つぶやきメモ3:太田充胤による酉島伝法『るん(笑)』論の要約と短い所感
何かへと注目を誘導する機能を広告的と呼ぶとすれば、広告的にならない読書感想文の公開は(たぶん語の定義上)不可能だ。そんなことをつらつらと考えているうちに元々したかった話の内容を忘れていた。
いろいろ見返していたら次のような連投を見つけた。
途中まで進めたが話の流れを思いつけなくなり、書きかけのまま放置される記事というのが自分にはいくつかあるのだが、以下はそのひとつだった。
無理やりに形にしてみることにした。
ある日のこと、「アートとしての病、ゲームとしての健康 ―10年後に読む『ハーモニー』」で印象深く覚えていた書き手の太田充胤が、酉島伝法『るん(笑)』を論じていて、それを目にした。
この記事では『るん(笑)』の科学コミュニケーション論的な観点から捉えた際の問題提起力が、高く評価されている。
太田は表題「るん(笑)」の由来と思われる挿話が含まれる一作「千羽開き」や、冒頭の「三十八度通り」の内容を取り上げている。
そして、伊藤計劃『ハーモニー』(2008年)の描いていた医学的「健康」至上主義(作中の語なら「生命主義」)が支配するディストピア(=「医療のユートピア」)と対照させる形で、『るん(笑)』に描かれる社会に次のようなものを見出す。
すなわち「「現代科学」のオープンでグローバルな真理体系によって排斥されてきた無数のローカルでクローズドな「真理」が、再び息を吹き返し、知的営為が市民の手中に取り戻された状態」である。そしてそれをこう評価する。
もちろん、このポストトゥルース的で多元論的な社会(いうなれば無数の「代替医療」の「ユートピア」)は悪夢的に映りもする。
というか、ディストピアに映るであろう。
太田が評価しているのはその社会像の「アクチュアル」さである。
現に2012年から日本では 「スピリチュアルケア師」の資格認定制度が開始されている。現代科学に基づく医療の延長にあるような『ハーモニー』的な管理社会には「生命主義」はあっても 「スピリチュアルケア」の資格制度はなかったぞという驚愕は、しょうじき私も抱いている。
とはいえ「欠如モデル」、つまり知識ある専門家集団と無知な大衆という二項対立からなるコミュニケーションモデルを脱する形態の模索は、科学論でこの40年ほど議論されてきたようだ。医療SFとしての『るん(笑)』のアクチュアリティを掘り下げていくならば、「スピリチュアル」な発想とレトリカルな操作とが行政や市井に浸透しつつある諸相の描写に、より焦点化することになるだろう。それは「アクチュアル」だし、「リアル」な問題だ。
こんな出来事すらあったのだった。 (了)