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なぜ、私は”気分障害”になってしまったのか。


”辛い。幸せじゃない。消えてしまいたい。” そんなあなたへ。

多くの方に読んでいただき、誠にありがとうございます!

あちらの記事では、”気分障害”の診断を受けた私がそれを克服し、それでも落ち込みそうになった時に、いつも私がしていることについて、のお話をしました。

今回は、そもそもなぜ、私が"気分障害"になってしまったのか。
その、きっかけや詳細を書いていこうと思います。

もし今、同じように苦しんでいる方がいたら。
何か少しでもお力になれたら幸いです。
包み隠さず書きます。

※当時、正気じゃなかったので、もしかしたら途中ビックリするような表現があるかもしれません。予めお伝えしておきます。


私が壊れてしまったきっかけ

それは、私が大学2年生の時でした。
当時私には2つ年上の彼氏がいました。
東京と京都で遠距離恋愛をしていて、お互い授業もあったので、会うのはだいたい2週間に1度。普段は主に電話やメールでやり取りをしていました。

大学生の頃、私は結婚に対しての憧れが物凄く、
それまで彼との交際も順調だったので、”卒業後は絶対に彼と結婚する!!(メラメラ)”みたいな勢いでした。

完全に、結婚=ゴール だと思っていました。

そんなある日、いつも通り彼と電話でたわいもない話をしていると、
突然ポツンと告白されました。

「ごめん。元カノのことが忘れられない。」

電話口でそう言われ、一瞬何がなんだか分からず、フリーズしました。

しかし、結婚を目指している私は、咄嗟にこう判断したのでしょうね。
”絶っ対に彼と別れる訳にはいかない!”

「大丈夫だよ!そんなのよくある事じゃん。時間かけて一緒に解決していけばいいんじゃない。」

気付いたら私はこう返事していました。
1ミリも大丈夫じゃなかったのに、無理をして、電話口で平静を装いました。

彼の中ではおそらく、別れる選択肢も用意していたと思います。
しかし、私の思わぬリアクションで、その電話の時にはまだ、別れるには至りませんでした。


しかし、電話を切った後、私の体に異変が起こり始めました。

さっき電話で言われた言葉たちが、ゆっくりゆっくりと脳内でかみ砕かれ、その意味がジワジワと全身に溶けていきました。

気付いたら、嗚咽するほど号泣をしながら、過呼吸とパニック発作を起こしていました。

当時一人暮らしをしていたので、部屋には私1人ぼっち。

胸の奥がドクドクとして、その痛みをどうにか紛らわしたくて
自分の体を痛みつけ、その痛みにフォーカスする事で、気持ちの痛みから逃げようとしました。

すると、不思議と気持ちがスカッとして、憑き物が落ちたように涙も止まりました。
これがきっかけで、気持ちが落ち込むと体に当たる というのを繰り返すようになってしまいました。

ここから、私の感覚がどんどん壊れていきます。

もはや正気ではないので、学校からの帰り道もぼんやりと車を眺めながら
「車がこっちに来て私にぶつかってくれないかな。」
そんな風に思うことも多かったです。

私の場合「死にたい。」というより、
自分の体を守る・大事にするという部分が完全に消失してしまっていたので、危険な事に対する恐怖心や回避能力が無くなっていました。

それから数日、何をしても夜寝れなくなってしまい、睡眠薬が欲しくて
そこで初めて精神科にかかりました。


精神科受診ーその後

初めての精神科で、これまでの経緯を話すと、”気分障害”と診断されました。
睡眠導入剤、安定剤、突発的に気分が暴れそうになった時に飲む薬の計3種類を処方されました。

睡眠導入剤のおかげで、夜は寝られるようになりました。といってもそれは、体を強制的にシャットダウンするような感覚に近いです。
また、私の場合は効果が強すぎて朝起きれなかったり、起きても頭がグラグラで、学校に行けないことも多々ありました。

こんなグチャグチャの状態の私を救ってくれたのが、アメリカ留学 でした。

私の人生を変えたアメリカ留学

元々、彼との電話の一件があるよりもずっと前から、アメリカへ留学に行くことが決まっていました。
この時、出発までは残り3ヶ月ほどで、それまで海外に一度も行ったことがない&こんな状態で行って、私は大丈夫なんだろうか とギリギリまで悩みました。

