meiyo『なにやってもうまくいかない』と併せて自分が視聴した曲(ボーカロイド(vocaloid)の曲が多い)と雑感

meiyo『なにやってもうまくいかない』のほか、ボカロ関連の曲を合わせ計20曲のMVを挙げ色々雑感を書いた(雑感内でほかのMVも引用してある)。

ある日、meiyo『なにやってもうまくいかない』を、繰り返し聴いていた。気分に合っていたのだろう。私はコンビニで同じ銘柄のポテトチップスを何度も買って食べる。違う味との出会いより同じ味との再会を求めていることがある。ただ、私が求めるのはあの風味や触感であり、それに伴うあの心身の変調であって、銘柄が何であるかは本当のところで求めるものではない。同じ銘柄でも、調子によって、食べ合わせによって、違う風味や触感に感じられる。音楽を聴くときもそれに似ている。個別のよしあしがあることも、もちろん、知っている。ただ、何かを求めながら、どんどんザッピングしているときがある。それに通じ合う要素があるからなのだろう。これはそれを書くつもりでMVのリンクを集めた記事で、動画視聴と走り書きからなる。

meiyo『なにやってもうまくいかない』2021/09/26

逐次、歌詞が絵に起こされている。情報過剰で脳内が限界になっている感じの学生服の人物は、作品のつくり手のみならずSNSでのパフォーマンスを煽られつつ疲弊しているすべての利用者の同感を催すものだったのだろう。もちろん、SNSに疲れたら発信を止めればいいのだが、そういう問題じゃなくなるほど力を注いでしまった。そういう取り返しのつかなさ(アテンションエコノミーの構造上ごく少数の人間を除いて多かれ少なかれそういう思いをするようになっている)が描かれている。人気と好悪と注目がごたまぜになった空間に飲み込まれた生がある。そういう意味では環境へのメタ的視線のある歌で、さながら人生も趣味も徒党(ファンダム)内でのポジショントークのやり取りありきでしか進められないかのような気分をうまく形象化している。そんな思いの歌い上げは、ボカロ系の曲で他にも色々見つかる。

meiyo『なにやってもうまくいかない feat.可不』2021/10/03

音声合成ソフトだからか、私にはmeiyoのもとの歌より一音一音が聴き取りやすい(カラオケでハチ『マトリョシカ』を歌うときは歌詞の一語一語全部にスタッカートを入れるようにして歌うとボカロっぽくなる、気がする)。この曲で印象に残る点に、歌のタイトルやサムネが予感させる一見弱々しいテイストと異なり、実は様々な方向に向かう攻撃性が歌われているところがある。そのうちでも、歌詞に含まれる「うっせぇわ」は、とりわけ容易に他の楽曲の連想へと誘う(ちなみに歌の最後の「なんにもやってないだけじゃない?」というセリフと、モニターをたたき割るような音は、後述するAdoのMVのラストと照応する。言葉を吐く/吐かれるの容易な反転と、暴力)。

Ado『うっせぇわ』2020/10/23

ボーカロイドほかの音声合成ソフトを使った諸曲の歌い手として人気を得ていた(と思う)Adoに更なる劇的な注目が集まるような一画期となった曲。むろん、この曲の前にも後にも様々なボカロPによりAdoに曲が提供されている。ビリー・アイリッシュやグレタ・トゥーンベリなどの話題が広まり、ティーンが社会に対して戦闘的なメッセージを発するという型が人々の脳内にあったのだろうか、それに歌い上げるAdoの声の力や質感、WOOMAの絵柄の圧もあいまってか、歌詞自体がAdoのメッセージ(あるいは10代の主張)のように聴き取られる早とちりが頻発していたのも記憶に残る。作詞したのは20代半ばのボカロP、syudouだったのだが。この曲の後、syudouは前より吹っ切れた歌詞が増えた気がする。私はそれでいっそう聴くようになった。

