「未来、未来」って言うけど、創るのも変えるのも現在(いま)なんじゃないの??という問い
最近、自分自身に問いがある。
・未来を創造する
・未来を変える
・未来のために
なんていう言葉をなんとなく使ってきたけど、「未来って現在(いま)の連続なんだよなー」と考えたときに、
変えるのも創るのも現在(いま)なのでは??
とハタと思った。
未来のために現在を犠牲にする・我慢するのもなんか違うし、、、犠牲&我慢がキラキラした未来を必ずしも連れてきてくれるわけじゃない。
当然、未来像(ビジョン)は大切なんだけど、ビジョンって「未来はどう生きているか」というイメージだから、意識するのは”結果”としての未来というよりは、未来につながっている現在(いま)なんじゃないかと。
子どもたちが大人を見て「自分たちの未来」だと思ったら嫌だな
・歯を食いしばって生きている。
・嫌々働いている。
そんな大人を見た子どもたちが「あぁ、自分たちの将来・未来の姿」だと無意識に思う。
そんな未来って希望あるのかしら??
ワクワクする未来を子どもたちに抱かせたいのなら、現在(いま)の僕らが輝いて生きている必要があるよね、と思う。
生きるって、そんなワクワクだけじゃないよ
って声が聞こえてきそうだけど、少なくともそんな”ワクワク未来”に向かって自分らしく、自分を輝かせる。
それが僕にとっての「現在(いま)を創る」ってことだ。
「使う言葉の違い」は意識の変化を生む
未来を創る
のも
現在(いま)を創る
のも、おそらく意思行動的にはそんなに変わらないニュアンスで使われているんだと思う。
”未来を掲げて今を改善していく”ってことで「未来創造」とか言うんだろうしね。
でも、「現在(いま)」をより意識して、より強調していくことで、僕自身も意識が変わりそうだ。未来への期待値というよりは、より良い現在(いま)を継続していこう、的な意識変換。
どんな言葉を選ぶかで、見る方向が変わる。当然結果も変わる。
思い立ったらすぐ行動
ということで、いま取り組んでいるプロジェクトの活動理念も変更。
「未来」って言葉は響きも良いし、イメージ的にワクワクする。
でも”未来”を使った瞬間に課題を先送りしてしまいがちになる。課題があるのは現在(いま)なのに。
未来は想像しかできないけど、現在(いま)は触れる・感じられる・味わえる。よりリアリティを持ってコトに当たれるってこと。
現在(いま)か、未来か
なんて、ほんの少しの差かもしれないけど、このギャップを埋めていくことが、僕らにできる「できることから少しずつ」なんだと思う。