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tel(l) if... vol.10 小樽へ

登場人物

千葉ちば 咲恵さきえ
 
主人公。進学コースの女子生徒。伊勢のことが好き。

伊勢いせ
 特進コースの社会科教師。咲恵と卓実の勉強を見ている。

麹谷こうじや 卓実たくみ
 
特進コースの男子生徒。


私が見聞きしたことしか書けないと言うと、卓実は「どこかに行って取材したら?」と提案した。

「当てはあるの? 行きたい店とかさ」
私は少し考えて、「小樽で海が見たいかな」と答えた。
「じゃあ、小樽。決まり! 10時に札幌駅でいい?」
「卓実も行くの? 忙しいんでしょ?」
「忙しいよ。だからコースはそっちで考えて」
「わかった。コースはあとでメッセージするね」

男女ふたり、夏に小樽で海を眺めるなんて、設定から言えばかなりベタだ。
でも、まず、そのベタを経験してみるのもありかなと思った。
それに、海は小さい頃に見たきりで、リアルな描写ができるか怪しい。そういうのはすぐに審査員に見透かされる。
また、小樽の老舗喫茶店と美術館は、どちらもエッセイに向いている。

擬似デートみたいだな。

翌日、駅で卓実を待ちながらふと気づいた。
今更そわそわし始めたところで、どうしようもないのに、気分が収まる前に卓実が来てしまった。

彼は白いTシャツに、ベージュのシャツをたすき掛けにしていた。

私は白い半袖ブラウスにデニムパンツを合わせ、姉から借りたストロー素材のショルダーバッグを下げていた。
髪はおろしていたけど、姉の匠の技によって、自然な内巻き、外巻きが生まれ、いつもより垢抜けた印象になっている。

本当は取材がしやすいように、動きやすいスポーツウェアに紐付きの帽子、スニーカー、ポケットがたくさんあるショルダーバッグで行く予定だった。
母は「まさか遠足に行くの?」と聞いた。
原稿のために友人と小樽まで行って取材すると伝えると、母は慌ててこう言った。
「それもいいんだけど、小説の題材探しでもあるんだから、もう少し小樽のムードに合わせたほうがいいんじゃない?」

たしかに、私の物語の人物はこういう格好で小樽に行かないだろう。
それで、この格好になったのだ。
卓実の格好を見て、正解だったと確信した。
夏は白いトップスを着るものらしい。

卓実が早く来てくれたおかげで、一つ前の電車に乗ることができた。
JR北海道721系の二列の座席に隣同士で座る。

小樽駅に着く前に、電車が海岸線沿いを走った。
海が目の前にある。
帰る頃には、この驚きも忘れてしまうのだろうか。思わず、写真を撮った。

小樽に着くと、まず、有名な喫茶店に行った。
私はもちろん、コーヒーを注文した。
卓実はアメリカンコーヒーにした。
どちらもカステラ付きだ。

雰囲気を壊さないように小声で話す。
「卓実ってコーヒー飲めたの?」
「カステラ付いてるし飲んでみようと思っただけ」「私のも少し飲んでみる?」
二人でカップを交換した。私もアメリカンコーヒーと飲み比べて見たかった。
「カステラと一緒なら飲めるかも」
「うん。甘いものとコーヒーの組み合わせは最高だよね」

ここは、冬に来ても素敵なんだろうなと思った。
こんなふうに、ふっと浮かんだ気持ちを忘れないようにメモ帳に書き留めた。

卓実は、純喫茶の看板と一緒に、私を撮ってくれた。
私も卓実を撮った。

そのあとに、旧手宮線跡地に寄ってから、美術館へ行った。
目に留まったお店で昼食にし、そこから小樽運河を目指した。

卓実は一度もコースについて文句を言わないどころか、率先して地図を見てくれていた。
その代わり、観光に関わる費用はすべて私持ちにしようと思ったのに、要らないと言われてしまった。私としては借りを作っているみたいで嫌だったのだが、食い下がって雰囲気が台無しになるのも避けたかった。

小樽運河に向かうと、撮影待ちの行列ができていた。運河を背にして記念写真を撮ってもらうことが出来るらしい。
海はJRで見た時より遠かったし、先に見てしまったせいか思ったよりも感動しなかった。

「サンセットまで待とうよ」
卓実がそう言った。
「それだと帰り遅くなっちゃうから」
「電車で朝里駅まで行けば徒歩で海水浴場に行けるらしい」

卓実が携帯電話の画面を見せた。
写真を見る限り、かなり好みの海岸だった。
それに、私も本心では、埠頭だけでなく、海水浴場も見たいと思っていたのだ。

でも、携帯電話で調べた日の入りの時間を見て、私は肩を落とした。
「もっと遅く来れば良かった」
「そんなこと言わないでよ。折角だから市場とか見てさ、お土産も買いたいし」
お土産か。そんなこと、一ミリも思いつかなかった。やっぱり、私って欠陥人間なのかもしれない。
「卓実だって疲れてるんじゃない?」
「咲恵が体力なさすぎなだけ。ここまで来たら、作品のためにもう少し頑張ろうよ」


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