私を作った人シリーズ1・りかさとこ

仙台での子どもミュージカルがすばらしかったという新聞記事を見た。

この作品の作・演出をしたらしい&全国的に人気の「ラーメン体操」
のあきらちゃんと共に歌ったり踊ったりしているらしい「リカちゃん」
との腐れ縁をいつか書こうと思っていたので
noteを始める勢いに使わせてもらおう。
おかげさまだよ。
(今までお互い、素直にお礼や誉め言葉を言ったことがない。)

彼女との最初の記憶は、幼稚園の時にうちの庭で
「かたつむりのための家」を作ったこと。
最後の記憶は、アトリエで彼女とあきらちゃんに会ったこと。

その二つの間の記憶が、ぎっしりとある。なぜなら
・幼稚園(つぼみ5組)から高校(3年Iクラス)まで
  クラスがずっと同じ。
・家が徒歩5分の距離。
・高校では演劇部とボランティアサークルが一緒。

幼稚園から一貫教育のその学校で、私と彼女の家以外は裕福だった。
私立のミッションスクールの何たるかを、当時は知らない。

中学、高校(女子高)での我々の遊び場は、学校だった。
やはり小学校から高校まで同じクラス&演劇部、さとことの
3人ワールドは最強で、その後の大学や社会を物足りなく感じて困った。
中3の時は、ロッカーの一角に人形の家を作ったり、授業の先生を呼びに行くとき毎回小芝居を用意したり、覆面をかぶって授業を受けたり、教室の外の芝生で演劇ごっこをしたり。
遊びに行く先は動物園や映画や模擬裁判、外食は学校近くのハンバーガー屋どまり、成績は三人の誰かが学年トップのことが多かった。

高校で演劇部に入ったのは「なんとなく」だったけれど、舞台やら脚本やら、0から作品を作る経験は、大きかったと思う。
夏合宿は体育館に雑魚寝し、リヤカーを引いてホームセンターに大道具の材料を買いに行った。毎年のコンクールに加えて、校内行事ではバカ殿や童話のコメディなどを、全校生の前で披露した。

男子のいない、他校との交流もない、ネットもまだない狭い狭い世界で、体をはって笑いを取る修行はどこまでも広がった。
高校卒業時のお別れ会の出し物(マジックショー)で金髪外国女性(アモーレ・ミーヨさん)のかっこうで踊りながら出てきて段ボールに閉じ込められ、号令と共にハゲ&ひげおやじのかっこうで現れる役をさとこに提案したら、彼女の顔が曇った。理由は「私、そんなおいしい役していいの?」。
バカ殿役をした時の私は、白塗りちょんまげ姿(さとこは、馬)だった。
彼女と同じ感想を持った。

りかは、子ども向けのステージで全国を回ってる。
さとこは、ビジネスコンサルタントとしてやはり全国回ってる。


森の小屋でガス水道もなく毎日ホリデー、な自分を客観的に見てしまうのはこんな日だ。
2人に負けないくらいのお笑いパートナーがいなかったら、
いまだに2人を恋しがっていたかもしれない。

お笑い相方に、深く感謝。

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