人類は育児方法の正解を手にしていない
長女が2歳くらいの頃、"怒らない育児"をやっていた。
(怒らずに諭しながら育児する方法)
声掛けの仕方、諭し方、接し方。
まだまだ育児初心者、訳も分からず必死でやってはみるものの、思うようにはいかず、自分を責める日々
「星野さん、がんばっているのも分かりますが、お子さんの知能指数を考えると、それは無理があると思いますよ。」
ハッとした。
いや気付いていた。
2歳くらいの子は、物事をよくわかっている。本当に頭がいいと思う。
けれどそれは、誤解を恐れずにいうならば、非常に動物的で、勘というか本能というか、幼い子が生きるために携えた能力だと今は思う。
理論理屈ではなく、そういった身体能力に似たもののお陰であり、理解力ということとはまた違うもの。
"子ども"というものに初めて接した私は、その能力の高さや頭の良さに毎日驚いていたから、思い違いをしていた。
言葉からの理解ができる年齢じゃないのに、心で会話したとしても、"言葉"では通じない。
そんな子に、いくら違うよと長々言葉で説明しても、そもそも集中力がまだないので、聞いていられるわけがない。子どもにとっては念仏だ。
客観的に見れば、こんな単純で簡単なことも、トライアンドエラーしてやっと気づく。
バカじゃない?
と過去の自分にめっちゃ思うが、でも分からなかった。
育児書や育児方法は五万とある。
ネットにも情報は散見している。
"良い育児"に導く方法はあるかもしれない。
だけど、多分、そこに正解はない。
3ヶ月くらいで首がすわり
5ヶ月で寝返り
8ヶ月くらいで伝い歩き
1歳で自立、歩行開始
体が大きくなることでの身体能力の向上の過程は、ある程度はっきりしている。
しかし、人類が誕生して今まで、これが正しいという育児法は完成していない。
育児書は完成していない。
そう。育児に正解なんてない。
これが、この10年、4人の育児をさせてもらって導きだした私の一つの答えです。
あの人のあの素晴らしい文言も、姿勢も、やり方も、全部正しい。
けれど、たぶんきっと間違っている。
けど、多分それでいいんだと思う。
それが、本当は素晴らしい。
10年経ってみて、育児は語れないし語るものではないって思った。
長女には、わけのわからないことが、生きることにとっての正解であるってことを教えてもらった。
だから語ることなんてできない。
正しさなんて不要だ。
育児は大変で苦しいことも多い。
だけど、あなたに会えた喜びは、私が出会ったすべての喜びを凌駕する。
生まれてきてくれてありがとう。
心から愛しいと思える毎日をありがとう。
つまらん母ちゃんでごめんね。
いっつも"お姉ちゃん"させてごめんね。
いつも頼りっぱなしでごめんね。
あなたには謝ることばっかりだけど、、。
10年間、一緒にいてくれてありがとう。
無事に育ってくれてありがとう。
私なんかを、お母さんにしてくれてありがとう。
誕生日おめでとう!
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