偏見に対する偏見
2019年12月から2020年3月まで、私は世界旅行をしていた。訪れた国はタイを別にすれば全てヨーロッパの国々で、合計で18か国ほど周遊した。本来はあと3か月ほどかけてマグレブと呼ばれる北アフリカを経て中東に至り、その後トルコへ北上してコーカサスにあるジョージアという国まで行く予定だったのだが、コロナ禍の影響でこじんまりとした欧州旅行となったのだった。
ヨーロッパと言えば、歴史的に人種差別の問題は避けては通れない地域である。しかし特に2020年2月ごろからは北イタリアのロンバルディアを中心にコロナ禍が欧州でも猛威を振るい始め、中国の武漢発祥のこのウイルスと結び付けられてアジア人全般が差別の対象となる事態に発展した。
私も、街行く人にすれ違いざまにわざとゲホゲホと咳き込んで見せられたり、「中国人は入れられない」とレストランへの入店を断られたりした。故郷の日本よりも数段暗い夜道を一人で歩くときなど、なかなか心細い思いをした。私がいた頃、3月のパリでは、日本人観光客がナイフで刺されたり、「コロナ!」と叫んだ暴徒に襲われたり、という事件が起こっていた。当時のヨーロッパはいつにもましてキナ臭かった。私はすっかり疑心暗鬼になって、街行く人々が私のことを敵意の眼差しでじろじろ見ているような気がした。
アジア人を差別する人とはできれば出会いたくないものだが、私はそんなヨーロッパでしばらく過ごさざるを得ない状況に陥っていた。ヨーロッパにおけるコロナ禍を甘く見ており、気が付いたら帰国ラッシュに乗りそびれた私は帰りのフライトチケットを確保できなかったのである。
脱出方法を思いつくまでの期間は、どうしたってヨーロッパにいなければならないのだから、せっかくなら楽しく過ごしたい。街に出ればほとんど必ず人種差別的扱いを受けたが、宿にいても面白いことはないし、自分は悪くないのに我慢すると言うのが納得がいかない。そういうわけで私は連日街に繰り出す。
ある夜更け、セルビアのベオグラードで酒宴に招かれた。その帰り道、一人になって急に空腹が感じられた私は、行きつけのイロス(ギリシャ風ドネルケバブ)レストランに向かって歩くことにした。レストランまで20メートルほどの距離まで近づいたところで、中国語が聞こえてくる。嫌な感じがする。中国語風のでたらめはレストランのテラス席でイロスを食べていた20代半ばくらいの中東系の男の口から出ていたもので、他に誰もいない夜道でその相手は明らかに私であった。
この時、私は何かを変えたいと思った。いつも嫌な扱いを受けっぱなしでは埒が明かないではないか。楽しい飲み会の後で冷や水を浴びせられて一段と気分が悪かったし、たらふくビールとラキヤ(バルカン半島周辺で愛飲される強い酒)を呷っていたので気が大きくなってもいた。私は憤怒の形相を作ってその男に向かってズンズン歩き始めた。10メートル、5メートルと近づくにつれて、男の傍らに座っている彼のガールフレンドらしい女性が、「もうやめなよ、黙っときなって!ごめんね、この人酔ってるから。」と仲裁を始める。私は、仲裁はありがたいが俺はこの人と話をつける必要がある、と伝え、「お、中国人じゃなかったか?日本人?韓国人?」などと言いながらへらへらしている男を見下ろしながら、なぜでたらめの中国語みたいなたわごとを私に投げかけたのか問うた。近づいてみると私よりも随分小柄な彼は、「え?中国人だと思ったんだよ。君らみたいな見かけのはだいたい中国人だろ。でも、気分を害したなら謝るよ。ごめんごめん。」という。ガールフレンドらしき人は、しきりに謝っている。
私は彼が終始へらへらしているのが気に食わなかったが、喧嘩になっても店の人に迷惑なのでその場はそれで収めて、自分もイロスを食べるて帰ることにした。
翌日の昼どき、私はまたしても同じイロス屋に行った。すると昨晩の男が、同じ女性と一緒にイロスを食べているではないか。私は酔いもさめているし少し緊張して、しかし苛立ちも依然あるので厳然とした態度で「お前昨日の小僧だな。」と声をかける。すると、彼は昨日とは違ってはっきりとした口調で、「おお、あんたか!いや昨日は申し訳なかった。かなり酔っぱらっちゃっててさ…実は今中国語勉強してるんだけどなかなか話す相手がいなくて、あんたのこと見て勉強したことが使えるチャンスだと思ってわくわくしてね。酔ってたし、とっさに中国語で話しかけちゃったんだけど、無礼だったな。ごめん。」と言った。
それを聞いて、私の心の中にあった蟠りは雲散霧消した。心がふわっと軽くなった。近くの街に旅行に行くという彼らとともにイロスを食べ、お互いの旅路の幸運を願って別れる。
この男と話をした後、私は少し疑心暗鬼から解放された。自分では悪意を感じていると思っても、実は悪意などそこにはないのかもしれない。アルコールなど一時的な精神の混濁によるうわごとなのかもしれない。
その後、欧州滞在中、私は人種差別的扱いを受けた、と私が認識するたびに、そういう扱いをした人に理由を聞くことにした。大方の反応は「なんだコロナ野郎、失せろ。」とか、「ちっ、言葉がわかんのかよ。めんどくせえな。」といったものだったが、そういう時は多くの場合周りの人が私に味方して「謝れよ!」「2020年にもなってまだそんなこと言ってんのかよ。」などと援護してくれた。また、私に詰め寄られて自分の行いを恥じて謝ってくれた人も中にはいた。
異国の地でただでさえ心細いのに、まさにその脱ぎ捨てることもできない「異国性」がもとで嫌なことをされると、その爪痕は心に大きく残り、その後ずっと恐怖と不安は付きまとうことになる。全員が敵に見えてしまうというのも無理からぬところだと思う。少なくとも、私にはそう見えていた時期があった。しかし、対話を通して誤解が解けたり、街行く人の中には自分の味方になってくれる人の方が多くいるということが分かったりした。
するとどうなったか。「嫌われ者の私なんかが目立つようなことをしないほうがいい」と公衆の面前での少しでも目立つ行動を遠慮することがなくなった。ダンスが好きな私はストリートミュージシャンやダンサーがいれば一緒になって踊る。それによってヘイトを受けたことはない。拍手喝采を以て受け入れられるのが常であった。また、「私なんかが話しかけたら迷惑がかかる」と思って面白い人々に話しかけない、というようなことがなくなった。おかげで大切な友人たちと出会うことができた。
私はイロス屋で中国語で話しかけてきた男と対話したことで、いわば「人種に対する偏見に対する偏見」を捨て去る一歩を踏み出したのだった。
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