tel(l) if... 最終話
登場人物
千葉 咲恵
主人公。進学コースの女子生徒。
伊勢
特進コースの社会科教師。咲恵と卓実の勉強を見ている。
麹谷 卓実
特進コースの男子生徒。
私たちは近くの公園まで移動した。
卓実は缶コーヒーを買ってくれた。お金を払おうとすると止められた。
私はブラックコーヒーで、卓実が持っているのは微糖だった。以前、間違えて買ったことがあるので缶の色でわかった。
ベンチに座って、コーヒーを飲んで一息ついたら、何から話したらいいのかわからなくなってしまった。
来る途中にラブホテルがあった。
—— Hotel if…
今は塗装が剥がれて、tel if…になっている廃ホテル。やけに印象に残っているけれど、ただそれだけの、どれだけ考えてもどうにもならない、何の役にも立たない記憶だ。
思えば遠くに来たものだ。
「さっき、クラスの評価がどうのこうのって言ってたけどさ、俺はクラスの人たちよりは咲恵のことをわかっているつもりだよ」
どうせ、わかるわけがない。
「外面いいけど、結構いい加減で不器用で、運動神経が悪くて、体力がなくて、要領が悪い。伊勢先生のことを異常に崇拝してて、それ以外の人のことはどこかで下に見てる。あと、たまに何言ってるかよくわからない」
そこまで言うか。でも、よく当たっていた。
訝しみながらも卓実を見ると、目が合ってしまった。
「それでも好きなんだよ。咲恵じゃなきゃ嫌だ。とりあえず誰かと付き合うこともできたかもしれないけど、しなかった。好きだからとりあえず理由作って咲恵に会いに行ってた。それで意味わからなくなって、振り回したかもしれないけど、全部、好きだったからなんだ」
だめだ、流されるな。
私にとって、「好き」は尊敬だ。憧れだ。安心だ。
だから、伊勢先生が好きだった。先生とはどうせ付き合えない。はじめから決まっているから、先生のことを考え始めた学生生活は楽しかった。
卓実のことは煩わしい。でも、本当に全部がそうかと言うと、わからない。彼といたことで、見られた景色もあった。おかげで私は随分変わった。
付き合うかどうか、いっそのこと、伊勢先生に決めてほしいとすら思った。
でも、私の中の先生は消えてしまって、いくら呼んでも戻って来なかった。
「卓実の言うとおりだよ、私は、要領悪い。だから、今こうやって話しているだけで、いっぱいいっぱいなの」
「俺もそうだよ」
「嘘だ。だって、卓実はみんなに好かれてて、どう転んだって何したって許される。わかっててやってるんでしょう」
「そんなふうに思ってたの?」
「学校には何しても許される人とそうじゃない人が二種類いて、卓実は前者で、私は後者だもん」
「咲恵は俺を誤解してるよ。けどさ、じゃあ、そんな俺を利用しなよ。伊勢先生じゃなくて、まず俺を頼ろうとは思えない?」
それはとてもありがたい申し出に思えた。
「ごめん、やっぱり、信じられない」
私は学校祭の準備中に、卓実に呼び出されたことが原因で怒られた話をした。
それから、花火の日に、卓実との関係に悩んで泣いてしまったことを話した。
卓実は私が泣いているときにいつも居ない。仕方のないことだけど、それで、卓実の言っていることが信じられないのは事実だった。
卓実は謝ってくれたけど、怒られたことや涙したことについてはもう許している。だから、何が変わるわけでもなかった。
こんな事を言って、さぞ傷つくんだろうなと思ったけれど、卓実の顔は曇るどころか、すっきりとしていた。
「なんで俺の言葉が響かないのかようやくわかった。付き合ったら俺はなるべくそばにいるし、これからはそんなことしないから。頑張るから、チャンスがほしい」
「頑張らなくていいよ。卓実にはメリットなんてないんだから」
「そう来たか」
卓実は一度座り直してから、こちらを見た。いくらでも受けて立つ、という様子だった。
「小樽のときもそうだけど、いっぱい借り作ってるみたいでずっと申し訳なかったんだ。私、何にも返せてないし、これからも返せないと思う。そんなふうに思いながら付き合うことは」
出来ない、と言おうとしたら遮られた。
「それは、俺がそうしたいからしたんだよ。咲恵のことが可愛くて仕方ないから」
気づけば卓実はさっきよりも私に近づいていた。顔が近い。その整った顔で、真っ直ぐ見られると戸惑った。
「それに、仮に付き合ったとして、卓実と仲の良い人みんなとうまくやっていける自信ない。私のせいで何人かと仲悪くなったりしたら嫌だ」
私は断る理由を絞り出した。直感を信じると約束したのに、私はまた流されかけている。
でも、それは半ば降伏しているような理由だった。
「それは考えすぎだよ。別に一緒に会うことはないんだから。
俺の周りに人がいるのはどうしようもないことだけど、俺は別に全員から好かれているわけでも、好かれたいわけでもないよ。俺のこと、嫌っている人もいるしね。
それから、さっきの、何しても許されるは言い過ぎ。
咲恵はそんなに全員から好かれたいの?」
「そのほうが生きやすいでしょ」
「そうかな。たぶん、それ、めちゃくちゃ面倒くさいよ。だから俺は、自分の目の前にいる人だけ大切にしたいと思ってる。咲恵と付き合って、何を言われても気にしないよ」
私は、参っていた。
どれだけ理由を考えても、卓実に返される。私の中の断る理由倉庫は、在庫切れになってしまった。
「わかった、付き合う」
「本当? すぐ別れて伊勢先生に慰めてもらおうとしてない?」
「そんなことしないよ」
私はギクッとした。当たらずと言えども遠からず。捨てられたら、慰めてもらおうくらいは考えていた。
「それは諦めてね。じゃ、本屋だっけ。今から行こうか」
彼は私の手を取った。それは、いわゆる恋人繋ぎというものだったので、私は面食らってしまった。缶はコンビニに戻って捨てた。
相変わらず手を繋いでいたけど、知っている顔がいないかを確認するのはもうやめた。
卓実はいつから私のことを意識していたのだろう。私もいつから、彼のことを憎からず思っていたのだろう。
言い切れることって、この世にはほとんどないのかもしれない。
大人になっても、それは変わらないかもしれない。
いつまでも保留にできることも、無いのかもしれない。
何でも色褪せて、剥がれて、やがては別のものになっていく。それは早いか遅いかだけのこと。
だったら、私はもっと、自分に正直になったほうがいいかもしれない。その変化はそんなに悪いものでもないかもしれないから。
この作品は完結しました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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