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匂いの戻り方・嗅覚障害 ①

嗅覚障害という言葉、今は皆さん聞いたことがあると思います。
新型コロナによる症状の一つで数多くメディアに取り上げられました。

しかし、私が嗅覚障害の手術を受けた2019年は全く違いました。
ネットで調べても出てくるのは限られた情報だけ。人に言っても「鼻が弱い」くらいの感想を持たれるだけ。病院に相談しても妙な漢方と点鼻薬を処方されるだけ・・・

せっかくnoteに書くなら珍しい体験をということで、嗅覚障害前後の状態と匂いを再び手にしていくあの感覚を記しておこうと思います。
もし同じような症状で悩んでいる方がいましたら、個人的な体験談ですが一つの実例として何かの助けになれたら嬉しいです。

※書いていたらあまりにも長くなってしまったので全3回に分けました。


そもそも匂いの喪失は一時的なものじゃない

まずその嗅覚障害の状態について簡単にまとめます。

小学生の頃は嗅覚に異常はありませんでした。
(あくまでも主観的に。それ以降や今現在と比較して相対的に。)

中学・高校時代に匂いが分からなくなっていたり、嗅覚が弱くなっていることに気が付きます。
花とか木とかはこの時点で分からなくなっていました。
食べ物や飲み物も友人が言う匂いが分からないものがちょこちょこと出てきます。凄く記憶にあるのは高校時代に友人と昼食を取っている時に「豚肉の香り」という言葉を使われて、それがどういったものか分からないという会話をした思い出があります。

大学生の頃にはほぼ完全に嗅覚を失います。
ガソリンやコーヒーの匂いも分からなくなりました。
唯一失わなかったものは柔軟剤の匂いです。ボトルのキャップを外して思い切り鼻を近づけ、そこから空気を吸い込むと若干の匂を感じることができました。

話に聞くコロナでの症状と明確に違う点は長い年月をかけて徐々に完全に失っていったところです。
ある日突然匂いが無くなるとすぐに気が付くと思いますが、徐々に徐々にそれぞれの匂いが弱くなり「あれ?これも匂いがしなくなってる」の連続。
グラフ的に表現すると一定の角度で右下に落ちていく感じでしょうか。
なのでそれを日々の単位で気付くことはありませんでした。

学生時代はヒョウキンなもので友人と話しながら「あっ、これも分からない!」とその発見を楽しんでいたまであり、特に深刻に悩むようなこともありませんでした。
(今思い返すとクレイジーですね、、、)

味は分かるんだって

この話をすると大体決まって「じゃあ味もしないから大変でしょ」と言われます。
「風邪引いた時とか、鼻つまんで食べたりすると、味しないもん」とか。

それは皆さんのようにずっと匂いがある人からしたら、その落差で味がしないように感じるでしょう。

でもこちらはもう10年選手なので。

実体験として「味はある」とはっきりと言えます。

専門家的な人が「嗅覚がないと味はしない」とメディアなどで発信することもありますが、私がここで否定をしておきます。
(科学的・医学的・理論的にはそうだとしても、その人たちは嗅覚を持っている、いわゆる知識だけの座学。こっちは現場で勝負しているので)

カレーにはカレーの味があって、コーヒーにはコーヒーの味があります。
故に嗅覚が弱い/嗅覚のない10年間も食べたいものはあったし、美味い・不味いもはっきりとありました。

感覚が感覚を補っていたのか、味覚は機能していて味は感じていたのです。
(他の人と比較したらそれは相当弱かったかもしれませんが)

謎の匂い〜異臭症とモチベーション〜

そんな嗅覚と共に多感な学生生活を過ごしていきました。
が、20歳前後の時に変化が起きます。

ある日突然、正体不明の謎の匂いに包まれたのです。

それは部屋の中でも外でもどこでも感じます。
しかし私にしか分からない匂いのようで、一緒にいる友人らに聞いても「何の匂いもしないよ」と返ってくるだけでした。
それでも匂いの無い世界にいた私にとっては、謎の匂いだとしても久々にはっきりと匂いを嗅げる感覚、嗅覚が機能している感覚がこんなにも刺激的かと感動したことを覚えています。

私はそこでこの匂いについて色々と調べました。
そして「異臭症」と言う症状を知ります。
「ある匂いを本来とは違う匂いに感じる」「全て同じ匂いに感じる」「本来存在しないのにずっと同じ匂いがする」etc・・・
おそらくこの一種だろうと考えました。

私にしか分からない「異臭症」と決めつけたこの謎の匂いは1〜2週間くらい続いて気が付いた頃には私の元から去っていきます。
(特に朝、目が覚めると突然あの匂いがしなくなっているのです)
初めてこの異臭症を体験して以降、年に3〜4回くらいの頻度でこの症状が現れるようになりました。
(秋が圧倒的に多かったイメージです)

今現在、インターネットで異臭症について今調べると「不快な臭い」「生活に大きな支障をきたす」などの言葉が並びます。
しかし、当時の私にとって異臭症は全く逆の存在でした。

・感じたことがない脳への刺激
・芸術作品がより心に響く
・アイデアや創造力が増す
・やる気・モチベーションが溢れる、行動力が増す
・異性や他者へ関心が持てる
・嗅覚があること自体の素晴らしさの気付き

