世界的ギタリストと地元コピーバンドの熱い交流がここ伊那谷で
松川町で実現する 私の生きる道
ベンチャーズコピーバンド・THE SCOOTERS
Gerry McGee in NAGANO
1960年代、高度経済成長の真っ只中の日本にエレキブームを巻き起こした世界的インストゥルメンタルバンド、ザ・ベンチャーズ。そこで長年リードギターをつとめたジェリー・マギー氏のライブが、秋晴れ清々しい令和年10月6日(日)、中川村中川文化センターで開催された。
千載一遇のビッグチャンス
憧れのギターヒーローと同じステージに
ライブのプロデュース、バックバンドをつとめたのは、本誌でも以前紹介したことのある松川町のベンチャーズのコピーバンド、ザ・スクーターズ(以下、スクーターズ)。
改めて経歴を紹介すると、当時高校1年生だったリーダーが、ジェリー・マギー氏がリードギターを奏でるベンチャーズのサウンドに大きな影響を受け、同級生3人を誘いバンドを結成。ジェリー氏が活躍した90年代のベンチャーズサウンドを徹底してコピーしている。
現在はメンバーの自宅のある、山間の「信州ふるさとの見える丘認定」にも選ばれた松川町部奈地区を拠点に腕をみがき、各地の様々なイベントやライブに出演するなど、活動の幅を広げている。
そんな中、今でも日本ツアーを行っているベンチャーズを一昨年脱退した、ジェリー・マキー氏の単独日本ツアーの企画が立ち上がり、企画元の日本ギター音楽振興会より「各地でライブをプロデュースできる団体を探している」と、スクーターズにも声がかかった。
スクーターズにとっては、憧れのジェリー氏と共演できる夢のような話。「やらないわけがない!」と、この千載一週のビックチャンスを物怖じせずに手を挙げ、そしてつかんだ。
迎えた当日の正午。ジェリー氏が会場へ到着。憧れの人を目の前にスクーターズの面々は、当然のことながら「本当に来てくれた」と胸がいっぱいに。
長旅の疲れを全く感じさせず、終始おだやかな笑顔が印象的だったという。好物と聞いて用意した親子丼も「美味しい」と、喜んで食べてくれたそう。
ジェリー氏の体調を考慮し、短時間で臨んだリハーサルも、和やかで楽しい雰囲気のなかで進み、時間が経つのも忘れてしまうほどだったそうだ。
自由席ということもあり、開場およそ1時間以上前からロビーには長蛇の列が。
大ホールから漏れ聞こえるリハーサル音に、開場を待つファンの気持ちも高ぶっている様子がうかがえた。「たくさんの方にジェリーさんの生のギターを聞いてもらいたい」と、広報宣伝にも力を入れた甲斐あって、遠くは九州、全国各地から多くの来場者が伊那谷に訪れ、300席ある会場は、ほぼ満員となった。
まるで夢を見ているような感動の瞬間の連続
いよいよ開演。スクーターズのオープニングアクトと挨拶に続き、「Walk don't run」のオープニングとともにステージの幕が上がる。ジェリー氏の登場に会場は大きな歓声と拍手に包まれた。その瞬間をカメラのレンズ越しに見ていた筆者も、そのステージ上の圧倒的な存在感に、胸が大きくざわめき立ったことをよく覚えている。
コンサートは2部制で計24曲を披露。スクーターズの安定した演奏に、この日初めて合わせたとはとても思えないほど、ジェリー氏のギターが馴染み、往年のベンチャーズのコンサートを思い出している人も多くいたことだろう。司会進行のスクーターズメンバーによる流暢な英語でのやりとりや、ジェリー氏のおどけた仕草などで、会場はとても和やかな雰囲気に。
そして渋い歌声を披露した「ランブリン・オン・マイ・マインド」。
その声といまだ健在のブルージーなギターワークに、聴衆はあっという間にジェリー氏の世界に引き込まれ、最高にクールな瞬間の連続だった。
リーダーがギターを始めた頃からずっと憧れていたジェリー氏と、一緒にリードを弾くジョイントセッションの時間も設けられ、リードが冴える「ドライビング・ギター」など数曲を演奏。共演後リーダーからは「この間、ずっと夢を見ているようだった」と、周りのことが全く見えなくなるほどの感動のひと時だったという。
ライブ終盤、ジェリー氏が「朝日のあたるフォーマンス。ゆっくりとした足取りでステージ前の階段を降り、歩きながら弾く姿に、近くに座るファンは羨望の眼差しで目を輝かせていた。手を振って感動を伝える人も見られ、その場にいる多くの人から感の思いが伝わってきた。
アンコール前には、会場からたくさんの花束が手渡され、ジェリー氏からは「本当にありがとう。また来年も長野へ来たい。」と語られた。
アンコールでは定番曲「キャラバン」の演奏で大いに盛り上がる中、コンサートの幕が下りた。
姿が見えなくなっても大きく手を振る人たち。
ジェリー氏のギターのテクニックやパフォーマンスだけでなく、その溢れ出る大きく温かい人間性に、皆が強く惹かれている様子がひしひしと伝わってきた。
ジェリー氏との共演を終えたスクーターズは、こんなコメントを寄せている。
「ジェリーさんの音楽やショーに対して真剣に向き合う姿だけでなく、僕らをミュージシャンとして同等に扱ってくれる姿勢に接し、改めてジェリー・マギーというギタリストに深く敬意の念を抱きました。ジェリーさんから、来年も一緒に演奏しようと、笑顔で話しかけてもらえたことが忘れられない」と語った。
そしてこの日から2日後、ジェリー氏は東京公演のリハーサル中に倒れ緊急搬送される。
突然すぎる別れ
そして長野公演からわずか6日後の10月12日、帰らぬ人となってしまった。81歳だった。
突然の出来事は、スクーターズにとって大きすぎる衝撃だった。そして図らずも、先のコンサートがジェリー氏のラストライブとなり、スクーターズは最後の共演者となった。
スクーターズは数日後、WEBサイトを通じてコメントを発表。
生涯現役。世界中の様々なステージで数えきれないほど演奏し、この日本にも何度も訪れ、プロ・アマチュア問わず、多くの人と演奏や交流を重ねてきたジェリー氏。大の親日家と自称するほど、日本と日本人のことを愛してくれた偉大なギタリスト。
ベンチャーズのメンバーとして来日することはなくなっても、一人のギタリストとして日本での演奏を切望し、来日してくれたその思いと、来日中に出会った人たちに一生の思い出を残してくれたジェリー氏に、心から感謝と敬意の気持ちを表したい。
そしてこの記事を読まれた方へ。
折に触れて、新しい元号になった秋の伊那谷で、そんな熱い交流があったということを、思い出してもらえるとうれしい。
取材・文・写真:北林南
写真協力:中島拓也
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