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(f)or so long ... 第4話


はじめに

この話は tel(l) if… の卓実視点の話です。時系列はvol.17以降です。
本編はこちらからどうぞ。(全話無料)


登場人物

千葉ちば 咲恵さきえ
主人公。進学コースの女子生徒。伊勢のことが好き。「tel(l) if…」の主人公。

伊勢いせ
特進コースの社会科教師。毎週火曜日、咲恵の勉強を見ている。

麹谷こうじや 卓実たくみ
特進コースの男子生徒。本作の主人公。


本文

社会科準備室に移動した。
コーヒーメーカーが置いてあった。
「お金を出し合って、ついに買ったんだよ」
そう言って、先生は二杯分のコーヒーを淹れてくれた。俺はそこまでコーヒーが好きではないけれど、一杯くらいなら、砂糖を入れれば飲めるだろう。

「麹谷くん、生徒のお客様第一号だよ」
別に嬉しくないけど、咲恵なら目を輝かせて、喜びに震えることだろう。
このことが彼女の耳に入ったら、いっそう嫌われる気がする。すぐに帰ったほうがよかっただろうか。

「なんでカップが二つあるんですか?」
「面倒だから、職員室用と準備室用に一つずつ。あと、予備でもう一つ持って来てる。もしかしたら、三人で飲むかもしれないと思って」

もしかして、ただコーヒーメーカーを使いたかっただけなのか?
砂糖を入れ、使い捨ての木のマドラーでかき混ぜる。一口飲んでみたら苦くて、ミルクも貰って入れたらひどい模様になった。

「一度だけ、千葉さんもそのカップで飲んでたな」
咲恵も使った。そう思ったら、急に特別なものに思えてきた。
恋愛とは違う、二人だけで築いてきた時間がある。そこに俺はいない。

「俺がいなくなって、咲恵は毎日、楽しいんだろうな」
こんな自虐的な言い方は、普段は絶対にしないようにしている。でも、ここに座ってコーヒーを飲んでいたら、つい話したい気持ちになってしまった。

「それは違うと思うよ」
まぁ、そう返すしかないよな。
「いつから千葉さんと会ってないの?」
「花火の次の日から、ずっと……連絡も無視しされてて。自慢じゃないけど、俺、誰かに無視されたことなんて無いんですよ。だから、会いに行っても仕方ないのかな、と」

先生は腕組みをして、しばらく首をかしげていた。俺を責めているわけではなく、ただ困っているのが伝わってきた。
「ぼくは、この前まで、君たちが付き合っていると思ってた。それに、ぼくが口出しするのもどうかなと思ってもいた。お節介になりたくないから。でも、そうだな……えーっと……」

なんだろう。聞くのが怖い。
コーヒーの苦みで、ショックを打ち消そうとする。でも、味がしない。味よりも、舌や口の中にまとわりつく感触が気になる。ミルクを入れたせいだろうか。

「これはぼくが言ったって言わないでほしいんだけど、約束してくれる?」
「はい……」
ここまで聞いてしまったら、肯くしかないだろう。口は堅いほうだ。勉強会のことだって、これまで誰にも他言していないし、バレないようにしてきた。

「花火大会の日、千葉さんの体調が悪かったと言ったけど、あれは方便で、本当は泣いてたんだよ。詳しい理由は知らないけど、家につくまで、ずっと。明言はしなかったけど、麹谷くんと何かあったみたいだった。きみを責めたくてこんなことを言うわけじゃなくてね、どうでもいいとか、嫌いな人のことを思って、あんなふうに泣いたりしないんじゃないかな」

にわかには、信じられなかった。
俺が咲恵に何をしたって言うんだ?
謝るのは簡単だ。でも、理由がわからないから、謝りようがない。

「心当たりはないの?」
「ないですよ。あったら、とっくに謝ってます」
「女性の気持ちは難しいからね」
そう言う伊勢先生は、咲恵の気持ちにどこまで気づいているのだろうか。
俺は俺で、平均よりは女性の気持ちをわかっているほうだと思っていた。

「水曜日の部活帰りなら、会えるんじゃないかな。あっ、これもオフレコで」
「待ち伏せですか」
「教室だと人が多いからね。話しかけたら、案外、元通りかもよ。昨日も、元気そうだった」

そうなのか? それは先生と話せて嬉しかっただけでは?
コーヒーのお礼を言ってから、その足で図書室に向かった。

図書室は閉まっていた。
明かりがついていたからダメ元でノックをしたら、中から一人、司書さんが出てきた。グレイヘアの女性だった。

「貸出は終わりで、返却ならそこのボックスに」
司書さんは眼鏡をずらして、俺の顔をじっと見つめた。目が悪いのだろうか。
「貸出じゃないんですが、5分、いや3分でいいので、本が読みたくて」
「明日ではダメなの?」
「そうかもしれなくて」
「かもしれない? まぁ、いいけど、ついでに手伝ってくれる?」
「はい、ありがとうございます!」
俺は、精一杯愛想を良くした。

歌集の棚は少なく、右沢うざわ先生の本は意外にもすぐ見つかった。
貸出カードには誰の名前も書いていない。
手に取ってみただけで漠然と、俺の知らない世界があるな、と思った。

短歌って、季語が要らなくて、五七五七七で文字数を合わせて作るほうだよな。百人一首ってあるから、一首二首で数えるはず。
一首載せているごとに、けっこう余白がある。これならすぐ読めるかもしれない。

でも、読み始めてすぐに、本を閉じた。
俺でもわかる直截的ちょくせつてきな性の表現がそこにあった。
それも一つや二つではない。この本を読んでいると、誰かに知られたらまずい。すぐに棚に戻す。
こういう本を高校の図書室に置いていいのか? いや、置くな。

「もういいの?」
「はい」
いま、司書さんに本を見られただろうか。
「あなた、背高いね。ちょっと運ぶの手伝ってくれる?」
「はい、喜んで」
半ばヤケになりながら、司書さんの言われた通りに段ボールをワゴンに乗せて運んだ。運んでいるのは、もちろん、本だ。

咲恵はあの本を読んで、右沢と何を話すって言うんだ? 俺は読書なんてめったにしないから、わからない。

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