ちっぽけな足掻き
残す、という言葉は、ものすごく傲慢な言葉なのかもしれない。
誰か一人が残そうとしても、心に残るものは、人ぞれぞれ違う。災害を忘れないようにしましょう、と言ったところで、忘れない人は忘れるわけないし、もしかしたら、それよりも違うことを忘れたくない人だっているわけで、だから、残るものは、否応なく自然と残ってしまうもの。もしかして、残そうとする行為は、人間の心に反している行為なのかもしれない。化石みたいな偶然残ったものを保存しようとすることと、アートを保存しようとすることには、まったく異なる何かが含まれているような気がした。化石はどれだけ地球の気候が変化しても残ってしまう、自然の摂理のようなもので、人間の操作可能な領域を超えている。そういう力に圧倒されて、私たちは、化石を保存しているんだろうか。だから、アートを保存しようとするのは、自然に対する、人間の意地みたいなものがあると感じてしまう。人間だって、残したいものを残すことができる、という希望を感じつつも、自然に対抗しようとしている姿が、愚か者のようにも見えてくる。そんなこと言ったって、生きることは、何かを残してゆくことなのだから、生きることを否定しないでくれ、と自然に唱える。