優しくなる途中
1000年経っても共感できる和歌があって、人間の心なんてそんなに変わらないんだな、と思うけれど、SNSには共感できない文章がツイートされている。
なんで、同時代の人に厳しくて、先人には優しくなれるのだろうか? 人を理解するのに、いつ生きていたのか、なんて関係ないのかもしれない。共感されなかった言葉は、いいねもリツートもされず、どこかへ追いやられてしまうように、共感されなかった和歌も、みんなに無視されたんだろうな。その時、作者はどんなことを思ったのだろうか? 先人を尊敬しても、異国人を軽蔑する人がいて、時代の隔たりより距離の隔たりの方が厄介なんだな、と思った。どんなにインターネットが発達して、グローバルになりました、と言っても、距離の隔たりは消えることがなかったし、会うこと以外、全て同じような気がした。それでも、先人との距離は離れていくばかりだけれど、一緒に生きている人との距離は縮めることができるのだから、国連があって、オリンピックがあって、WHOがあって、ボランティアがあるんだと思う。そうやって、人類はだんだん優しくなってゆく、と考えたい。
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