つぶやきメモ0:経緯(付・いわゆる「ナーロッパ」前夜と蝸牛くも『ゴブリンスレイヤー』のこと)
Twitter(X)を使って5年くらいになるのだが自分が何をいつ書いたか忘れてたのに気づく機会が増えた。そこで、ツイート(Post)をまとめていこうと思った。そういうのだとTogetterというサイトがあると知ってはいるのだが、使い方がよくわからない。あといまWikiの説明を見たら「Twitterに投稿されたツイートをツイート主の同意なしに「引用」「まとめ」などと称して盗用するのは本来は違法だが[……]」(最終閲覧2023年9月14日17時54分)などとあってなんか説明がややこしくてよくわかんないと感じてしまった。むろんWikipediaやTogetterのせいじゃなく、私が我慢弱かった。反省はしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Togetter
文化庁による引用に関する要件の説明も貼っておく。
あと、note記事に自己引用しながら、場合によりあれこれ書き足すほうが、自分の肌感覚的には、やりやすい。このへんは人によると思う。さほど関係はないが確か2020年頃まで、NAVERまとめっていうキュレーション・プラットフォームがあった。要は、まとめサイト、Togetterっぽいやつで、けれどツイッターに特化してはいなかった。これが大変、重宝してた。
賛否両論、というかジャーナリズム?っぽい方面では、あまりいい評判を聞かなかったけれど、やる夫スレのオススメ記事とかSSのオススメ記事とかはめっちゃ便利だった。なお、SSというのは掲示板をつかった創作物で、ト書きが基本、二次創作が多かったけれど、オリジナルなのもあった。例えば 橙乃ままれ『まおゆう魔王勇者』2010-2012が元々は魔王勇者ものっていうジャンルのSSだった。
いま考えるとこの頃ってナーロッパとか言われる異世界のあの型がまだ普及していなかった。たぶん支倉凍砂『狼と香辛料』2006が中世っぽい異世界でバトルじゃなくて商売で物語やってて経済とか動かしてる!って新鮮な印象でウケてた。たぶんこの手前って、ファンタジーな異世界はコメディっぽくするっていうのが当然な雰囲気で、神坂一『スレイヤーズ』1990とか中村うさぎ『ゴクドーくん漫遊記』1991とか、マジな展開は挟むにしても根っこにドタバタな感じがあったような気がする。パロディ調な『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』1990ってのが流行ってたらしいし、そんな時代だった。
(追記:1990年代って『ロトの紋章』とかシリアスなやつあったのでは、とご指摘をもらい、うわーマジだ、なんか忘れていたヤバい、となった。1990年代のファンタジーの扱いとか、ゲームや漫画と小説とを横断したつながりとかもっと調べて掘り下げてったら見える風景が変わってきそうだった。)
ちょっと毛色が変わるのはヤマグチノボル『ゼロの使い魔』2004あたりからじゃないかな、って思うが、あまりきちんと調べたことがない。地球から異世界に召喚された主人公のサイトが地球人の血を引くメイドのシエスタに、戦闘機(ゼロ戦)を紹介してもらうのとかを大真面目にやっていて、これは何か大変なことだと思った記憶がある(アニメを見ていた。たしか)。
それで魔王勇者SSも最初、たいていどこかしらかコメディ感が濃かったんだけど、まあパロディって残酷なのとかエグいのもできるから、というか異世界で命の奪い合いしているってゲームでもなければヤバいでしょって話で喜劇から悲劇のほうに話が簡単にひっくりかえせる。実際、個人的には名作っていいたくなるタイプのSSがいろいろあって、すぐ思い出せるのだと例えば僧侶「ひのきのぼう……?」2012ってたぶんパーティー追放ものの先駆的な物語だと思う。ちょっと『フランダースの犬』1872っぽくて、泣ける。
