世界平和は夫婦から。
現在わが家では、改築工事が続いている。
借家の古民家を大家さんに了承の上、一階のリビングをサロン店舗として使用するためだ。
これにより妻は自宅にて仕事をすることができるのだ。
普段から自宅にいる僕との時間が長くなることで、どういった反応が起こるのかが楽しみである。
夫婦もいろいろな形があるだろう。
ある程度の距離があるほうがうまくいく夫婦もいれば、その距離があることで逆にうまくいかない夫婦もいるのだと思う。
おそらく僕ら夫婦は、常に一緒にいることができるタイプなのだと思う。おそらくだが…。
キャンピングカーもあるので、夫婦喧嘩の際は僕が車にこもればいいだけだしね。。。
さて昨日のこと。
店舗の入り口のドアの件を妻と話していて面白いことが起きた。
昼間に業者の方と打ち合わせをしていた僕は、ドアの淵部分に使うウッドの色を決めていた。
透明のガラス窓に濃い色のウッドで注文することにしたのだ。
ブログトップの写真が参考写真である。
仕事から帰宅した妻へその旨を伝えたところ、妻的には薄い色のウッドが良いという。
古民家の外壁が濃いウッド調なので、合わせたほうがカッコイイと僕は意見したが、外壁が濃いからこそ薄い色のほうが真新しく見えるのだというのが妻の意見だった。
二人の意見が対立したのだ。
夫婦として一つ屋根の下で同じ釜の飯を食べる生活。
この夫婦生活を順調に進行させるには”合わせる”ことが重要になる。
サロンも妻のお店なわけだし、僕は妻の意見に合わせることに決めた。
これは夫婦仲を円満にするための良き旦那像を伝えたい記事ではない。
面白いのがここからだ。
参考写真をスマホから引っ張り出して妻が言った。
『ほら、やっぱり薄い色のウッドのほうがいいじゃない』
僕はその写真をみて言い返した。
『これ、濃い色のウッドだろ?』
お分かりだろうか?
僕も妻も、頭の中でイメージしていた色は同じだったのだ。
しかしそれを僕は濃いと言い、妻は薄いと表現していた。
そう、今日の記事は物の見方の話なのだ。
人は同じ物や状況を見の前にしたときに、全く異なる反応をする。
人の数だけ世界があるわけだし、十人十色という言葉があるくらいだから仕方がないことだ。
しかしその意見が違うように見えたとしても、イメージしていることが同じだというケースだってあるってことだ。
その人が表現する言い回しが、他の人の言い回しと違うだけってことがあり得るということ。
味の濃い、薄いなんかも地方によって異なるわけで。
僕は東京育ち、妻は島根育ち。このことでもお互いの当たり前の基準に違いがでることもあるのだろう。
だとするならば、夫婦生活とはより深く相手との違いを受け止めていかなくてはならない。
僕らが思っている以上に”違っていいんだ”を意識しなくてはいけないのだと思う。
そしてこの意識の先に、戦争が無くなる未来があるのかもしれない。
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