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前回

コメントありがとうございます。あたまが、スーッ、と、してきました。

バーバパパ『ウ”ィ”エ”』2020

オチョナンさんの顔のつくりかたをわからされました。脱文脈化された意匠としてこのMVを鑑賞するには少し難しく思う気持ちが個人的にはあり、作へのこれ以上のコメントは控えますが、ユーゴスラヴィアが舞台のパワプロクンポケットのn次創作作品であるやる夫スレ内で、一見ナショナルな意匠の脱文脈的使用と映る事例がいかに歴史的なコンテクストに支えられているのかに関する一例が記されていたのでリンクを付しておきます(スロベニア出身のバンド、ライバッハに関する記述。レス番号3698以降を参照)。なお同やる夫スレは第一部が完結し、上述のまとめサイトに編纂されています。米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』2001年のやる夫スレ版と共に、20世紀後半の中東欧を描いたやる夫スレ作品としてオススメいたします。

Kojoe『BoSS RuN DeM Feat. AKANE, Awich』2017

意匠の使用という意味でラップ音楽の話を。例えば、この曲に対して5lack、RUDEBWOY FACE、kZmによるビートジャックが発表されて、といった方向での派生関係もあるのですが、逆にこの曲のビートがどこからやってきたかを辿ると、アゼルバイジャン出身でロシアで活動していたらしい、Caspian Cargoの曲『Tabor Leaves in the Sky』2015が出てきますが、さらに調べるとそのビートで使われているコーラスがブルガリアの曲『Bre, Petrunko』から摂られたようだ(おそらく、リンクを貼った、ブルガリア国立アンサンブルバージョンから)といった経緯も辿ることができます。そして、私も十分に把握できてはいないのですが、Caspian Cargoによるブルガリアンヴォイスのアプロプリエーション(流用)は、Youtubeのコメント欄や幾つかの記事を眺める限り(ロシア語などは機械翻訳頼りなので自信がないですが)、非難や批判の声があるようでした。ラップ音楽ではしばしば、リスペクトという言葉で、先人たちがどのようにこの音楽ジャンルを発明したか、またそこにはいかなる精神性が込められていたかを尊重するのが礼儀であり習いであるとする教えが説かれますが、例えば『BoSS RuN DeM』を聴くときに、何をどこまで知るとリスペクトしたことにできるのでしょうか。それを決めるのは誰で、どんな理由なのでしょうか。あるいはこのMVを語るときロケ地と思しき歌舞伎町や各店舗(上海小吃やメヒコ)などの文脈、それに、各々のファッションの文脈、こういった諸々を、どこまで調べれば、リスペクトが足りていると言えるのでしょうか。あるいはどこまでだと、そう言えないのでしょうか。そして、それを決めるのは何者なのでしょうか。――こうした問いは、とりわけ自分のように、ヒップホップ共同体に参加するのが目的でラップ音楽を聴いたり感想を書いたりしているわけではないものにとって、とても考えさせられる問いであり、また自分のように、n次創作の塊である作品群(例えば、上記したやる夫スレのような)に没頭し、その体験を語りたくなってしまったものにとって、音楽作品に限定できないかたちで切迫性を帯びて念頭に浮かぶ問いでもあります。ちなみに私が『BoSS RuN DeM』を初めて視聴したとき真っ先に思い出したのは、サライェヴォ出身の歌手、ゴラン・ブレゴヴィッチの曲『Cajesukarije: Čoček』や『Chupchik』で聴取したことのある合唱のことでした(それが、リュミドラ・ラドコヴァたちによるブルガリアン・ヴォイスであることは、後で調べて知ったのでした)。

Fred Oarao『Po popo popo 』2020

『ウ”ィ”エ”』で思い出したMV。Twitterでこの曲を紹介するツイートが取りざたされていたので知りました。検索時、私は題名をうろ覚えだったので、動画共有サイトの検索窓に「popopopopo」などと打ち込んでしまいましたが、無事、辿り着くことができました。ところで、こうした不精確な語句で検索すると、アルゴリズムに従って、関連性が高い見込みの動画がいくつか挙げられます。この仕組みを利用すると「自分がそれまで知らなかったが、注目を集めていたコンテンツ」などを発見することができます。(今回、私が遭遇したのはフランスのラッパーGambiの『POPOPOP』2019でした)。この曲自体は、私はピンとこなかったのですが、そこから『Oulalah』2019という曲に辿り着けました。日本語の台詞や尺八っぽい音が入っていたのでつい反応してしまった、という面もありますが、以前からレゲトン(ラテンアメリカ系のラップ音楽)でも尺八の入った曲(EL ALFA "El Jefe" 『BESALO( ft. Rauw Alejandro)』2020)を聴いていたので、脳が刺激され関連付けがなされたのでした。あえて断片的な語句、うろ覚えの語句などを入力することで、パーソナライズが施された検索エンジンを適度に撹乱し、別の欲望に身を開くことができる、と言ってもよいと思います(大仰すぎるかもしれませんが)。このやり方は、図書館の検索サイトなどでも有効に思います。もちろん自身にとっての当たりと外れ両方に出会うでしょうが当たり判定は関連付けのストックが増えると広がっていくので気長にやると面白いと思います。なお感想を語る際には元の文脈も学んでおくべきと思います。それは正解を押さえるためではなく、n次創作的に言ってn個以上あるはずの諸々のコミュニティの間で、文脈をうまく通訳して、ネゴシエイトするためです(実際は不備や欠落が生じてしまうとしても、少なくとも、理念として)。

