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未来原生林にまつわるエトセトラ/ナナナナ祭2023コンセプトワーク

渋谷に100BANCHという場所がある。

渋谷駅JR新南口をよく使う人ならば、渋谷川を恵比寿方面へよく散歩する人ならば、知っているかもしれない。

ここは「100年先の世界を豊かにするための実験区」というコンセプトのもとに、これからの時代を担う若い世代とともに新しい価値の創造に取り組む複合施設。パナソニックが創業100周年を迎えることを機に、「常識にとらわれない若いエネルギーの集まりが、100年先の未来を豊かにしていく」という思いから2017年7月7日に設立。

そして設立日の7月7日前後に毎年「ナナナナ祭」というオープンな記念祭が催されている。今年は本祭のコンセプトデザインやディレクションを弊社で請け負わせていただくことになった。

と、いうのも自分自身「KaMiNG SINGULARITY」というプロジェクトで100BANCHのアクセラレーションプログラム「GARAGE Program」に採択していただいたことがあり、過去のナナナナ祭でもいくつかのイベントを作ってきた。

KaMiNGのセルフオマージュ的に、うどんを神にする儀式をやったり。

七夕の夜に100BANCHを太陽系にするパーティーを催したり。

そんな経緯もあり、今回0からコンセプトを立ち上げ様々な企画のディレクションを進めている。本記事は今回できたコンセプト「Future Jungle」が生まれた背景や、その深淵についての随筆である。

コンセプトがつくられるまで


まずこのキーワードが降りてきたのは今年のナナナナ祭のアイディエーションの現場、自分のインプットトークを終えて、皆が今年のナナナナ祭をどんな風にしたいかブレストしているのを遠くから眺めていたときだった。

ワークシートには多種多様な答案が並べられていた。
五感を封じたい、全て真逆にしたい、狂いたい、など、さすがエキセントリックの集合地といった回答も見られ、ほのぼのとしていた。

共通するワードがあったわけではないものの、全体が醸そうとしているニュアンスには「身体性」「祝祭性」というようなものが見てとれた。

そしてこれは事務局メンバーたちと事前にミーティングしていた際にも浮かんでいたものだった。

まぁ、それもそのはず。なんせこの祭も例に漏れず、もう3年もコロナによる制限をかけられていた。その中でも制限をクリエイティブの糧として「配信×配送」というアプローチでステイホームなフェスを仕掛けたり、全国各地に分散してNo密な形式をとっていた。

ナナナナ祭だけじゃない、全国どこのイベントもそうである。自分のイベントだってそう。政府によるイベントの制限が解けたからといって、市政のムードがガラッと変わるわけでもなく「3密」という制限は未だ見えない枷として、無意識下に存在する悪として、コロナ前とは不可逆に変わってしまっている面もある。

見えない枷はじわりじわりと僕らの身体的な交歓による祝祭感、その機会を蝕んできた。

祭を求めることは限りなく本能に近い。
音楽や、踊りを共にするというカルチャーは古より続き、民族形成のため世界中で普遍的に営まれてきている。群をなすことで生存競争に成功してきた祖先のDNAが、成功法則としてのミームが、脈々と今も流れ続け、世界はこうも祭に溢れている。

上記段落をプロンプトに画像生成するとこうなる。なんかエモい。

ステイホーム時代にオンラインライブ、ZOOM飲み会が流行ったが、一瞬で終わった。あれはなぜか。五感体験が伴わなかったからである。視聴覚のみで祝祭欲を満たすことは難しい。というか、五感体験ありきのエンターテイメントに慣れきってしまっていたから、どうしても物足りないのだ。

人は触れて、嗅いで、味わって、更にはラップトップのディスプレイ上じゃ収まりきらない有象無象の高エントロピー状態が目の前に現象していることそれ自体に、胸の高まりを感じてしまうものだったりする。ベルリンのラブパレードやイギリスのサマーオブラブなんかも言ってしまえばみんなで音楽を聴くだけなのだけど、それが1万人以上の規模感になってくるとどうもえもいえぬ特別な体感覚と覚醒が伴うようで、のちに歴史的な転換点の1つに数えられることになった。

大勢で集まって共に何かをする、という大変にシンプルで、さまざまな場面で何度もやり尽くされてきた営みが、こうも今特別に光るのである。社会の閉塞感や体制への不満など逆境の時代に起こるカウンターカルチャー的な芸術活動の開花は、きっと今回も(恐らくジェネラティブAIの波に乗って)起こるだろう。

ということで、そのような身体性、祝祭感を醸すコンセプトとはどのようなものかと考えた。そしてわかりやすくベターではありつつも「Tribal」というキーワードが出てくる。原始民族的、野生的な躍動の再起、この辺りをベクトルにしようと考える。

加えて100BANCHという地縁も血縁もない創造的な若者たちのこの実験所において、どう祭をBUNCH(束ねる)させるのか考えた。

そして出てきたのが「Jungle」というキーワード。原生林と訳したい。ジャングルは多様な植物や動物が弱肉強食、自然の摂理のもとワイルドに生息しているイメージが湧くであろう。一方で、地中では植物たちが根っこで繋がり、弱った樹木には栄養を分散させていたり、菌糸が植物たちの社会福祉のような役割を持って情報共有や、植物ホルモンの供給を手伝っている。

花は蜂に蜜を与え、樹木は木の実を鳥に与え、代わりに繁殖を手伝ってもらう。それぞれ自律分散的にサバイブしながらも、結果として相互共存的な関係性になり、循環している。100BANCHにおいては、1つのコンセプトに皆で視線を向けて共創するよりも、今ここにある生態系をダイナミックに現していくアレンジをするほうが、機能するように思った。

