戦場をピクチュアにすること
最初に断っておかないと誤解を生むと思いますので書きますが、戦争をエンタメとして消費するつもりも、面白がるつもりも毛頭ございません。
が、戦争という異常状態が人間の芸術性を爆発させることはあると思います。ピカソがゲルニカを描いたのは、ドイツ軍によるゲルニカ空爆の事実を報道を通して知ったからでした。
いま現在、悲しいことにウクライナ国内でロシア軍による凄惨な破壊行為が続いていて、双方に多数の死者が出ています。世の中には、戦場カメラマンという、これは本当に信じられないほどのリスクを負う職業の人がいて現地の様子を伝えてくれます。写真を含む戦場のピクチュアには報道という側面もあるし、思想という側面もあるし、そしてアートという側面もあると思います。もちろん、現実的には危険な仕事なのでお金や実績になるという事実もあると思います。
人が死んでいる現場を取り扱って、アートとしての側面を認めていいのかという批判はあるかと思います。私は、これを是としたい。そもそもが不可分のものだし、表現したい・伝えたいという強い思いがにじみ出て結晶する、それが人間の表現というものだから。順番が逆なんですよね。表現が先でジャンルわけがあと。
そういえば、ゲルニカのレプリカが国連安全保障理事会の会議場に飾られているそうです。
毎日沢山の戦場写真がネットにアップされています。プロのカメラマンが撮影したものを報道機関が出すものもありますし、一市民がスマホで撮ったものがSNSで拡散されていくこともあります。
影響を受けて、いま創作の筆が進んでいる画家もいることでしょう。創作側でない私は、表現を受けてなにを考えるかです。
#今日もギャラリーのイラストを使用させて貰いました。ありがとうございます。