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世界的ギタリストと地元コピーバンドの熱い交流がここ伊那谷で

この記事はフリーマガジン「伊那谷回廊 vol.6(2020年3月発行)」に掲載された、過去の記事です。

松川町で実現する 私の生きる道
ベンチャーズコピーバンド・THE SCOOTERS
Gerry McGee in NAGANO


1960年代、高度経済成長の真っ只中の日本にエレキブームを巻き起こした世界的インストゥルメンタルバンド、ザ・ベンチャーズ。そこで長年リードギターをつとめたジェリー・マギー氏のライブが、秋晴れ清々しい令和年10月6日(日)、中川村中川文化センターで開催された。

千載一遇のビッグチャンス
憧れのギターヒーローと同じステージに

ライブのプロデュース、バックバンドをつとめたのは、本誌でも以前紹介したことのある松川町のベンチャーズのコピーバンド、ザ・スクーターズ(以下、スクーターズ)。

THE SCOOTERS (ザ・スクーターズ)
長野県下伊那郡にある松川町出身の同年のメンバー4人で結成したグループ。中学時代からベンチャーズの楽曲を演奏するようになり、2005年、高校1年生の時に「ザ・スクーターズ」を結成。高校2年生の夏、24時間テレビ企画の平安堂コピーバンドコンテストに出場して優勝。結成10周年時には、上伊那郡中川村の中川文化センターでワンマンライブを挙行。現在はメンバーが5人となり、それぞれが仕事をしながら、地域や企業のイベントで演奏するなど元気にバンド活動を継続中。
【HP】https://the-scooters.com/

改めて経歴を紹介すると、当時高校1年生だったリーダーが、ジェリー・マギー氏がリードギターを奏でるベンチャーズのサウンドに大きな影響を受け、同級生3人を誘いバンドを結成。ジェリー氏が活躍した90年代のベンチャーズサウンドを徹底してコピーしている。

現在はメンバーの自宅のある、山間の「信州ふるさとの見える丘認定」にも選ばれた松川町部奈地区を拠点に腕をみがき、各地の様々なイベントやライブに出演するなど、活動の幅を広げている。


そんな中、今でも日本ツアーを行っているベンチャーズを一昨年脱退した、ジェリー・マキー氏の単独日本ツアーの企画が立ち上がり、企画元の日本ギター音楽振興会より「各地でライブをプロデュースできる団体を探している」と、スクーターズにも声がかかった。


スクーターズにとっては、憧れのジェリー氏と共演できる夢のような話。「やらないわけがない!」と、この千載一週のビックチャンスを物怖じせずに手を挙げ、そしてつかんだ。


迎えた当日の正午。ジェリー氏が会場へ到着。憧れの人を目の前にスクーターズの面々は、当然のことながら「本当に来てくれた」と胸がいっぱいに。

長旅の疲れを全く感じさせず、終始おだやかな笑顔が印象的だったという。好物と聞いて用意した親子丼も「美味しい」と、喜んで食べてくれたそう。

ジェリー氏の体調を考慮し、短時間で臨んだリハーサルも、和やかで楽しい雰囲気のなかで進み、時間が経つのも忘れてしまうほどだったそうだ。

自由席ということもあり、開場およそ1時間以上前からロビーには長蛇の列が。

大ホールから漏れ聞こえるリハーサル音に、開場を待つファンの気持ちも高ぶっている様子がうかがえた。「たくさんの方にジェリーさんの生のギターを聞いてもらいたい」と、広報宣伝にも力を入れた甲斐あって、遠くは九州、全国各地から多くの来場者が伊那谷に訪れ、300席ある会場は、ほぼ満員となった。


まるで夢を見ているような感動の瞬間の連続


いよいよ開演。スクーターズのオープニングアクトと挨拶に続き、「Walk don't run」のオープニングとともにステージの幕が上がる。ジェリー氏の登場に会場は大きな歓声と拍手に包まれた。その瞬間をカメラのレンズ越しに見ていた筆者も、そのステージ上の圧倒的な存在感に、胸が大きくざわめき立ったことをよく覚えている。

コンサートは2部制で計24曲を披露。スクーターズの安定した演奏に、この日初めて合わせたとはとても思えないほど、ジェリー氏のギターが馴染み、往年のベンチャーズのコンサートを思い出している人も多くいたことだろう。司会進行のスクーターズメンバーによる流暢な英語でのやりとりや、ジェリー氏のおどけた仕草などで、会場はとても和やかな雰囲気に。




そして渋い歌声を披露した「ランブリン・オン・マイ・マインド」。
その声といまだ健在のブルージーなギターワークに、聴衆はあっという間にジェリー氏の世界に引き込まれ、最高にクールな瞬間の連続だった。