syudou『うっせぇわ(selfcover)』2021/01/04

syudou本人による歌唱。例えば「ヒヒャッヒャッ……くそダリぃな」のようにAdoよりはっちゃけた"餓鬼"スタイルで、こっちの方が自分には印象深くなっている。『ビターチョコデコレーション』や『ジャックポットサッドガール』など、抑圧されながら内心鬱屈する気持ちや殺伐とした成り上がりの情念を綴りボーカロイドに歌わせていた(ように思えていた)syudouがついに己の肉声で唄って勝負を始める。角川映画『セーラー服と機関銃』1981とチェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』1983を当世風に換骨奪胎したかのような歌はどこか精一杯の虚勢のようにすら響き、最後に映る少女の眉間への一発を示唆するMVの終幕が象徴する、メニッペア感をも湛えている。

syudou『取扱注意』2021/10/20

人々が『うっせぇわ』に期待したキャラを引き受けるようにして、己の声で戦闘的に歌い始めたsyudouの曲。『孤独の宗教』2020との関連がすぐ考察されるが、嘲笑と軽侮に満ちたSNSでたとえ道化扱いされてでもいいから勝負するのだと宣言する『爆笑』や『ギャンブル』の延長にある歌だとも感じる。いわばボカロPでラッパーをやっているような感じで、ボースティングもあるのだがその一方「天才でも変態でも繊細でもない」のように、どこかmeiyo曲を連想させもする、卓越した天才への屈託した情念も含んでいる。syudouの作品にアイデンティティを維持することとクリエイティブであろうとすることと癒着したサバイバリズムを見て、それを戦闘的(だけど一線を超えないよう調整されても映る)なポーズでの見世物的動員の歌として批判するスタンスもありえるのだが(ある種の『うっせぇわ』批判がその例)、私は最近、どちらかと言えば、The Living Tombstone『My Ordinary Life』を聴くノリでsyudouのMVに接しがちだ(苦みに裏打ちされた人生ゲーム)。

煮ル果実『トラフィック・ジャム(Traffic jam) ∴flower』2019/08/25

この後の曲だと『アイロニーナ』などにも引き継がれる二人のキャラクターの物語がどうなっているのか(繋がっているのか、スターシステム的なものなのか)よくわかっていない。ただただ軽快かつシニカルに交通事故の比喩で誰もが巻き込まれるリアリティショウとなってしまったSNS&大衆報道の蔓延した状況、そこで連鎖する見世物化した炎上とリンチとを一夜の祝祭のごとく歌い上げた一曲として視聴してきた。まるで無敵時間のパックマンのごとき死神(?)の二人がさらに脱神秘化されるホラー展開には、アニメ『デス・パレード』のOPが醸し出すような華やかさと共に、臨終での裁きの反転可能性を滲ませる物語の型が見出されるようにも思えた。

ピノキオピー『ノンブレス・オブリージュ feat. 初音ミク』2021/06/02

例えば『動物のすべて』2015とか、ある種のミザントロープの感触というか衆愚感への堪えがたさを主題にするのは、ピノキオピーの十八番だと思っていた。傷つきを利用した司牧権力の堪えがたさを諧謔的に歌っているのだがそれを単に風紀委員面うざい弱者面うざい不謹慎な反逆最高みたいな紋切型に落とし込まずに、別のテイストを与えていて、それに聴き入ってしまう。あとMVの羊に、福田恒存「一匹と九十九匹と」の残響を聞き取る。むろん今や、自分は一匹の側だと思った羊が残りの九十九匹のうち可能な限りの数の息の根を止めるために最終的には決裂する連帯を汲むかのような社会像になったのかもしれないけど(そういう事態を描いたMVに映ったりする)。

ピノキオピー『腐れ外道とチョコレゐト feat. 初音ミク』2014/01/11(ニコ動2011/01/10)

多分はじめて聴いたピノキオピーの歌。諷刺感はこの頃からずっと今日まで息づいている気がする。この頃は告発ではなく暴露の、糾弾ではなく冷笑の悪、その堪えがたさを、その堪えがたさある場に内在しつつ歌にしていた。最近だと『神っぽいな』が『腐れ外道とチョコレゐト』感あるメニッペアのある(自分も含めてシニカルに見る感じの)MVだった。私の理解では最近のSNSで流行る人生とか社会とか創作に関するツイートというのは、何の時事問題に絡めてなのかを除けばだいたいボカロMVで歌い上げられたものの要約(ないしコピー)に映っている(関連して述べると、哲学や思想上の整理としては不適切であれ、反出生主義という語に託された厭世主義に私は関心があり、それはかつてのボカロMV群が湛えていたある気分を形にする呼び水に思えていて、それで「輪廻転生、ディストピア」を書いてみた)。

