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東京の人は冷たいのかしら?

最近ね、「東京の人は冷たいねぇ(笑)」という笑い話を聞いたのだけど、東京の人って冷たいのかな?(笑)

お話してくださった方々は、関西のご出身で。

楽しかったので、ほんとはもっとこのくだりを話したいのだけど、今回は省略、というか秘密に。


ここからは、会話した内容ではなくて、私が一人で考えたことね。

「東京の人は冷たいのか」について。

私はずっと東京で生まれ育ってきたから、
冷たいのかもしれないこの感覚が当たり前で
わからないのだけど。

私には東京に対する比較対象もないから。
(もっと旅しよう。)

でも、なんとなく、
そうなのかもと思ったり。

「東京の人は他人に無関心」「東京の人は冷たい」
何度か聞いたことがある。

果たしてそうなのか。

実態はわからないが、考えてみる。


例えば、東京の大都会の駅のホームで、
通勤ラッシュの朝の時間帯、
サラリーマンが割と盛大につまづいた。

サラリーマンがつまづいたことに、
周囲の何人もの人が気づいた。

もし、私がその「周囲の何人もの人」の一人だったらどうするか。

おそらく、
つまづいた人に一瞬関心を寄せて、
怪我などしていなければ、
気づいていないふりをして、
何事もなかったように通り過ぎる。
つまり、見て見ぬふりをする。

多くの人が同じような行動をとる気がする。

内心「大丈夫?」とは思いつつ、
声をかける勇気のなさから、気づいていないふりをする。
「気づかれたら相手も恥ずかしいよな」と謎に気遣う気持ちから、“気づいていないふりをしてあげている”つもりでもあったりする。

当然、気づいているのに。

だから、つまづいた本人は、
配慮のうえで気づかないふりをされたとしても、
結局ちょっと恥ずかしくなる。
私ならそう。

このいらない気遣いは、本当にいらない気がしてきた。


他の地域ではどんな対応が”あるある”なのかはわからない。


「東京」という括りは間違っている可能性もある。

例えば、先程と同じシチュエーションで、
陽気なおばあちゃんおじいちゃんたちが集まったなら、
知らない人同士でも「あなた、大丈夫~!?」と
みんなで言っていそうな想像ができる。

先程と同じシチュエーションで、
スーツをビシッと決めたサラリーマンたち(男女問わず)が集まったなら、
気づいていないふり大会が開催される予感がする。

これらが偏見であることは認める。
根拠なしに、カテゴリーで括るのは良くないとは思う。

ただ、私の中にそんなイメージがあるのも事実だ。


実際、東京の人が冷たいのかはわからないが、
あのシチュエーションで、
みんながみんなおばあちゃんおじいちゃんたちのような反応ができたら、
プチハッピーな世の中なのになーなんて
平和なことを思った。

咄嗟に「大丈夫?」と言うだけ。

これの何がそんなに難しいのだろう。

でも、難しい空気感が漂っている。

その空気感が東京の問題なのかもしれない。

きっと「この無関心さがいいんだ」「声をかけられたくない」と思う人もいる。
私はちょっと寂しく感じてしまうけど、
悪いことではないし、否定することでもない。

でも、声かけあって損はないよね、と思う。
心があったまることはあっても、冷たくなることはないよね、と思う。

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