ひたすら熱中してたらロケットを作っていた話

県立浦和高校の校内紙である麗和に寄稿した文章の転載(1200字) 

稲川貴大(高57回)インターステラテクノロジズ株式会社 代表取締役社長

タイトル:ひたすら熱中してたらロケットを作っていた話

浦高時代に工芸部に入り、授業そっちのけで木工に熱中した。そこで「ものづくり沼」にハマった。人生捧げようと思うほどの達成感、それに至るまでの厳しい修行のような日々。傍から見たら狂気かもしれない。当時作った椅子はインターハイ相当の展覧会に出せた。進路を考えたときに漠然と、なにか面白いもの、新しい時代が見えて、世の中を変えるものが作りたくなった。

1浪して東工大に入学。授業そっちのけで人力飛行機に熱中した。鳥人間コンテストと呼ばれる、琵琶湖上を人力だけで飛ぶ飛行機で距離を競うテレビ番組の企画だ。大学サークルとして1年がかりで飛行機を作る。長くても1時間程度、短いと一瞬で着水して壊れる。人間の200W程度の極小出力で大きな飛行機を飛ばす、驚異的で狂気の競技だ。1度優勝できたが、私が設計主任の時には無念にも4位だった。

学部3年で引退後、研究そっちのけでロケットに熱中した。ロケットは遠い存在だったが、他大学でも本格的なロケット作りをしていることを知り、ハマった。図面描き・金属加工・シミュレーションして機体を作っていた。全国各地で2mほどのロケットを高度数百m飛ばしていた。つまり遊んで暮らしていた。

大学院修士2年生で就活。ロケット業界希望だったが入れず。遊んでばかりの生活に反省しつつも落ち込んだ。気を取り直してカメラメーカーに内定をもらった。

なんとかロケット継続出来ないかと考え、弊社インターステラテクノロジズの前身団体に手伝いとして潜り込む。入社式の3日前、創業者の堀江貴文氏(ホリエモン)と出会う。「君はカメラ作りたいの?ロケット作りたいの?」と言われ、そういえばと思って、創業直後のベンチャー社員1号として入社を決意。4月1日入社式当日に大手企業の内定先に辞退に行った。周りからはどうやら狂気だと思われていたらしい。

前任社長の体調不良もあり、入社1年後には社長になった。
北海道十勝地方の広大な場所に本社を構え、工場・実験場・射場を整備していった。
ロケットは難しい。温度・速度・エネルギー量、日常生活から1〜3桁違う極限の機械だ。国のロケット開発は数百〜数千億円規模の巨大プロジェクトだ。
資金規模が1〜3桁違い、十分なノウハウを持たない独立系ベンチャー企業での挑戦は無謀だと思われてた。実際、極めて苦労した。地上での失敗多数、打上げ失敗も経験した。

技術者・経営者として全力で勉強しながら実務をやっていった。
MOMOという宇宙空間までタッチしてくるロケットの開発に成功した。国内民間企業初となる成果だった。
「誰もが宇宙に手が届く未来を作る」という目標に向けて次のロケット開発と事業としての宇宙輸送サービスの展開を進めている。
高校時代から目の前のものに熱中していたら、気づいたら宇宙業界のど真ん中にいたうっかりものである。
まだまだ面白くて新しい時代を作れるようなプロダクトを作り、世の中を変えたい。


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