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私の自慢
私の次男「琴裕将」は先場所(九州場所)、幕下筆頭で勝ち越して十両昇進を決めた。
幕下以下の力士は無給だが、十両に昇進すると毎月月給が協会から入ってくる
だれでも相撲部屋に入門した人はとりあえずこの十両昇進を目標に頑張る
全力士600人~700人の中で、関取(十両以上)は70人
約1割の難関だ
ここからは息子の自慢にしばしお付き合い願いたい
彼は法政大学3年生までレスリング部に所属していた。
アマレスの世界では比較的有名な選手で海外遠征などにも行っていた
もちろん当時、彼の目指すところは「関取」ではなく「東京オリンピック出場」だった
しかし小中高時代に全く勉強をしていなかった彼は大学3年時から始まった個別授業に全くついていけなかった「とりあえず授業だけには出なさい」と顧問の先生に言われていたのだが、勉強嫌いは横綱級の彼はこれが苦しくてついに一学期もたずに中退し、故郷の奈良県に帰ってくることになった。
そこから彼の約十か月の引きこもり生活が始まった。
子供の頃、あれだけ活動的だった、息子が外に出るのも嫌がった。
就職活動のために「履歴書」を作るように促した時期もあったが、まったく行動を起こそうとしない。
本人にやる気がないのだから仕方がない・・・
半ば諦めていた
「車の免許だけでも」と取りに行かせた自動車学校の仮免許試験はなんと8回も落ちた
かなりの重症だった
そんな彼が重い腰をようやく上げたきっかけはこうだ
話は遡るが、彼はレスリング経験者ではあるがまったく相撲経験がなかったわけではない
小中学校の頃には「わんぱく相撲」や「全中」「都道府県大会」の相撲競技に出場していた
そもそも相撲からレスリングに転向した理由は
中学3年時の近畿大会、都道府県大会で相次いで1年生の相手に負けてしまったのだ
3年生が1年生に負けるくらいではこの先通用しないのでは・・・
中学卒業後「入門しないか」と声をかけていただいていた佐渡ケ嶽親方の御誘いも丁重にお断りして、地元の公立高校でレスリングを始めたのだった。
引きこもりの期間中に彼が、唯一目を輝かせたのは
大相撲中継だった
相撲が始まると午後一時からのBS中継から結びの一番まで一人居間でテレビにかじりつく毎日だった。
「未練あるんか?」
ある日、私が聞くと、彼は苦笑いをしながら答える
「いやいや、このひとたちやっぱり強かったんやで」
言われてみたテレビに映っていた力士は「佐藤」という力士で現在の大関「貴景勝関」
なんでも高校卒業後に入門してあっという間に関取に昇進した力士
なんとこの佐藤君は中学3年の時に近畿大会で負けた1年生の選手だったのだ
そして「この人も」と指さされていた力士は「阿武咲関」
かれもスピード出世で関取に昇進した若者
なんとこの彼は都道府県大会で負けた青森県の1年生だったのだ
「もう一回挑戦してみるか」
私が声をかけると「大丈夫かな」少し不安な返答だったが目は輝いていた
「もう充分」と、最後まで相撲界入りに反対していた妻を私は次男と一緒に説得した
中学時代に声をかけて頂いていた佐渡ケ嶽親方に連絡を入れれば
「すぐに来れるか」と快諾頂いた。
ありがたかった
通常お相撲さんは入門の際、地元や出身校から盛大に見送られて入門するのが慣習のようだが・・・
彼は誰に見送られることもなく
出発当日の朝、自分でスーツケースに身支度をした
私は自家用車で部屋まで彼を送って行った。
こうして彼の大相撲世界入りの生活が始まった
多くの関取がいる中で大学中退後「引きこもり生活」を経験した人は珍しいのではないだろうか?
これが私の自慢だ