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それって本当に必要ですか?

お風呂から逃げるようにこたつの中からお送りいたします。

断捨離について書きます。

断捨離っていいですよね、

子どもの頃からずっと手に持ちきれないほどのアイテムと過ごしてきました。

不自由ない生活と呼べたでしょう。

それは私の器に入り切らないほど多く質も高く使いこなすには時間も足りないようなものが多かったと思います。

実際に自分が稼いで自分のお金で買ったものではなかったからだと思います。

就職して自分で稼ぐようになり、その水準で生活をしようとすると、

お金がいくらあっても足りないと感じました。

その時は本業に加えて、副業を2つほど掛け持ちして収入を増やし、

疲労とストレス発散目的で食べ、買い、日々を消費していました。

しかし、消費の向こうには感情のないアイテムに囲まれた虚無の自分と虚無の空間。

何に使うんだかわからないポーチ、可愛いだけの服、細かいガチャガチャのコンプリートしていない小物たち。

興味関心が強く、飽き性の自分を具現化したような雑踏に頭痛がしていました。

師事している人が断捨離について話していました。

ときめき断捨離についてでした。

断捨離は自分に無縁だと思っていましたが、その時に断捨離は自分にとって必要なものだと感じました。

買った瞬間が最高潮で、家に帰ると輝きを失う不思議なものたち。

部屋の中のときめかないものは全て破棄しよう。そう思いました。

捨ててよかったランキング

第3位 本命じゃないサブコレクション
ちょっといいなと思ってなんとなくゆるく集めていたものたちとはさよならしました。

満足感は一瞬で、見返すこともあまりないしなんで買ったんだろうと思うこともありました。

もう2度と不思議なコレクションを購入しないように、

部屋にあったサブコレクションは全てさよならしました。

断捨離でいう断の部分ですかね。

第2位 気の合わない関係性
これも必要ないですね。

人間関係において気が合うか合わないかは大事ですし、

気が合わない人といくお茶やランチほど時間の無駄はないように感じます。

必要ないものを減らしていくということは、必要なものに時間を費やしやすくなるということにだんだんと気がつく私でした。

当時仲良しだったから10年後もそうかと言われればそうでもない。

嫌われても自分が好きだなと思う人は残して、

なんとなく会う人はフェードアウトしました。

コロナ期間で好きだけど会えなくなった人もいました。

でも無理に会いに行かず流れに身を任せていくようにしました。

人間関係は離の部分ですかね。

第1位 可愛くない服、着やすいだけの服、すぐヘタッとなる服
毎日の私服を見直ししました。

普段着→ちょいおしゃれ着→おしゃれ着と大きく3つに分けられていたクローゼット内ですが割合は7対2対1くらいでした。ほとんどが普段着で着やすいだけの服。

おしゃれ着はせっかく買ったのに着る機会なし。。。買った意味がわかりませんね。

ここで私は普段着を全部捨てるなり寄付するなりして、おしゃれ着と、ちょいおしゃ着のみにしました。

するとどうでしょう、毎日おしゃれしている自分が完成しました。

お出かけするような気持ちで仕事に行き、帰ってくる。通勤時間がお出かけに変身してしまいました。

日々の彩りを洋服で増やすことができた瞬間でした。

すぐへたってしまう服は気に入っても着れなくなってしまうのが早いので、何年も長く着られる服を選ぶようになりました。

そういう服は高いので無駄遣いは防ぐことができました。

捨の部分ですかね。


自分の心の声を無視せずに、
必要なものだけを手元において置けるようにこれからも断捨離をしていこうと思います。

それではお風呂に行くしかないので行ってきます。

みなさな良い1日をお過ごしください。

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