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適疎という言葉に見る、街のこれから


上記noteの記事を読んで感銘を受けました。

私は、中小企業診断士になり、街づくりや商店街振興の活動を行っていきたいと思っています。しかし、目指すべき街や、目指すべき商店街がどのようなものかいまいちイメージが湧いていませんでした。この記事を読み、私のもやがかかった目標がすっきり晴れていくのがわかりました。

地方創生は、地方を都会と同じようにビルが乱立し、電車が混み、どの駅も同じように見えるような街にすることではありません。適疎という言葉に表は、現在過密と過疎に二極化している人口を分散し、日本を最適化するという意味が含まれています。そしてそれが、日本の暮らしをより豊かにし、快適にすると私は思います。

今回は私が目指す、これからの日本の街よ暮らし方についてお話したいと思います。

故郷の街

私は長崎県のとある街に生まれました。その街は当時、人口8000人ほどの街でした。現在は人口約6800人となっています(令和元年度12月時点)。

私が幼いころ、商店街はとても活気に満ちていました。500mほどある長い商店街には八百屋、鮮魚店、精肉店、衣料品店などの個人商店が建ち並び、午後になると夕食の買い出しに住民たちが集まってきていました。

私が小学校にあがるまで、私の祖母は米屋を営んでいました。当時は配給所と呼ばれ、祖父は要望があればコメを配達しにバイクで出かけていました。祖母は店頭で米だけでなく、大豆や小豆などの豆類や飲料を販売していました。私の両親は共働きで、昼間家には誰もいなかったため、幼稚園の帰りには、祖父母の店が閉まるまで店でお手伝いをしていました。お手伝いと当時は思っていましたが、豆をすくっては戻したり、レジを勝手に打ち込んだりと、邪魔ばかりしていたように思います。

ですから、夕方の商店街の活気は毎日見ていましたし、私はその賑わいがとても好きでした。商店街の人たちにもとてもかわいがられ、街全体で育ててもらっていたように思います。

年に一度とても大きな祭りがあり、その日は商店街の来場者が、現在でも3万人規模来るほどです。私が子供のころはこの祭りが友達の遊びで一番おもしろいイベントでした。ラッキーなことに私の祖母の店は商店街のど真ん中なので、歩き疲れたら店の二階の窓からパレードを眺めたり、通行人を眺めたりして楽しんでいました。

私の母が結婚した時にさかのぼります。私の母は長崎県のとある島の出身で、家の近くに店がないため、移動スーパーが来るほどの田舎で育ちました。そして父と結婚し、私が生まれた町に引っ越してきました。母が結婚した当時の方が、私が知る商店街よりももっともっと盛り上がっていたそうで、活気のある町での生活にすごくワクワクしたという話を聞きました。

そんな商店街ですが、私が中学生ごろになると、高齢化が進み、少しずつ店が営業をやめるようになってきました。私が高校生のころになるとすっかりシャッター街と化しており、私が大好きだった商店街の姿はもうありませんでした。

それでも毎年祭りの日だけは商店街が昔の活気を取り戻すのです。それだけが、私の故郷のかすかな希望となっています。

街のこれから

私は昨年一年間、東京のとある地域の商工会青年部の方々と共に街を盛り上げる取り組みを行っていました。その街では、30代~40代の若い方々が中心となってイベントを行ったり、商店街ごとのキャンペーンを発案したりと、活発な取り組みがなされていました。これが私の故郷との大きな違いです。もっと商店街を盛り上げたいという思いのあるメンバーが集まっているかどうかだと思います。

ここで、冒頭の記事にあった「適疎」という言葉について考えてみます。適疎とはその街に合った適正の人数で暮らしを保つ、という意味だと思いますが、単純に人数だけ適切であればいいのかというとそうではありません。

というのも、私の故郷は6800人ではあるものの、街の大きさで言えば、それほど少ない人口ではありません。しかし高齢化が進み、昔の活気あふれる街を維持できないのが現状です。

つまり人数がそこそこいたところで、豊かで快適な街づくりができるわけではないということです。人数だけではなく、街が一つのコミュニティーとしてのパワーを持つ必要があると思います。

住む人々が街を一つのコミュニティーとして認識し、コミュニティーの一員としての役割を担う暮らし方をすることが、より豊かで快適な暮らしになるのではないかと、私は思います。

ちなみに、私の理想の街の条件はこのようなものです。

・大好きな仲間がいること

・理想の暮らし方が住民同士似ていること

・その街の中だけで生活できるような経済圏が確立していること

つまり、これからは、街の定義が地理的範囲ではなく、精神的繋がりの範囲に変化していくのではないでしょうか。そしてその繋がりの範囲の中で、それぞれの役割を見つけ、貢献しながら生活していく、ということがこれからの暮らし方になるのではないでしょうか。




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