100BANCHの生態系は不思議なもので、よくあるアクセラレーションプログラムのように協業による価値創出や、投資家とのコネクトを図るのみではなく、ただ100BANCHというもう1つの家があり、そこになんとなく暮らしをしているように見える。

多くは名前も知らないような人たちだけど、顔見知りではあって、真剣な経営会議の横ではインパクトドライバーでビスを打ち、ブレストしている横ではうどんが打たれている、そんな光景を目にしてきた。

これは通常の人の目から見ると混沌としているが、100BANCHのメンバー的には家の中の日常的な光景なのである。この100BANCH自然とも言える混沌は、それ自体非常にユニークなエンターテイメントコンセプトに見えた。

そして「100年後の未来をつくる」という100BANCHに集まったメンバー共通のコンテクストに乗せて「Future Jungle」というコンセプトができた。

Future jungleとは何か

「Future jungle」という造語、この朧げな言葉に輪郭をつけていくというよりは、その幽玄を深め、より愉しい問いへ深化させていくことを目的としたい。

つまりこの言葉に明確な定義はなく、ナナナナ祭2023に関わるすべての人たちの脳内で解釈された多様性を受け入れたい所存だ。これから書くこともあくまで個人的な感覚に基づく私見であり、言葉選びや解釈は個々人に委ねたい。

まず「Future(未来)」とはなにか。

FutureはFuturus(〜になるだろう)というラテン語が語源となる。漢字では未だ来ぬものと書く。時間においては「今」より後の時間を指す。

人は「今」より前も後も知覚できない。連続する「今」を意識としてモニタリングすることで、通り過ぎた今(過去)いずれやってくるであろう今(未来)を編集し、想像する。

しかし胎児の状態においては今(意識)より先に過去(受精卵となり内臓や身体を形成した)と未来(必ず死ぬ)がやってくる。人は生まれるより先に死という未来があり、宇宙もビックバンより先にエントロピーの増大による熱的死という未来があった。

このように運命的に決定づけられた性質がある一方で、今の積み重ねにより未来が形作られるという人間的観点もある。例えば朝食に何を食べるかで体の栄養バランスが左右され、命の未来、つまり寿命に多少なり影響を与える。誰に出会うか、何をするか、いつまで寝るか、瞬間的な選択の連続で未来も同期するように変化していく。

まぁこれはシングルバース的なものの見方であり、実際は無数に分岐された決定づけられたマルチバースの未来のうち、どの世界とエンタングルメントしているのかということもかもしれない。

あるいは0.2秒と言われる自由意志の範疇で変えうる未来と、99,8%の無意識的な動力で引き込まれる未来、この絶妙なバランスが通常よく使われる未来という概念を保っているのかもしれない。

時空すらも量子的に観察せんとする現代物理学においては時間すらもリレーショナルな変数だが、主観的に存在する時間上の未来は、いざ辿り着いたと思った時には「今」へ変わりそしてすぐに「過去」と消え、永遠に辿り着けない幻の尻尾のように僕らを先導している。

未来は幻を共にできるホモサピエンス独特の能力の象徴的観念とも言える。

上記”未来”への考えをプロンプトにすると、普段の3倍くらいの時間がかかってこれが出来上がった。作っちゃいけないものを作ってしまった感。

「Jungle(原生林)」とはなにか。

原生林を含む人の手が入ってない自然の総称を原生自然という。
これは未来、変わりうる設定だろうか?

あるいはそもそも原生林は未来、残り得るだろうか。
世界の原生林は文明が始まる前と比較して8割が消滅したとされている。
近年は減少率がスピードダウンしている傾向にあるものの、年平均0,08%の原生林が消滅している。

また外界との接触を断ち、独自の文明を守る未接触部族も未だ100以上存在すると言われているが、多くが絶滅の危機に瀕し、開発、密猟、観光などの影響で外界との接触を余儀なくされている。

自然も、社会も、ネイティブなものはミックスされていく宿命にあるらしい。そもそもネイティブというのも時間の切り取り方の問題である。ホモサピエンスとて純血ではなく、ネアンデルタール人やデニソワ人との混血であるほか、体内は数兆の微生物が生息している。

自然においてもネイティブな自然というのは、判定が難しい。人が手をつけずとも鳥や風が、別の環境の種子を運んでくるほか、環境変化により住み着く動物が変われば原生林も影響を受ける。

例えば今後「KaMiNG SINGULARITY」で描いたように地球人口のほとんどがAIになった場合、AIが干渉していない自然を原生自然と呼び、人は猪や鹿と同様無干渉判定をされ得るかもしれない。

そんなことを踏まえて「Future Jungle」とはなんだろうか。

Future JungleっぽいものをPinterestで集めてGPT4で特徴量を平均して生成したらこうなった。なんだか花粉がすごそうである。。

日常的混沌、生物多様性、生態系、自律分散、未来観、自然観、共生、共存、身体的祝祭感、シャボン玉のように浮かんできた様々な干渉色のキーワード。振り返ると非常に渋谷的で、この地で育った100BANCHだからこそのコンテクストが流れている。

渋谷川の辺りに聳える3階建てのFuture Jungle.
あなたは何を発見するだろうか。

今後の詳細は上記HPより飛べる100BANCHのSNSをチェック!


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アメミヤユウ/体験作家
「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。