すりぃ『エゴロック(long ver.)  feat.鏡音レン』2021/09/07

これまで述べてきたような諸要素がデフォルメされてうまく組み合わされている。笑えたりカッコよかったり安全そうに見えたりするキャラ(着ぐるみや仮面)をかぶること、そしてキャラに合った振り付けで出番に踊ること、もはや望んでか強いられてかわからない仕方でそれに突き動かされる状況、踊りを視ている敵も味方も含むはずの見物人群への愛憎、冷笑と没入の回転する雰囲気、何をしても見せ方を演出したりされたり操作があるので自分の好きなようにやればよい(が、この好きの持ち方さえ操作されていて……)といった、どん詰まりの祝祭(しかし、そこに栄光も悲惨もある)の気配。動画の概要欄「自由気ままに生きていこう」は、勇気を持ちたい人には己の勇気を、構造への懐疑を抱える人には己の懐疑を、励ますメッセージに映るはずだ(片方が偽、見せかけのメッセージという意味ではなく、仮に並べば相容れないような意見を持つほど分断され隔たった境遇に届くように、歌がつくられているということではないかと、私はその二重性を解している)。

Chinozo『エリート feat.KafU』2021/11/03

syudou『うっせぇわ』と表裏一体のものとして聴きたくなる。動画中で「良識」や「常識」の書体(フォント)が変わるところや赤字でバツや花マルが重なる、全体に灰色がかってぼやける等、比較的シンプルなリリックビデオに近い画面作りだが色々凝っている。アニメの下に歌詞の字幕が出るようなテレビアニメOPや、字幕を想定せずつくられている実写MVの型とは異なるものがボカロ曲のMVだと培われたんだなと思っている(といってもそんな分類もすでに通用しないかもしれない。私は初めてLinked Horizon 『紅蓮の弓矢』のテレビ版OPで「進む意思を嗤う豚よ」以降の歌詞のアニメへの入り込み方を見たとき衝撃を受けたものだった)。自虐というには安泰な(ように外野からは映る)地位からの諧謔(メニッペア、自己諷刺)であり、どこかsyudou『ビターチョコデコレーション』を明るく歌いなおした感触もある(「ママ」だけでなく「パパ」も出てくるが)。Chinozoは「引きこもり」(『グッバイ人間』)、「有害な人間」(『シェーマ』)、『エリート』、「最低な”HERO”」=匿名の密告者や通報者(『HERO』)等々、不穏なものとして扱われる境遇、外野から語られる軽侮が当人の声(として扱えないとされてしまいがちな叫び)より大きく響きがちな境遇における心の動きを内から捉えつつ、それをティーンズ的でポップな(Kawaii?)意匠のなかにくるんでうまく形にしている、というように自分には感じられている。

Kanaria『KING【GUMI】』2020/08/02

リアルハイティーンがつくった曲なので若年層というレッテルありきで判断をしたように思われるかもしれないが、meiyo、syudouなどなど今まで挙げてきた作品にはあった屈託の気配がないと私は感じる。声にGUMIの英語版(Megpoid English)を使っているのでどこか空耳っぽく感じもする。いわば日本語のしがらみをいったん切ってからつくられたような声色は、「レフトサイド ライトサイド 歯を突き出して パッパッパッ ハハ You are KING」とのコーラスにも照応するのだが、軽やかに感じられる。アテンションを集める騒ぎを全て無視して王冠と玉座を獲りに行くような振る舞いが思い浮かぶ。

