もう一度話を(身体が持つ能力に)戻しますと、頭でくも膜下出血を起こすと、その後、水頭症って症状が起こるんです。髄液(脳脊髄液)の流れが悪くなって。そうすると脳外科医は、シャントってするんですね。脳室から皮膚の下を通しておなかに水を流す。私、昔やったことがあるんですけど。
ところがこれも、手術をしないと半分治るんです。例えば、若い商社員がアフリカに行ったときに急性水頭症になる。でも、現地で処置ができないので気長に待っていると、一時的に脳室が大きくなって、ちょっとぼけたようになって頭痛がしたりするけど、しばらく持ちこたえていると治っちゃうケースがあるんです。
あれは髄液を吸収する部分の吸収障害なんですね。ですから、お腹に管で流してしまうと、その機能が永久的にダメになってしまう。それを治ったと称してるけど、正しいのかどうかってことなんです。
隠れた力を引き出す環境
北原 脳でも、認知症にも関わる海馬って部位は、非常に短期間で大きくなったり、小さくなったりすることが分かってるんですよ。1990年代の末ごろに、ロンドンの迷路みたいな道が、タクシーの運転手はどうして分かるんだろうって話になって、MRIで調べた研究があって。そうすると、運転手の海馬は間違いなしに大きかったんです。ロンドンの道を覚えようとすると、海馬が成長していくといわれてるんですね。
でも、自分が仕事で覚えなきゃならないんだったらそうなるけど、あくまでも遊びだって自覚があると、ちょっと違うんじゃないか。それだと、脳の退縮を防げないんじゃないかって思うんです。
最近、脳の画像を見てて感じるのが、例えば会社を定年退職して辞めたんで、いろんな友達と会って楽しく過ごしてる、毎日低い山に登って頑張ってるっていう人が、奥さんに言わせると、ちょっとぼけてきたんじゃないかって。そこで脳の画像を見ると、間違いなしに海馬が萎縮してる。「いやいや、運動してたじゃないか」「人と話をしてたじゃないか」って言うんですが、私はちょっと違うと思っていて。
重要なことは、私はストレスだって思うんですよ。ストレスって何かというと、自分で仕事をしてるとか会社を経営してる場合は、下手をすると自分の身に危険が及ぶわけですね。だから、それなりの緊張感を持って仕事をしてる。それがなくなって、遊びとして山へ登ったり人に接したりするって、ほとんど(萎縮を防ぐ)効果がない気がするんです。
稲見 なるほど。海馬が萎縮するお話で非常に興味深かったのが、よく我々もVRとかメタバースとかやっていて、リアリティとは何かって議論することがあるんですね。その中で、もしかすると3次元映像のクオリティが十分でなくても、「怪我をするかも」とか、「困るかもしれない」とか、自分の生存本能、危機察知本能に働きかけるものがあってこそ、初めてリアリティを感じるんじゃないかと。
とんがってる棒の先もリアリティがあるし、燃えてる炎もリアリティがある。けれどもそれがCGだと、いかにもリアリティがなくなってしまう。もしかすると我々は、そこを無意識のうちに区別していて。
先ほど先生はストレスという言い方をされましたけど、まさにリアリティがある世界から離れてしまったら、それをきちんと処理すべき海馬の機能が衰えてしまうってことかなと、私なりに解釈したんですけど。
北原 リハビリテーションなんかもそうだと思うんです。よく病院の中で3Dゴーグルを使って自宅の映像を見せてあげたら、患者さん元気になるんじゃないかっていうんですけど、本当にそうかなって思うんですね。それで大きな効果があった話、私はあんまり聞かないんですよ。
もしも先生のところでやられるとしたら、自宅とダイレクトにつながってしまうのがいいと思うんですね。3Dゴーグルを付けて家の様子が見えて、そこに対して自分が何らかの行動を起こせることがすごく重要になってくると思います。そこまでやったら脳の機能は上がってくるかもしれない。
稲見 社会に対してきちんと参加できてるという実感を持てるかどうかも、すごい大切な気がしますね。それが個人の幸せなのかもしれませんし。
昔、バーチャルリアリティのロードマップを作ったことがあって、一つの理想の姿として「超参与社会」という言い方をしました。どういう状況になっても、本人が希望するならば、いつでも社会とつながることができるという。昨日と同じ人たちとずっと話してるんではなくて、自分の意思によって世の中に働きかけたり、世の中から学んだりできるというふうに定義してたんです。
今お伺いした話は、まさにそういうことなのかなっていう気もしました。
気付かれずに助ける
稲見 あと、我々で綱引きをするシステムを作ったことがあるんですけれども、後ろからモーターで手伝ってくれるんですよね。
大人と子どもが綱引きをすると、子どもの方をより強く手伝ってくれるんです。ポイントは何かというと、本人が全く気付かずに、隠れて手伝うことができる。それで勝ったりすると、めちゃくちゃうれしいんですね。
つまり、何かの支援を受けてるかもしれないけれども、その支援を意識できないとき、本人は自分たちの実力で戦ってると認識する。ポイントは二つあって、一つ目は最初から負ける、最初から勝つと分かってる勝負は誰も楽しくなくて、自分の頑張りによって勝ち負けがあるとみんな楽しくなる。二つ目は、誰かに手伝ってもらって勝てたよりも、自分の力で勝ったと思えると、やっぱり本人はうれしいと感じる。
つまり、自分の力で勝った感じがモチベーションに非常に影響があるというのを、この研究をしていて感じたんですよね。リハビリテーションとかでも、アシストがあるんだけれども、自力でやった感みたいなものをうまくバーチャルで出せると、本人のモチベーションにつながるのかなと。
北原 それはそうですね。間違いないと思います。
我々も、手術が下手な医者に手術させておいて、こちらでアシスタントに入って、分かんないように手伝ってあげると、うまくいくんですよ。できてないところがあっても、本人は「うまくできたぞ」と。そういう喜びというか、自信を与えてあげないと、人って成長しないところがあるんですね。
稲見 はい。行動プラス、モチベーションという二つがセットになったときに、ものすごい効果を発揮するのかなと。
北原 それはそうですね。結局、意識だとか楽しさだとかの影響が、ものすごく大きい。
自在化身体セミナー スピーカー情報
ゲスト:北原茂実|《きたはらしげみ》
脳外科医、医療法人社団KNI 理事長
ホスト: 稲見 昌彦|《いなみまさひこ》
東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 教授