救急映画
落ち込みと頭痛で何もできない×丸一日。
犬散歩中に思いついたのが、「君たちはどう生きるか」観に行く案。
メイクイ集まりで4人中私だけ観ておらず、いつか、と思ってた。
「迷ったらgo」採用。→10分遅れで滑り込む。
単純に、きれいな絵とファンタジーの世界が即、栄養になった。
友3人と違って内容の良さはわからないけど、今の私に効いた。
動植物と話せ、亡き人たちとの境が薄く
己の道を追って、命の危険があっても好奇心と勇気を持って進む
そういう在り方、世界。
最近、それに近い詩を書いた。
多くの人の前で読んだ↓後で、大規模な落ち込みと頭痛がきた次第。
詩、重くて場違いだったのでは?の後悔が原因と思っていたけれど
映画の後に久々のK温泉に行き
原因は、脱皮と宣言・affirmationではないかと思い当たった。
私は、現代社会よりも、ファンタジーに属している。
あの詩で、社会でうまくやろうという無駄なあがきにトドメを刺し
その衝撃と痛みだったのかもしれない。
地から湧くお湯に感謝しながら、姿を見せつつある自分の在り方を思った。
先祖、前世、経験、能力、縁運勘、それらが同じ方向を示す。
重いなあ(笑)。
救ってくれた映画、で思い出すのは20年前。
実家で激しく引きこもり、布団からも出られなかった時。
高校の元生徒(サッカー部)のYが
「俺、そういう人、慣れてる。何も話さなくていいからドライブ行こう」
と連れ出してくれ
映画館で「ナルニア国物語」を観た。
ユンケル並みに効いた。
その後、乗せて行ってもらった田舎の満月の下で、私は饒舌になった。
ファンタジーの世界では、私は正常だった。
その1ヶ月ほど前、片思いしかできない私にYは
「先生、恋愛や結婚みたいな普通のこと目指さないで 世界とか
救っちゃえば?老後寂しくなったらそばにいてあげるから」
と、桁外れのアドバイスをくださった。
先週、仙台のスーパーで、Yとばったり会った。
20年ぶり、3児のいいお父さん。私は夫と一緒。
ねえ、今後もし、私が孤独に世界を救うことになったら
そばにいてくれるの?
と聞けなかったけど。
☆久々に自分のnoteを読んだら既に、
あちら側に引越し宣言、していた。