異臭症に包まれるその数週間はこのようなプラスの変化を多々観察できました。

そう、日頃は嗅覚がない、言ってしまえば五感が欠けている状態で生きていたわけで、異臭症でも何でもその感覚が動いて脳へ刺激を与えることの影響力は凄まじかったのです。

そして何度目かの異臭症の時に決断します。
嗅覚や匂いがこんなにも素晴らしいのなら、しっかりと病院に行って嗅覚を取り戻そうと。


負のスパイラル

そうと決めたら異臭症で匂いに対するモチベーションが高まっているうちに近くの耳鼻科の予約をします。
「異臭症じゃなく本来の匂いも分かるようになったら、もっと世界は楽しいのでは?」
そんな仮説を立てて、それを立証するために。

そして当日。若干の緊張と大きな期待を胸に病院へ。

サクサクと診察は進みました。
分かる匂いを書いたり、匂いがある(らしい)水蒸気を吸ったり、鼻の中を先生に見てもらったり。

そして診断。
原因は不明。
処方する漢方と点鼻薬を使用してください。
以上。

しかし異臭症でモチベーションが高まっている私にはそれで十分でした。
この謎の漢方と点鼻薬で嗅覚を取り戻せると、匂いのある生活を夢見て投薬を開始しました。

その数日後、この愛すべき異臭症とお別れの日がやってきました。
そして2,3ヶ月が経過し、漢方も点鼻薬も無くなりそこで終了。変化はなし。
再び病院に行って報告をしても同じ漢方と点鼻薬を追加処方されそうになったので断ってここで治療が終了。

また匂いのない生活に戻っていきます。
ここで嗅覚障害の非常に厄介な問題。

匂いが無くなると、匂いを取り戻そうというモチベーションすら湧かなくなる

まさに負のスパイラルで、ここで嗅覚に対する行動をやめてしまいます。
側から見たら「いや動けよ」と突っ込まれるかもしれませんが、本当に匂いに対しての意欲が湧かなくなるのです。

それは決して鬱的なネガティブな状態ではなく、本心からそう考えてしまいます。
無理なものは無理だし別に無くても生きていける、と。

病院B


この人生での匂いは諦め、1回目の病院を受診してから一年後くらい。
とある異臭症の期間、モチベーションが高い時にもう一度別の病院で診てもらうと決めました。

やはり匂いのある生活は素晴らしい。
その時に感じている匂いは誰にも分からない謎の匂いだとしても。

今回は大きい病院へ行こうと口コミのいい大きな耳鼻咽喉科で予約をしました。

当日。
簡単に症状の説明をして診察をしてもらいます。
一つ目の病院も真剣に診てくれましたが、ここはさらに熱意を感じます。
何より機材が違う。
良かった、これで匂いが分かる。

そして診断。
とりあえず漢方と点鼻薬で治療。
以上。

ただこの時期の私は嗅覚へのモチベーションが高いのです。
信じよう漢方と点鼻薬を。信じよう先生を。
薬の説明をちゃんと聞いて、正しいタイミングでちゃんと投薬してしっかり治そうと決めました。

その数日後、異臭症が去りました。
次に薬がなくなりました。
最後に匂いへのモチベーションは匂い以上に無くなっていました。

もう一度、もう一回だけ


それから確か2年後の異臭症の期間。(曖昧です、すみません)
もう一度、もう一回だけ。

あの大好きな異臭症の期間でも嗅覚の回復は半ば諦めていました。
しかし、一回きりの人生。奇跡のような生命。
嗅覚と匂いを諦めるにしては勿体無い気がする。
(おそらく嗅覚が働いて脳が刺激されてるからそういう風に考えられる)
何度もすがった病院という藁にもう一度だけ。

今回は総合病院に決めます。
経験から漢方と点鼻薬は効かない。
もっと大規模な検査・治療をしてくれそうなところへ。

異臭症で積極性があるうちに予約。
気合いを入れて当日。僅かでいいから匂いが戻ることを祈って。

その日の担当は気怠そうなやる気のなさそうな医者でした。
システマチックな検査を終えて診断。
「嗅覚っていうのは分からないことが多い。年齢的にもここから戻すのはもう無理だから薬で経過を見るしかない。」

渡されたのは漢方と点鼻薬でした。


諦めさせてくれ!

それから3年くらいの月日が経ち20代も後半へ突入していました。

3つの病院で治せなかった嗅覚の治療は既に諦めています。
異臭症の期間は「ボーナスタイム」と勝手に銘打ってその刺激のある儚い時間をモチベーション高く楽しみ、またどこかの朝に突然別れていく、ということを繰り返していました。

そんな暮らしの中、ある友人に変化が訪れます。
メガネとコンタクト、半々くらいのイメージだったのにメガネ姿を全く見なくなったのです。
そして彼は私に言いました。
「レーシックにした」と。

その数ヶ月後。次に来た異臭症の期間。
すぐに考えました。
「手術や!」と。


これまでの通院で通常の治療じゃ意味がないことは医者以上に分かっています。
なので一つの仮説。
鼻の内部、骨とかに致命的な欠陥があるんじゃないか?
点鼻薬は届いていないんじゃないか?

だから手術。手術をしてくれる医者を探そう。

社会人になって数年が経ちお金には余裕ができました。
例えそれが数十万円したとしても五感の一つを取り戻せるなら全然安いと考えることができるようになっていました。

そしてこれが本来の目的。

手術をして治らなくてもいい。ただやることをやりきってから、可能性を全て消して匂いを諦めさせてくれ

そう、ここからは諦めるための戦いでもあったのです。

※②へ続きます


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