しかし、精神科のドクターが「もしかしたら環境がガラッと変わって、良い気分転換になるかもしれませんよ。」と言ってくださり、行くことを決めました。

人生初海外。
不安しかありませんでした。おまけに当時、私の英語力は英検3級程度で
ネイティブを目の前にしたら、ほとんど何も話せないレベルです。

しかし、ホストファミリーのおかげで、私は変わっていきました。
彼らは本当に太陽のように明るく、とても優しい人たちで、私の意味不明な英語にも、いつもちゃんと耳を傾けてくれていました。
皆、自分の人生をすごく楽しそうに生きていて、家族を大切にし、キラキラしていました。そんな姿にすごく憧れました。

また学校では、他の国から来た同年代の子たちと勉強をしたり、一緒にアクティビティーをしたり。
全てが新しい事だらけ。良い刺激しかなくて楽しすぎる毎日でした。

学校が休みの日には、1人でバスを乗り継いで知らない所まで遠出したり。
現地の学生たちがバレーボールで遊んでいる所、1人で乗り込んで行って仲間に入れてもらったり。

その時初めて、自分が意外とアクティブでたくましいことを知りました。
留学中、毎日が充実しすぎて、正直彼のことなんかすっかり頭から抜けていました。笑


日本に帰国-その後

留学はほんの1ヶ月でしたが、日本に帰国する頃、もはや薬は一切飲んでいませんでした。それから精神科にもかかっていません。

ただ、あの時留学を勧めてくれたドクターには今でも感謝しています。

帰国した後、彼との事を何回も何回も考えました。
『私が我慢して、時間が解決するのを待とうか。私がもう少し大人になれば、全てを受け入れられるようになって、そしたら一緒にいられるんじゃないか。』

私は彼に物凄く依存していたので、あんなに傷ついたのに、なかなか別れるという風にはなれませんでした。

自分の限界が来るまで、彼との関係を頑張って頑張って続けていたある日、ふと目を覚ましました。

『彼はもう、私に対して想いがない。恋愛は1人では成り立たないから。私ばかり頑張ったところで、彼の気持ちがないなら、この2人は続くわけがない。仮に続いたとしても、中身が空っぽだ。』と。

本当に頑張って付き合っていたので、走り切った という感じでした。笑


《振り返って思うこと》

①もし、私がもう少し恋愛の経験があれば、もしかしたらあそこまでは傷つかずに、うまく気持ちの対処が出来たかもしれません。
きっと中には、「たったあんなひと言で、そんなに傷つくなんて大げさなんじゃ?」と思う方もいるかもしれませんが、恋愛初心者の私には、避けられないほどの大ダメージだったのです。

②私は、末っ子育ちで甘やかされて育ってきました。それまでの人生、不思議と大体のことが自分の思い通りに進んでいました。

なので、思い通りに行かなかった時の、自分の気持ちの整え方が分かりませんでした。

(言わずもがな、ここまで大事に育ててくれた両親にはとても感謝しています。)

彼に依存していました。当時、自分1人で過ごすのも下手でしたし、自分1人、単体としての今後の人生をどう生きたいとか、空っぽでしたね。
精神的に自立出来ていませんでした。


④結婚=ゴールという考え方に問題がありました。
個人的に結婚とは、自立した二人が、その後の人生も共に手を取り合って、苦楽を共に過ごし、一緒に進んでいく道が結婚なのだと勝手にイメージしています。

しかし、私は結婚がゴールだと思っていたので、彼の存在よりも、結婚が優先になっていました。そして、私一人で二人の関係をなんとかしようとしていました。
それは、あまりにも一方通行で、二人が上手くいかないのも当たり前ですよね。

⑤文章書いてて胸が痛くなりましたけど、自分のことを全く大事に出来ていませんでした。
この体と命は、両親が、家族が一生懸命私の事を守り、大事に育ててくれたものです。まるで1人でここまで育ったかのように思ってしまいますが、そうではないはずです。必ず誰かが守ろうとしてくれたと思うのです。

それを自分で痛めつけてしまっては、きっとその人たちも
とても悲しい思いをします。だから私はもうしません。


とはいえ、生きていれば辛い時もたくさんありますよね。
私も、その後すべてが最高だったわけではありません。
でも、自分を大事にするため、落ち込みそうになったら、いつもしていることがあります。

辛い人ほど、とにかく試してみて欲しい7つのリフレッシュワーク
に書いていますので、良かったらそちらも覗いてみてください(^^)


今回は少し重たい内容で長文でしたが、最後まで読んでくださって
ありがとうございました!


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ひまわり🌻
いつも記事を読んでくださって、ありがとうございます! いただいたサポートは、フリーター卒業&独立のエネルギー源とさせていただきます! noteを通じて、皆さんの素敵な世界観や経験に触れ、私はいつも励まされています。いつか私もそんな風になれるよう、これからも田舎から発信し続けます!