リーダーがギターを始めた頃からずっと憧れていたジェリー氏と、一緒にリードを弾くジョイントセッションの時間も設けられ、リードが冴える「ドライビング・ギター」など数曲を演奏。共演後リーダーからは「この間、ずっと夢を見ているようだった」と、周りのことが全く見えなくなるほどの感動のひと時だったという。

ライブ終盤、ジェリー氏が「朝日のあたるフォーマンス。ゆっくりとした足取りでステージ前の階段を降り、歩きながら弾く姿に、近くに座るファンは羨望の眼差しで目を輝かせていた。手を振って感動を伝える人も見られ、その場にいる多くの人から感の思いが伝わってきた。

アンコール前には、会場からたくさんの花束が手渡され、ジェリー氏からは「本当にありがとう。また来年も長野へ来たい。」と語られた。

アンコールでは定番曲「キャラバン」の演奏で大いに盛り上がる中、コンサートの幕が下りた。

姿が見えなくなっても大きく手を振る人たち。

ジェリー氏のギターのテクニックやパフォーマンスだけでなく、その溢れ出る大きく温かい人間性に、皆が強く惹かれている様子がひしひしと伝わってきた。

ジェリー氏との共演を終えたスクーターズは、こんなコメントを寄せている。
「ジェリーさんの音楽やショーに対して真剣に向き合う姿だけでなく、僕らをミュージシャンとして同等に扱ってくれる姿勢に接し、改めてジェリー・マギーというギタリストに深く敬意の念を抱きました。ジェリーさんから、来年も一緒に演奏しようと、笑顔で話しかけてもらえたことが忘れられない」と語った。

【当日の映像はこちらから】
THE SCOOTERS Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/@thescooters1357

そしてこの日から2日後、ジェリー氏は東京公演のリハーサル中に倒れ緊急搬送される。

突然すぎる別れ

そして長野公演からわずか6日後の10月12日、帰らぬ人となってしまった。81歳だった。

突然の出来事は、スクーターズにとって大きすぎる衝撃だった。そして図らずも、先のコンサートがジェリー氏のラストライブとなり、スクーターズは最後の共演者となった。

スクーターズは数日後、WEBサイトを通じてコメントを発表。

「僕らの中にはジェリーさんのあの笑顔、あの優しさ、あの手の大きさ、そしてあのギターサウンド、すべてが心の中に強く焼き付いています。
僕らにとって、ジェリーさんはまさに偉大なレジェンド。これからもずっと彼をリスペクトし、追いかけたいと思っています。ジェリーさんが突然逝ってしまっことは思いがけないことで本当に残念です。ジェリーさんが安らかな眠りにつかれますよう心よりお祈り申し上げます。ジェリーさん、本当にありがとう!」

生涯現役。世界中の様々なステージで数えきれないほど演奏し、この日本にも何度も訪れ、プロ・アマチュア問わず、多くの人と演奏や交流を重ねてきたジェリー氏。大の親日家と自称するほど、日本と日本人のことを愛してくれた偉大なギタリスト。

ベンチャーズのメンバーとして来日することはなくなっても、一人のギタリストとして日本での演奏を切望し、来日してくれたその思いと、来日中に出会った人たちに一生の思い出を残してくれたジェリー氏に、心から感謝と敬意の気持ちを表したい。


そしてこの記事を読まれた方へ。
折に触れて、新しい元号になった秋の伊那谷で、そんな熱い交流があったということを、思い出してもらえるとうれしい。

「僕らにとってジェリーさんは まさに偉大なレジェンド
これからもずっと彼をリスペクトし 追いかけたいと思っています」
THE SCOOTERS

ジェリー・マギー Gerry MeGee
1937年11月17日、アメリカ・ルイジアナ州ユーニース生まれ。ベンチャーズで長年リードギターをつとめる。ベンチャーズ加入前は、スタジオ・ミュージシャンとしてリッキー・ネルソン、エルビス・プレスリー、ザ・モンキーズなど著名アーティストのバックバンドとしてレコーディング、セッション、ツアーにも参加した経歴を持ち、あのエリック・クラブトンにも影響を与えたといわれる。
ジェリー・マギーのベンチャーズへの加入は、それまでになかったR&Bやブルースのテイスト、また「京都の恋」や「雨の御堂筋」といった日本の歌謡曲的なメロディなど、ベンチャーズに新しいスタイルをもたらした。好きな日本食は親子丼など。大の親日家でもある。2019年、日本での単独ツアー中、心臓発作のため都内病院へ緊急搬送され、同年10月12日死去。

取材・文・写真:北林南
写真協力:中島拓也


フリーマガジン「伊那谷回廊 vol.6」での特集紙面


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