話を戻すと、そんなシリアス感が濃い目になってた魔王勇者SS界でバズったのが『まおゆう魔王勇者』で、元々「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」というタイトルの一発ネタなスレ(この頃使われていたのがスレッドフロート型掲示板だったからこう略される)を、作者(後の橙乃ままれ)が大喜利のお題を受けたみたいにして代行して書かれ始めたのが『まおゆう』だった。それでこの流れ自体がギャグみたいだけどそこで展開されたのはシリアスな話だった。勇者が魔王をやっつけても社会は変わらないので(ざっくり言うと)殖産興業しましょう、って話。『狼と香辛料』が行商人の話だとしたら、『まおゆう』は王様たちの話。でもシムシティとか都市経営シミュレーターっぽい感じかも。後のナーロッパ内政チートものの走りって感じがする。
そういえば小説家になろうを中心にした中世ヨーロッパ風世界に対して歴史考証っぽいやりかたでディスを加える人々は戯画的に「ジャガイモ警察」って呼ばれるんだけれど、多分ナーロッパって『まおゆう』がジャガイモ栽培のエピソードを使ってたのに倣ってたりするだけだと思うからどうか大目に見てほしい、と昔は思っていた。異世界ものにおけるジャガイモ表象の歴史とか調べていないから、正確なところはまだわかっていない。
ところで『まおゆう』って当時の魔王勇者SSの慣習通りに、キャラクターに固有名詞が無い。魔王、勇者、メイド姉、商人子弟、みたいな。これって今だと蝸牛くも『ゴブリンスレイヤー』2016で知られている感じの命名法だと思う。ちなみにゴブスレの原作、やる夫スレで、2014年に連載されてたのを自分はまとめスレで読んでいたから気がついたらラノベ化してアニメ化して、こんな世界になってて、なんかビックリしている。古参、というにはファンとしての熱意というか、ロイヤリティが薄い。でもひとりの人間が創作を続けてプロになり商業出版するっていう過程に立ち会えたような感覚はただのギャラリーのひとりではあったけどやはり持っていて、それってどこかしら心が温まる事柄だ。
もっとも、アツく語る系のファンからするとたぶん余計な茶々っぽいのを私かなりやってしまうから、あんまりファン面はできないのだが。作品のできあがり方とか、何と何をつなげて読めるとか、ここのあたりの良し悪しがどうこうとか、そういう諸々。今やっているみたいなやつだ。
で、私の知る限りだけど蝸牛くもスレはエドガー・ライス・バローズ『火星のプリンセス』1917を異世界召喚ものの大御所作品としてめっちゃ面白く紹介したり、創作技法と絡めながらいろんなエンタメ教養を読者に提供してくれるひとだった。じっさいすごい感謝している。
それで、実はゴブリンスレイヤーも、こういう創作技法の講座と絡めての、ファンタジー世界でこんな話も作れる、ってオリジナル作例がひとつの物語として育っていったものに自分の目には映っている。それは『ドラクエ4コマ』的なパロディによる穿ちが切り開いて耕し、コメディが反転してシリアスとなった『まおゆう』のような魔王勇者SSを芽吹かせてきた土壌で花開いた、いわば「ナーロッパ」的物語のひとつの大輪なのだと思う。もちろんそこには作者のTRPG経験や、エンタメ教養に裏打ちされた、いろいろなテクニックが見出せるし、テクストの厚みがあるのだけれど。
少し前にこんなツイートをした。自分が「実学」っぽいものにどう触れはじめたか、みたいな話だ。
たしか私がドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症』って本を読みはじめたのは2010年頃だったから、あと三浦瑠麗『シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき』って本を手に取ったのが2012年とかだったから、それらを政治経済学の本に入れていいならまあいろいろ触れてはいたのだけれど、私の政治とか経済とかに対する興味ってこういうタイプのもの、ざっくり言えば「ナーロッパ」風なSSとかやる夫スレとかにも培われているところがあって、いやそうはならんやろ、とか、この思想あかんでしょ、とか脳内でツッコミを入れてしまうようになった今でもやっぱり、こういう作品群とその担い手の方々から私はいろいろ受け取っているなって思いはやっぱり消えない。感謝している。
了