キリスト教カトリックとプロテスタントの違い
①カトリックとプロテスタントに分かれたキッカケ(実はプロテスタントが誕生する前にカトリックとギリシャ正教に分岐している
⑴ キリスト教は偶像崇拝を禁止している宗教(ユダヤ教の流れ)だったにも関わらず、信者を増やし、勢力を拡大する為に偶像崇拝を解禁し布教する者達が現れた。そこで元々の教えであった偶像崇拝禁止を守る集団ギリシャ正教と偶像崇拝を解禁したカトリックに分かれました。
⑵ カトリックの中で免罪符(天国に行けるチケット)を販売し、金儲けをする者が現れた。それに反対する者の集団としてプロテスタント←(抗議という意味)が誕生しました。
②信者数(なぜ、こんなにも信者数に差があるのか?)
・カトリック=約11億人
・プロテスタント=3.5億人
○ カトリックは偶像崇拝を解禁している為、マリア像やイエスキリストの絵画など目に見える物が多くあり、キリスト教のストーリーが分かりやすく布教しやすい事が信者数の差に影響している。
※ 下記のカトリックの豪華な教会も信者数に寄与していると言われています。
③教会
⑴ カトリックでは豪華な教会が建てられている。教会に重きを置いており、信仰のシンボルとしている。
※ 優先順位は神>教会>聖書>信者
👆《権力によるピラミッド秩序》
⑵ 一方プロテスタントは真逆な考えで、教会を飾っても仕方ないと考えている為、質素な作り。
※ 優先順位は神>聖書>信者(教会)
👆《教会いらなくね?聖書と信者でええやん的な!》
④神父・牧師
⑴ カトリックでは神父と呼び、女性は神父にはなれない。プロテスタントでは牧師と呼び女性でもなれる。
☆サブストーリー
①カノッサの屈辱(1077年)
聖職者任命権限を懸けた、ローマ皇帝VSローマ教皇の争いの物語。この頃、国の情勢不安により皇帝の権力に陰りがみえていた。その為、皇帝が自らの影響力を拡大するために言うことの聞く人間を次々に重職に任命。その行動に教皇が異論を唱えた事に皇帝が怒り教皇の破門を宣言。教皇も負けじと皇帝の破門を宣言。すると皇帝に付いていた人々が教皇側に寝返り、皇帝が雪の中3日間許してくれと教皇に泣きながら謝罪したという事件。
②アナーニ事件(1303年)
聖地エルサレム(中東)がイスラム教に占拠されてしまうことから始まる物語。ローマ教皇が十字軍に聖地エルサレムをイスラム教から取り返してこいと命令するも、なかなか取り返すことが出来ず何度も何度も遠征に行かされる事で徐々に不満が高まっていた。今までとは力関係が変わり、教皇の力が弱まり、皇帝の力が強まっていた。そこに危機を感じた教皇が皇帝の破門を唱えるが、皇帝に殴られ逮捕されてしまい教皇は憤慨し、憤死してしまう事件。
※ 十字軍(キリスト教徒が、聖都エルサレムをイスラム教徒の手から奪い返すために起こした遠征軍)