叶えたい夢を叶えてしまった後の夢
「大人になったら何になりたい?」という大人たちの問いかけに、ずっと私は「編集者になりたい」と無邪気に返していた。それも中学校1年生の頃から。
あれから15年。なった。なってしまった。出版社の編集者に。
忘れもしない中学1年生の三者面談。進路希望表の大学名には、大好きな小説家の出身大学を、職業欄には小説家と書いた。進路希望表を見た担任教師は「小説家は食えないからやめておけ。記者や編集者を目指せ」と言った。
正直なところ、当時は腸が煮えくり返るほど悔しかった。この私がーーー東野圭吾よりも良い文章が書けると思っているこの私が、小説家になれないわけがない、と。けれど程なくして、職業として小説家になるのがいかに難しいかを理解した。そこからは、他の職業にによそ見することもなく、担任教師の言う通りに編集者を志すようになった。
大学は、マスコミ・メディア関係に強そうなところに入学した。研究内容もマスコミ・メディア受けが良さそうなテーマにして、ヨーロッパの大学に1年間留学までした。就職活動に有利だと思ったからだ。留学した結果、マスコミ・メディア企業の就職活動のタイミングを逃してしまい、人材系企業の営業職として入社することになったけれど。
だから転職すると決めた時、真っ先に見たのマスコミ・メディア関係の求人だった。その中でも志望していた出版社は、経験者採用ばかりで厳しそうだった。そんな中、たまたま、本当にたまたま、新聞記者として拾ってもらえることになった。
新聞記者という仕事は、本当に楽しかった。小さなニュース記事から特集のインタビュー記事まで、いろんな価値観の方に話を聞いて、人生のおすそ分けをしてもらう。どんなに小さなベタ記事であれ、それを私の文章で人に届ける。やり甲斐に満ちた仕事だったと、今でもそう思う。
しかし程なくして、結婚を機に転職することに決めた。せざるを得なかった、という表現の方が正しいかもしれない。仕事内容やお客さまには全くの不満がなかったからだ。
2回目となる転職活動の際には、経験者を求めている出版社にも応募をした。今の私の経歴なら戦えると思ったからだ。その中でも私の経験を買ってくれた出版社で働くことが決まった時、最初に思ったのは「やっと最終到達点に来れた」。素直にそう思った。人生でやりたかったことを手に入れた。
入社してからすぐに「これは本来の私ではない」と思う言動が増えた。こんなことは初めてだった。けれども、求められる業務量に対してしがみつくように全力疾走し続けてしまった。当然、ある朝から動けなくなり、そのまま数ヵ月にもわたる休職となった。
夢を叶えた。だけど夢が叶った先に待っていたものは、私を壊すような環境だった。
しばらく休養をした後、当たり前に浮かんできたのは「この先の人生でどういうキャリアを歩むか」ということだった。
編集者として戻るにしろ、次のキャリアを考えるにしろ、すでに私のゴールテープは切られてしまった。だからまた、夢を見なければならない。そう思った時、これまで「編集者になる」という夢だけを抱えて人生を歩んできてしまった私には、編集者として何がしたいかを全く考えてこなかったのだ。さらには、自分の成し遂げたいことや楽しいと思うことは何なのか、分からなくなってしまった。
休職期間に入ったばかりの頃、友人に「きみは編集者になりたかったんじゃなくて、担任教師を見返したかっただけだと思うよ」と言われたことが、喉に詰まった魚の骨のように刺さり続けている。その時は必死に反論を口にしたが、もし本当に見返したかっただけだとして、私のやりたいこととは何なのだろうか。
その友人は国外の大学院に進学し、研究に没頭。目指す職業があり、その先で叶えたいことがある。私の夫は、「この世界から労働をなくしたい」と日々業務効率化に勤しんでいる。私と彼らには、「なりたいもの」と「成し遂げたいこと」という大きな違いがある。私の夢は、幼稚園生が「スーパーヒーローになりたい」と言っていることと、大差なかったのだ。そんなことに気付くまでに30年もかかってしまった。
どうしたものかと頭を抱えた。私には成し遂げないことなどなかったからだ。
そんな悩みを抱えながら過ごしていた休職期間。通っていた図書館で村上春樹の『アンダーグラウンド』(講談社文庫)を手に取った。作家の九段理江氏がXでおすすめしていたからだ。
本書は、地下鉄サリン事件の関係者に対するインタビューを取りまとめたものだが、インタビュアーの末席にいたことのある者として頭を殴られたような衝撃を受けた。私は、インタビューがしたかったのだ。
夢中になりながら読み終えた『アンダーグラウンド』の次は、岸政彦の『東京の生活史』(筑摩書房)を手に取った。社会学者として社会調査や生活史を中心に研究されている方の著書である。
『アンダーグラウンド』と比較して、取材対象者の軸があるわけではないため、少し内容が淡泊に感じるかもしれないが、それでよかった。むしろ、他者とのコミュニケーションにおいて「どのような生活環境の中でどのような意思決定をしているのか」に強い興味関心を持っていた私にとっては、まさに読みたかった本である。
そこから『調査する人生』(岸政彦/岩波書店)を手に取るのは自然な流れだった。
そこで思い知る。ああ、私がなりたかったのは、記者でも編集者でもなくて、社会学者だったんだ、と。本書を読みながら、私ならこれを軸に置きたいと思うテーマも思い付いた。読み終わる頃には、大学院進学のための学費を思い浮かべ、あとどれくらい働けばいいかを、頭の中で計算していた。
正直なところ、本当に進学するかは分からない。編集者として成し遂げたいことが見つかるかもしれない。夫婦としての日々の生活もある。万が一大学院に進学したとして、その先のキャリアのことも考えなければならない。だから言っていいだろう。「生活史を編む学者になること」は、夢だと。