Kanaria「『エンヴィーベイビー』×『KING』」2021/11/26

ボカロ曲のマッシュアップは様々あるが、当人が当人同士の曲を組み合わせたマッシュアップを私はこれで初めて視聴した。『エンヴィーベイビー』は表面的には韜晦的に恋情愛着が綴られた歌に思えるのだが、「解は隠して」「タイトロープは崩れる壊される」「そんな言葉で そんなことして ジャママママ」などを勘案すると、周囲で好き勝手言いともあれば足を引っ張りもするアンチ(や無理解なギャラリー)への攻撃的な感情(syudouが作品化してきたような)を綴った歌に深読みできる。私は、近年の病んだ恋情愛着を歌ったボカロ系の作品はある程度、ファンもアンチも入り混じっており判別ができないギャラリーないしオーディエンスへの、クリエイターの立場からの不安や期待、愛憎が託されているのだろうと憶測している。これは特権的なつくり手のみの所有する情緒ではなく、通報と排除が一般化したSNS上で活動をする誰もが感じている情緒だから人気なのであろうと思っている。このマッシュアップは「レフトサイド ライトサイド 歯を突き出して パッパッパッ ハハ You are KING」の解釈をさらに込み入って韜晦したものにする。

Giga『'劣等上等'(BRING IT ON) ft.鏡音リン・レン』2018/07/13

「劣等」が主題であるはずなのだが、「なにやってもうまくいかない」とはかなり雰囲気が異なる。"イケイケ“なムードで「愛ある時代」が歌われる。ファッショナブルで"陽キャ"的なクールジャパン風のサバイバリズムを代表するような曲だと思っている。統計不信(「子供騙しのマセマティカ」)、現場主義リアリズム(「ご立派 警鐘 気取りで 高みの見物ばかりじゃつまんねぇ」)、敗北した過去の払拭と成長(復讐)志向(「変わる時代」「過去も、罪も、罰も、すべて、素手で、愛で、生き抜いてやり返すわ」「欲しがります死ぬまでは」「がなる劣等 一抜けよさらば!」)等々と、ナショナルアレゴリーとして眺めることができなくもない歌詞である(「列島上々 不眠日本」)。もちろんそれが初音ミクを意識する鏡音リン・レンの決意と重ね合わせ、踊り出したくなるような曲に乗せてKawaii声で発信されている点が(私にとって)驚異的なのだが。これも、Kanaria『KING』とは別の仕方で屈託のなさが際立っている。なおGigaは"陽キャ"的という理解は、例えば、Ado『うっせぇわ(Giga Remix)』に付してあるAdoのコメント「これで私も陽キャだぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」のように、比較的巷間に流布しているものだと思っている。こうした成り上がり的サバイバリズムを、自らが敗者であると称しつつどこにも行けない閉じた空間(と称される、ただひとりが君臨するための舞台)でフラフラ踊り抜く米津玄師『LOSER』のMVで描かれるものと対照するのは、いずれやりたい。

Chinozo『HERO feat.FloweR M/V』2021/12/29

最近自分が飲んでいたエナジードリンクZONeとのタイアップ曲で驚いた(ほかタイアップ系の話だと、「カップヌードル×プロジェクトセカイ」で5名のボカロPの曲がそれぞれ発表予定との報せにも驚いている)。「ぶっちゃけ僕なんか誰も見てないから見てない場所からツバ吐け」「匿名ボタン ポチっと押してNo.1」というように、まさしくmeiyo『なにやってもうまくいかない』の主人公が気にしていそうな、ネット上のギャラリー、匿名の告発者というポジションを、「だけど何故だろう胸がチクチク痛むのはそうさ僕は最低な”HERO”」など自己諷刺も交えつつ美的(スタイリッシュ)に歌い上げるボカロ曲で、私はそういうものをこれで初めて聴いたように思う。

ハチ『パンダヒーロー』2013/10/02 (ニコ動2011/01/23)

聞き返したら、思いのほかダーティだった。とても韜晦に覆われているが、ダークな攻撃性に満ちた歌詞だと思う。「白黒曖昧な正義のヒーロー 左手には金属バット」との言は、不穏な"金属バット"表象がビートたけしによってネタ化されていた80年代を経て今敏『妄想代理人』の少年バットが造形されたゼロ年代があり、その後に「きっと嫌われてんだ我がヒーロー きっと望まれてんだほらヒーロー」と唄うこの曲がある、という系譜を念頭に置くと、かなり禍々しい雰囲気を帯びる。その上で、「壊して回れブラウン管 さらば一昨日殺人ライナー」と終わるように、その攻撃性がうまく誰かへの破滅とは別の形で結晶している点で、ギリギリのところで一線を守る歌と感じる。

