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tel(l) if... 告白の後


はじめに

①これまでの話

これは 「tel(l) if… 最終話」直後の話です。
これまでのお話はここから読めます。

②内容について

この話は、咲恵と卓実が単にハグしてキスする話です。これまでそういった描写を書いたことがなく、勉強のために、がっつりラブシーンを書いてみました。苦手な方は読まないことをお勧めします。


登場人物

千葉ちば 咲恵さきえ
 
主人公。進学コースの女子生徒。文芸部員。

麹谷こうじや 卓実たくみ
 特進コースの男子生徒。趣味でバンド活動をしている。

伊勢いせ
 
特進コースの社会科教師。毎週火曜日、咲恵の勉強を見ていた。

右沢うざわ 
 進学コースの国語科教師。咲恵のクラスの副担任であり、短歌の師匠。


本文

1

たぶん、脳はさっきまでのことを理解していて、体もそれに連動している。だとしたら、今この瞬間のぼーっとしてしまう私は、いったい何なのだろう。
問題は脳でも体でもない。意識または認識の上で、起きているらしい。

ほんの数分前、卓実と私は、彼氏と彼女になったらしい。
こんなふうにはっきりとした実感もなく、始まるものなのか。
何がどうして、そうなったのか、まだ恥ずかしくて振り返りたくない。

私たちは本屋に行った。卓実に来てもらうほどの用事ではなかったけど、一緒に行くと言うのなら、断るほどのことでもない。
予約したイラスト付きの歌集を受け取るだけだ。

会計をするために、卓実の手を離す。恥ずかしいことに、それまでずっと、恋人繋ぎをしていた。

「もう、用事済んだけど、卓実は何か見る?」
「ううん、大丈夫」
「そっか」
店を出て、駅に向かう。思い出したように、彼はまた私の手を握った。

すっかり暗くなってしまった。
帰りが遅くなったら、最寄駅まで母が迎えに来てくれる。仕事終わりで疲れているのに、心配して車を出してくれる。
安全だし何より楽だけれど、悪いことをしているみたいで気が引けた。

2

「どうしたの? お散歩?」
さっきから当てもなく歩いている気がする。
暗いせいで、周囲がいつもと違って見える。それで、迷ってしまったのだろうか。卓実はあまり、あの本屋に行かないみたいだ。

「あっちの交差点を渡ったら、駅に戻れるよ。この道、文芸部のみんなとよく通るから、自信ある!」
「うん……」
なんだか様子がおかしい。彼の足取りが重い。

やっぱり、付き合うのやめたい、とか?
さっき、卓実のことが分かった気がしていたのに、もう分からなくなっていた。

そのまま真っ直ぐ歩いていくと、遊歩道に入った。
何棟か建っているマンションの隙間を埋めるように続いている。その奥には、また何か別のビルが建っていた。構内図を見ると、大学院の研究棟らしい。

「この辺に住んでたら、朝が楽だね。家賃、いくらなのかな」
沈黙に耐えられなくて、他愛ないことを言った。
卓実の顔を見ることができない。どんな顔だっただろう?

「そろそろ帰ろっか」
私がそう言って方向を変えようすると、卓実はぎゅっと強く手を握った。それが立ち止まる合図だったらしい。
私は気付かず、何歩か進んでしまった。

向こうに砂場と蛇口、屋根付きのベンチがある。この辺りに住む子どもたちの遊び場みたいだ。

「卓実……?」
不審に思っているのが伝わったのか、彼は我に返ったように言った。
「あっ、ごめん! ずっと、二人きりになりたくて……やっと静かで座れるところがあったから」
「あそこに座りたいの?」
砂場の近くの、ベンチを指差して聞いた。
「うん」
とりあえず、座ることにした。手を離して、急ぎ足でベンチまで歩く。

