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亀仙人のこと


3月21日、春のうらら氏の命日。
今までちゃんと書いたことがなかったので、地味にここに。


彼の住む、通称ポカラに連れて行ってくれたのは歌手のKちゃん。
山の上の庵、仙人のような見た目で囲炉裏ばたに座り、絵を描き
彼を慕う人々が随時 訪れ
年に一度、大きな祭りを行なっていた。

祭の猫缶ランプ作り。右は石巻のちだ原人。


「目が3つある女が来た。本当にいるんだな」と言われた。
その後しばらく、三つ目女は彼から逃げることになる。

最寄りの小学校の校長室に長靴で入っていき
(私は町の全部の小学校で英語を教えていたので)
「Nにこれを渡してくれ」と絵を置いていった、と
教育委員会から連絡が来て大いに焦った。



毎晩のように電話がきて、私には理解できないアートな?話を
30分ほどされた。
聞いていないのがバレて「俺からの電話、迷惑か?」と聞かれ
「そうですね」と言ってしまう。


私の人生には片思いと片思われしかなく、片思われの時は
一切の期待を与えぬよう走って逃げる、しか知らなかった。

音楽かアートの集まりがポカラであった時、うららさんが
「Nに近づきたいのにどうしていいかわからないんだよ」
と、誰にともなく大声で言った時はさすがに気の毒に思い
「冷たさ」を「涼しさ」くらいに緩めた。


2011年春分の日、「うららさんが亡くなった」と連絡が来た。


後悔はいくつもある。
ちゃんと話をすればよかった。絵を習えばよかった。
目が3つ、の意味を聞けばよかった。


3周忌、彼の故郷の淡路に皆で行き、散骨などした。
「うららさんの最後の片思いの相手」と言われたのがきっかけで
ヂョンミに出会った。
彼女はうららさんの絵に惚れて弟子入りのために那須に越した人。

3日で那須に帰るはずが、彼女と淡路で2週間暮らす流れになる。
透明なうららさんが各所で活躍した、不思議な2週間。
亡くなってからの方が親しくなることもある。

この時も翌年も、淡路で急性鬱が発症した。
部屋で動けずにいたらヂョンミが叫んだ。
「空にうららさんおる!」
うららさんが描くような亀が空に。(トップ写真)
ラジオからは「春うらら」の曲が。

帰るきっかけを失っていたが、那須の友人親子がなんと
淡路の近所に帰省していて会い、よし帰ろう、となった。

夫もポカラ常連だったので
つないでくれたのもうららさんなのかな。
うららさんの若い時が、例のいとこ↓に瓜二つなのも
https://note.com/inaho829/n/ndb289cdef6c1
不思議すぎるけど不思議で当然な世界なんだな。



うららさん、少し成長しましたので、長電話OKです。
こちらの約束↓まだ有効ですか?

最初から彼の良さがわかった羨ましい方
https://ameblo.jp/5838ym/entry-10676124887.html

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