【狩猟免許】銃猟デビューへの道#0【狩猟への想い】
ハンターを目指す経営戦略コンサルタントのちょーすです。
今回はナンバリングが前後してしまいますが、#0として、私が狩猟免許(第一種銃猟免許)を取得することになった経緯や想いをお伝えできればと思います。
幼少期
私の実家では、昔から米農家さんから直接お米を購入していました。その米農家さんが狩猟をやられていて、その方から私が小学生くらいの小さい頃から誘われてはいましたが、当時は殺生が怖く、できませんでした。
余談ですが、実家の庭で家庭菜園をしていますが、そこに引っかかって弱っている烏や雀も触ることが出来ないくらい、私自身はか弱い子どもでした。
青年期
そんな中、大学生の頃に住んでいた茨城県で、2011年に東日本大震災を罹災しました。
強大な自然の力を前に、これまで人間が積み上げてきた暮らしが一瞬で音を立てて崩れていく様を目の当たりにしました。
また、これまで如何にその暮らし方に依存してきたのかを痛感しました。
これが自然の力の大きさと人間の力の無力さを最も身近に感じた瞬間でした。
生きることの意味と死ぬことの意味を考えたときに、「生きることは死ぬこと」に考えが至り、そこから如何に生きること・生きていることを感じるかということを人生の一つの命題にしてきました。
30歳を迎えたことを機に、地元山口へ戻ったタイミングで幼少期からお世話になっている米農家さんと改めて話をし、「狩猟をする人が高齢となり減っていること」を目の当たりにし、狩猟免許を取得することを決めました。
今想うこと
狩猟というのは、当然、動物を殺生します。しかし、ただ殺生するだけではなく、その命を頂戴することで自らの命をつなぐことが本質だと考えています。
狩猟に対してネガティブなイメージを持っている方もいらっしゃると思います。
ただ、そんなときに思うのが、その方自身も実感していないですが、動物の肉を食べている以上、間接的に殺生していることになります。
自分が食べるものがどのように出来てきたか、それを知らずに生きていることが、果たして本当の意味で「生きている」と言えるのかと考えています。
特に昨今は親戚付き合いも希薄になり、動物の「殺生」だけでなく、人の「死」に対しても、人生の中で向き合うことが少なくなっているようにも感じています。
殺生に対して、「怖い」と感じるのが正常なのでしょうが、「食べて」「生きる」ことの本質が何なのかということを、今後、私自身も含めて一人でも多くの人がこのブログ等を通じて、追求できれば良いなと思います。