「抱きしめていい?」
座る前にそう聞かれた。
「いま?」
咄嗟とっさに解りきったことを聞いてしまった。斜め上を行く質問が来て、私の脳は反射的に時間を稼ごうとしている。
「うん。このまま帰ったら、また、咲恵がどこかに行っちゃいそうで、不安で」
「そんな」私は苦笑する。「どこにも行かないよ」

「ずっと寂しかったんだよ」
場所のせいか、彼が小さな子どもみたいに心許こころもとなく見えた。
「それは、ごめんね」

ほんの少し前、私に謝っていた卓実に、今度は私が謝っている。
夏休みから今日告白されるまで、ずっと卓実の連絡を無視していた。彼に何かを求めようにも、まず自分の気持がわからなければ、どうすることもできなかった。ひとりになって考えたかった。とは言え、彼を傷つけたことには変わりない。

「だから、だめ?」
「いいよ」

本当は一旦帰って状況を整理したいけれど、覚悟を決める。もう、とっくに私たちは彼氏彼女なんだ。
映画や小説のように、章で都合よく区切ることはできないらしい。

3 ※ここだけラブシーン

卓実は先に座ると、左脚を曲げてベンチに乗せた。
それから、そこにできたスペースに私を座らせる。膝は彼の方に向けている。

あれ? ハグって、座ったままできるの?
自分の想像していたハグは、立ったまま、向かい合ってするものだと今更気づく。

考える間もなく、卓実が私を包み込んだ。卓実の顔が、私の左肩のあたりに来る。
これではまるで、「しがみつく」だ。

言いようもない感情が押し寄せた。なんだか息が苦しい。卓実の力がそんなに強いわけでもないのに。酸素が足りない。

卓実は、抱きしめる力を強めた。全然痛くない。
じゃあ、この苦しさは、卓実のことが好きだからだとでも言うの?
だって、卓実はずっと目の前にいたのに。

ふと、彼に回していた腕を解く。
「誰か来るかも」
私の視界では、せいぜい卓実の背後にあるフェンスとその後ろに並ぶ木々くらいしか見えない。
「大丈夫。俺がちゃんと見てるから」
「そう……?」

いつまでこのままなのだろう。見られたら恥ずかしいから誰も来ないでほしいと思う反面、誰かが来て中断させてほしい気もした。

卓実の匂いだ。あからさまな香水の匂いではない。家のせっけんの匂い、どんなご飯を食べて、どんな時間割で授業を受けて、どんな道のりでここまで来たか。そんな生活の積み重ねで作られた匂いなのだろう。想像したら、微笑ましいような、泣きたくなるような、不思議な心地がした。
どうか、私の匂いは、おかしなものではありませんように。

「キスしたい」
彼がそう呟いた。
「いま?」
自分でもデジャヴかと思うくらい、全く同じ返し方をした。
スピード感についていけない。とても混乱しているのに、この上、キスまで済ませるというのか。頭がくらくらした。

「一回ちゃんとキスしたい。ダメかな?」
「いいけど……」
ダメだ、断れない。卓実に頼まれると、私は許してしまう。
「いいの? ありがとう」
すっと手が伸びてきて、私はのけぞる。
「待って、待って。やり方、知らない」

後夜祭の後のキスは、事故みたいなものだった。
面と向かって、頼まれてするのは初めてだ。
誰にだって初めてはある。それなのに、みんながそれをどう処理したのかがわからない。前例は必ずあるのだから、隠さないで共有してほしい。
でも、校内のカップルは大体、そんなことなんてしていないみたいに、すました顔をしている(ように見える)。