Shortparis『КоКоКо』2020

鳥で連想した、ロシアの音楽グループのMV。養鶏場をはじめ、食肉加工の意匠が不穏な比喩を帯びて映像になっているので、観るのがキツい人もでるかもしれません(ただ以前のMV『Так закалялась сталь[鉄はいかに鍛えられたのか]』2019のように「次のコンテンツは、一部の視聴者にとって攻撃的または不適切な内容を含んでいると YouTube コミュニティが特定したものです。ご自身の責任において視聴してください。」と表示されているわけではない――そのMVの場合は流血描写とハラキリ描写がある)。なお、冒頭で出る「LES STRUCTURES NE DESCENDENT PAS DANS LA RUE」は、1968年のフランス五月危機時に学生が記した有名なフレーズらしく、構造主義を批判していた哲学者、リュシアン・ゴルドマンが引用したことでも知られているようです。意味としては、「構造」はストリートにやってこない、になるでしょうか。あと6曲、他の曲もこれまでと同じ程度の分量を割いて紹介していると日が昇る可能性があるので、以降適宜、文章量絞りつつ紹介します。――日が昇りました。そして日が沈み、別の夜がくるが前の夜が過ぎない。

IC3PEAK『СКАЗКА』2018

すでにいくつか紹介がなされているグループ。怖めの映像はJakov Burovによる作。ロシア版のぴろぴと、と形容すると雰囲気が伝わるかもしれない。マーク・ライデンたまキジメッカなどの絵を(少なくとも一時期)自分は眺めていたので、ポップ・シュルレアリスムとか、ロウブロウと呼びたい気持ちがある(もっと適切な呼称がある気がするが、私にはわからない)。――時間がずいぶん経ってしまった。前の記事を書いてから何日目かの夜。

Melanie Martinez『Mad Hatter』2017 

例えば『アリス イン ナイトメア』2000や『アリス マッドネス リターンズ』2011をはじめ、ダーク化したアリス、という意匠は、英語圏でも日語圏でも(ヤン・シュヴァンクマイエルの映画のことなども考えると)ほかの言語圏でも相応に存在感があるのだろうし、このMVも、そのような系図に連なる1つとして数え入れられるだろう。このMV内に登場する、溶かされたり刃をぶっ刺されたりする家族を模した人形たちの姿は、Stromae『Papaoutai』2013に登場する人形の父と子の、対照的ですらある姿を想起させもする。

Iggy Azalea, Alice Chater『Lola』2019

駆け落ち的逃避行と黒い爆発の炸裂(IC3PEAK『СКАЗКА』)、夢現での病と狂気と稚気による反家族的・反治療的なパレード(Melanie Martinez『Mad Hatter』)、そしてアサイラム(閉鎖病棟)の中での大騒ぎ(『Lola』)。こうしたイメージと、幽閉されながら彗星への想いを綴ったブランキの著作は繋ぎうるか。メグマ、毒電波、「私が死んでも代わりはいるもの」……。

Zebra Katz x Leila『You Tell Em』2015

燃やされ破壊されるコンピュータ

Lil Debbie『WORK THE MIDDLE』2014

首が折れる、喉が詰まる、感電する。画面の中に入る。

Grimes『Genesis』2012

グライムスとブルック・キャンディを初めて知ったのはこのMVでした。私は、ゲームのなかのキャラクターになり、家族に化けた蛸の魔物を剣で斬り伏せ、ごめんなさいごめんなさいと謝り涙を流しながら目を覚ましたことがあります。これを視聴すると、私の夢の記憶の断片が、世界のどこかに滲み出ていて、誰かの夢の色調に寄与していたと発見してしまったかのような、奇妙な心持になります。ブルック『Opulence』2014のMVにも、少しだけ。いろんな隔たりの中にある、部分的で、不精確な、夢幻のような、同じさ。

次回

[了]

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