Ado『レディメイド』2020/12/24

あの不穏な金属バットの行方を考えるとき、例えばちゅーばちこちこ『金属バットの女』が私の頭に浮かぶが、あれは、何かまずいところがある(それは同じレーベルのライトノベルである米倉あきら『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい』とも通じ合うまずさであり、私はそれらを切って捨てることができないのだが、だからこそ、批判的に読まなければならないという思いがある)。すりぃ作詞・作曲のこの作品は、あの金属バットに託されたものの当世的な形象としてとても巧みだと思っている。私はこのMVを視聴するときsyudou『ジャックポッドサッドガール』(少女がカジノで狂う)、DAOKO 『BANG!』(DAOKOが警官たちを撃ち抜いて蒼く染める)、そしてハチ『パンダヒーロー』を想起する。ホームランと、野球盤の爆発四散。

空白ごっこ『ピカロ』2020/08/04

独りんぼエンヴィー』等で知られるkoyoriが作曲している。DECO*27『妄想感傷代償連盟』の動画担当などで知られる檀上大空による動画。失恋の歌に感じるのだが(キャラクターの眼や顔が、どこかjohn/TOOBOE『ヒガン』を連想させもする)、そうした私情を溢れるような周囲へのまなざしが韜晦混じりに歌われてもいる。例えば「御愛嬌で踊る 慢心が笑っている かわいそうね 「謾ッ驟阪@たい 驕ク縺ー繧後縺たい」 御観者が 高尚を謳っている かわいそうね 救えず笑っている」等。こうした目線が『なにやってもうまくいかない』の自嘲的な落ち込みと混ざった攻撃性とほのかに共鳴する。

てにをは『ヴィラン / flower』2020/02/07

「馬鹿げた競争(ラットレース)一抜けたら通報される」のように相互監視状況の息苦しさが、「骨まで演じ切ってやれ悪辣に」のように戦闘的な個として立つことが歌われているのだが(meiyoやsyudouの歌もそうした要素を含んでいた)、それらがこういう表現にも結実するのだということに、何か力づけられたりもする。きっと、この曲で参照されているイメージが紋切型として批判される日もいずれ来るはずだが、自分はこれからも何度も聴くだろうと思ったりする。なおDEMONDICEが英語版のカバー曲を歌っている。

てにをは『一角獣 / flower』2020/05/15

ヴィランよりさらにプロテスト感を尖らせた作品。「「正しい色(カラー)ってなんですか?」って訊かれて吃るのなんですか? オ、オ、オトナを困らせたいわけじゃない 納得したいだけ」という始まりで、よくもわるくもどういうポジションからのどういうスタンスの語り手による歌か、はっきり打ち出されている感じがする。直接の関係はないが最近、山内尚「ユニコーン同好会」という漫画があるのをひとに教えてもらった。ユニコーンにどういうものが託されているかという点ではつながりがあるように思える。ただ実は『一角獣』のなかにはsyudouのと通じそうなところも見出される。例えば「一角獣 尖らせて恨みを買って 進化始めよう 夜を起き過ごしそのナワバリはみ出していけ 隘路に佇む皮肉商売(アイロニズム)さ ツノ出せユニークに」という一節と、「ちゃんとしない事をもっとちゃんとしよう 無知な奴に何と言われようと構わない 騙そう晒そうもっとやらかそう さぁご覧あそばせ」(syudou『取扱注意』)との距離は、そこまで離れていないはずだ。

いよわ『さよならジャックポット / feat. 初音ミク・flower』2020/09/27

meiyo『なにやってもうまくいかない』を何度も聴くうち、「何にもやってないだけじゃない?」の部分だけが耳に残り、しかも落ち込んでしまうことが起きたりもする。そういうときにこれを視聴すると、いつもよりいっそう沁みたりする。というわけで、併せて視聴した曲の最後に持ってきた。

さあ
我らが 誇りの看板に
泥ぬって ツバ吐いて 逃げてった奴らに
爆笑の スタンディングオベーションを
うしろから 浴びせる時に
負け犬の マーチのアウトロ
きれいなピアノが 聞こえてくるんだ
死にゆくその時
光る物があれば いいのだろう
バイ バイ バイ

[終]

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