卓実は、私の頭にそっと手を乗せた。
「まず、力抜いて。緊張が一番良くないから」
「そうなの?」
「任せてくれたらいいから」
「わかった」

恥ずかしいけれど、一回なら、一瞬で終わるだろう。それから、さっさと駅に行けば、あとは別々の電車に乗って帰るだけだ。

目をつぶる。口はそっと閉じた。
彼が私の顔に、手を添える。
手が大きい?
それもそうだ。大きくないと、ギターのコードは押さえられない。

唇が重なった一瞬、身体が反応した。
卓実は私の角度を優しく調整しながら、自分も動いた。
唇がくっついて離れて、音がする。何度も何度も。

長くない? 一回って言わなかった?
中断しようと、彼の肩に手を載せる。そのまま掴んで離れたいのに、全然力が入らない。

口を結ぶ。今度は卓実の唇が、私の上唇を優しく挟む。
思わず口が開くと、下唇を舐められた。

舌が入ってくる。少し冷たくて、ゆっくり動く。
くすぐったい。恥ずかしい。

潮の満ち引きみたいに、ときどき胸の奥がぎゅっとなる。おさまって、また、ぎゅっとなる。つま先に力がもる。気が遠くなる。

4

されるがままにしていると、気が済んだのか、ようやく解放してくれた。彼に、もたれかかる。
私の初めてを全部、一日で卓実に取られた気分だ。既に何でも持っているくせに、私から有るだけ奪っていくつもりか。

「卓実」
ようやく名前を呼ぶことができた。
「何?」
鼻と鼻を合わせながら、優しく尋ねる。
「そろそろ帰らないと、お母さん、心配するから」
「うん……明日もしていい?」

卓実って、こんな人だった?
付き合う前の彼は、どこか冷静に私を見ていた。
私におかしなところがあれば、呆れつつも手を貸してくれて、お礼を言ったり褒めれば、急に突き離すような事を言っていた。
誰とでも仲良くできる人ゆえに、常に距離感を計っている人だと思っていた。

「明日はちょっと……」
「なんか用事?」
「木曜日だから、右沢先生と短歌の話をして、そこから伊勢先生のところに行くかも。あ、卓実も伊勢先生のところ、行こうよ」
「待っててもいい? 俺は、伊勢先生の後でいいから」

待つくらいなら「俺も行く」と言うと思った。
急に殊勝しゅしょうになられても、調子が狂ってしまう。

「でも、待っててもらうの悪いよ。最近、暗くなるの早いから、どうせすぐ帰ることになっちゃう」
「一秒でも長く咲恵と居られれば、それでいいんだけどな……」

まさか、そこまでするほど、私のことが好きだというのか。
そんなことはあり得ない。
何かたくらんでいるなら、今すぐ言ってほしい。
だって、私だよ?
彼は、もっと魅力的な人たちと付き合ってきたはずだ。
いや……、あり得るような気もしてきた。
いい加減、自分を底辺に設定して考えを放棄するのはそう。そんなことには何の意味もない。

ネガティブなフィルターを外してこれまでのことを振り返ると、彼の行動はけっこう分かりやすくて、曲解して歪めてややこしくしたのは、私かもしれないと思えてきた。それなのに、彼は言い訳もせずに謝って、真剣に話を聞いてくれた。

「そういうことなら、右沢先生のところだけにするよ」
「いいの?」
「うん。伊勢先生とのほうは、用事じゃないから。いつも、右沢先生と雑談してるのを私が聞いてる。二人とも忙しいしね。またアポ取って、勉強教えてもらおう」
「うん」
「それじゃ、帰ろう」

駅にはすぐ着いた。小樽の時もそうだったけれど、卓実は私より方向感覚がしっかりしている。また同じような行動を取り始めたら、警戒した方がいい。良い教訓になった。

「本当に、車で迎えに来てもらえるんだよね? 家に着いたら連絡して」
最寄駅まで母が迎えに来てくれると教えたのに、卓実は別れ際まで、私を心配した。
「わかった」
「絶対だよ! 連絡が来るまで、俺、寝ないからね?!」
「うん。卓実も気をつけてね」

彼の乗る電車が先に来た。
私は恥ずかしくて、ドアが閉まってから小さく手を振った。少し顔が緩んでいたかもしれない。

(完)


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。ここから先は、短編を公開していく予定です。


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